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3-1

苦笑いしながらそれを見送ったシズマは、唖然としているローザの肩をぽん、と軽く叩く。

「大丈夫ですよ。本部まで持てば……ではありますが、そこまで持ち堪えてくれれば、時の竜騎兵が誇る救護部隊が彼女の回復にあたるはずですから」

「は……い……」

本部まで持てば。彼の言葉に、友が充分に死んでもおかしくはない状態なのだと突きつけられたようで、ローザは色をなくした。

「アイツは、時の竜騎兵本部まで耐えてくれる、でしょうか……」

ローザとて理解はしていた。今それを彼に聞いたところで何の意味もないのだ、と。でもそれでもどうしても聞いてしまう。大丈夫だ、という安心をしたくなる。そんな、縋るような想いが分からないシズマでもなく。

「きっと大丈夫ですよ」

──何が大丈夫なのか。

シズマは己でもよく分からないが、どうしてか、そう思うことができた。

普通に考えれば、断言できる要素などひとつもなく。

だけれど、どうしても。どうしても──。

「何故か彼女なら、そこまで耐えてくれる。そんな気がしてならないのです」

たとえそれが奇跡でしかない確率だったとしても。

悪魔に単身挑み、退けるという前代未聞の奮闘を見せた、どこか浮世離れした雰囲気を纏う彼女ならば、奇跡すら平然と我がものとする──。

「──何でか、そう都合良く思っちゃうんですよね、僕。……それを確かめるためにも、ある程度ここの後始末をしたら、残りの処理は部下に引き継いで、僕達も本部に行きましょうか。団長もそろそろ引き上げるみたいですし」

 ローザは、心此処に在らずの状態ではあったが、シズマの言葉に何か共感できるものがあったのだろう。コクコクと小さく頷き──。

「アタシにできること、何でもお手伝いします」

「では、教師達とともに、今後瓦礫の撤去作業にあたる兵士達の駐屯できる場をどこか、見つけてきてもらえますでしょうか」

それは大貴族の令嬢に頼むことでは決してないのだが、今回に限っては、ローザの気を少しでも紛らわせようとするシズマの気遣いからの依頼である。

ローザはその依頼に対して微塵も手を抜くことなく、教員達と連携しつつ見事役割を果たし──、その後シズマとともに、馬車で時の竜騎兵本部へと向かったのだった。



三 時の竜騎兵



 夢を見た──。

 暗闇の中で屈むツバキは、やたらと狭い視界を不思議に思うこともなく、目元に手を遣る。

「またか──」

 カツ、と指に当たった、自らの視界を狭めていたものは、とても冷たく、そしてつるりとしていた。

溜息まじりに取り外す、つい今しがたまで己の顔に貼り付いていたそれは、角の生えた、醜く嗤う白鬼の面。

鬼が嗤っているだけならば、別段なんの問題はない。「そういう面なのだろう」の一言で済む話なのだから。今、彼女にとって問題なのはその夢を見る周期だった。

「夢の間隔がまた短くなっているわね……」

この夢は彼女にとって幾度となく見たことのある夢のようだが、繰り返すその夢は、どうやら夢と夢の間の周期が徐々に狭まってきているようである。

 鬼の面を足元に捨て、立ち上がろうとするツバキの足元に、白く浮かび上がったのは六芒星──即ち、籠目(かごめ)だった。

「……分かってるわよ。私は神具女(かごめ)の業からは抜けられないって」

 闇の中に白く浮かぶ籠目の中心で、ツバキは諦めたように大きく息を吐く。立ち上がろうとした足が、そして身体が、金縛りに合ったかのように動かず、目を瞑ることさえ叶わない。そんなツバキの目に、彼女にとってはもう見慣れた、奇妙な光景が映り込んだ。

 ──ゆらり、と籠目のそれぞれの先端に現れたのは、ただでさえ暗い闇の中に尚暗く、墨汁を垂らしたかのようにぽっかりと浮かび上がる、子供のような人影だ。

 現れた人影は子供の声で無邪気に唄いながら、ツバキの周りをぐるぐると回り始める。

『かーごめ、かごめ』

子供の声の紡ぐそれはツバキのよく知る唄であったが、合間に響くいくつもの幼い笑い声が、そこはかとない不気味さを醸し出していた。

『いついつ、出やる──』

 足元に落ちた鬼の面と、己の配置からして、自分が鬼なのだろう。ツバキはつらつらとそんなことを考えながら唄が終わるのをじっと待つ。

『月夜の番人、鶴と亀がすべった──』

短い唄はあっという間に終盤へ差し掛かり──。来た、とツバキは緊張に、己の腹に力を込める。

 直後。案の定、とでもいうのだろうか。己の周囲を囲んでいた六体の人影がぴたりとその動きを止めた。

『後ろの正面は──誰?』

子供の声に、ツバキは内心で悪態を吐く。

──そんなもの、知るわけがないだろう。

「どいつもこいつも似たようなのっぺらぼうのくせして何を私に当て──」『後ろの正面はだれ?』

己の言葉を遮られ、ツバキは不快に顔を歪めた。

 そんな彼女の神経を逆撫でするように、くすくすと子供の笑う声が辺りに反響する。

『だれ?』『ねえ、だーれ?』

口々に囃し立てる人影。

『あなたが鬼よ。早く当テて』『うシろのしょうめんだよ──』『ダレ? ダぁレダ?』『オニ、あナタたノ、しョウめメめメメ──アハハハハハハッ!』

人影の内の一人が立てた笑い声に呼応するように、他の影までもが笑い始め、その途切れることのない笑い声は闇に反響し、木霊し、もはや呪言とすら呼べるものだった。

「相変わらず……煩いわね……」

 ──後ろは振り向けないが、この夢は何度も見ているのだ。だからこそ──。

「得……かどうかは知らないけれど。まあこの(ドブ)みたいな状況の打開策くらいは知っている、か」

 吐き気すらしてくる頭痛を堪えながら、ツバキは背後の気配に神経を集中させる。──刹那、ぬるりとした恐怖が彼女の全身を支配した。

 ──やっぱり。また、近づいている。

 ツバキは気付きたくもなかったその事実に内心で舌打ちしつつ、後方へと意識を傾け続ける。

 子供達の声が指す、後ろの正面とやらは、この夢を見る度に少しずつではあるが、確実に彼女の背へとその距離を縮めてきていた。

「……答えれば良いんでしょう? 後ろの正面は──」




「正面──は──」

 開けた目に、見知らぬ、白い天井がぼんやりと映る。

 ああ、今日も夢から醒められたのだ、とやたら鈍い頭を回転させるツバキは、二日酔いのような気分の悪さに思考を断ち切ると、横向きに寝返りを打ち、

「ずいぶんと(うな)されていたようですねー」

 自分を眺めている、見知らぬ男と目が合った。

「──!?」

 奇襲を予測し、ガバッと寝台から跳ね起きたツバキは、目の前にあった見知らぬ顔の男を警戒心も顕に睨み付ける。

 だが、紺色の艶やかな長髪を一つに纏めた、中性的な面差しのその青年は「驚かせてしまいましたか」と、ツバキに睨まれていることなど全く気にしていないように、ほけほけと笑う。

 学園で会った青年、シズマと同じ服装をしていることから、恐らくここは時の竜騎兵の本部なのだろうとツバキの脳はすぐに現状を分析し、結果を弾き出した。

 まあ、分析などと大層な物言いをしなくても、紺の開襟型のレザージャケットにベルト、そして同じく紺のズボンに黒いブーツ。その組み合わせはどう見ても街人の装いではないので、おのずと此処が何処であるか分かってしまうのだが。

 男が着ている隊服の襟元には飾緒と階級章が付いており、天使羽をモチーフにしたその階級章は、彼が七天使の一人であることを示していた。

 目の前に目覚めたら天使の、それも幹部格がいた──。それはドレストボルンに住まう一般人であれば「夢のようだ」となるのだろうが、生憎とツバキにはそんな思考回路はなく。

 むしろ──。

(ドブ)の夢のほうが遥かにマシだわ……。目覚めた瞬間から目の前に天使がいるなんて……気分悪くて吐きそう──」

「えー、本当に吐きそうな顔するの止めて下さいよー。……あ、そうだ。私が誰かが分かれば少しは気分も良くなりますかねー?」

 妙案を閃いた、とばかりに青年が名乗ろうと口を開きかけたその瞬間、どこからか鋭く甲高い声が飛んできた。

「やあねぇ、なんて無礼なのかしら。身の程を弁えるってコトバ、知らないほどにおバカさんなのかしらねぇ?」

 やたらと高飛車な高い声に、ツバキは用心深く眼前の男に注意を残しつつ、耳障りな程に甲高い声(ツバキ主観)の方へと目を向ける。

 部屋の出入り口である木製の扉脇に、細かな金細工の施された椅子を置き、そこへ脚を組みながら座る、やたらと肉感的な美女はツバキを小馬鹿にしたような表情で、ウェーブの掛かった己の豊かな麻色の長髪を手櫛で梳いた。

 薔薇のように赤いふっくらとした唇に、蠱惑的なトパーズ色の瞳を持つその華やかな美女もまた、時の竜騎兵に所属する天使の一人なのだろう。

制服を改造しているらしく、胸元を大きく開けた紺のレザージャケットの下に黒いインナーを。長めのスカートは腿のあたりから大きくスリットを入れており、彼女の見事なスタイルをより強調する作りとなっている。

 大輪の華と称するに値する美しさを誇る美女なのだが、

「アタシ、礼儀のなってない見た目だけの奴、苦手なのよねー」

 ツンとツバキから顔を背ける彼女の、その言葉の端々には棘が見え隠れして──訂正。棘は微塵も隠れておらず剥き出しだ。

そんなツバキにあまり良い印象を持っていないのだろう刺々しい美女とは反対に、青年は至って柔らかな声音でピリつく同胞を宥める。

「まあまあアマラ、そう言わず。ある意味得難い機会ではないですか」

「何よ。何がどう得難いってのよ」

 アマラと呼ばれた美女は同胞である青年をジト目で睨んだ。

「得難いですよ。だって、このドレストボルンにいながらにして、我々が自己紹介をしなければならない──いえ、我々のことを”名”すら知らない。そんな方に今まで会ったことがありますか?」

 青年は己を知らぬツバキを蔑むでもなく、己の知名度を誇るでもなく、ただ純粋な疑問としてそれを口にする。

彼の問いに対し「それは……」と返答に窮する美女。

と、次の瞬間部屋に響いたのはツバキの小馬鹿にしたような嗤い声だった。

「ものすごい自惚れね。──反吐が出るわ」

 一瞬で嘲笑()みを引っ込め、冷めた表情でそう吐き捨てるツバキ。

 ──誰もが己を知っているはずだ。

その発想自体に嫌悪感を覚えているのだろう彼女の、その顔が『不快』の一色に染まったことに気付いた青年は申し訳なさそうに頬を掻いた。

「すみません、そんなつもりではなかったのですが……。うーん、では謝罪も込めて、改めて名乗らせて頂ければと思うのですが、いかがでしょうかツバキさん?」

にこやかな笑みでそう放つ青年に、ツバキは一瞬だけ苦い顔をする。

「こちらのことは織り込み済みってワケね。大方ローザあたりから聞いたのでしょうけど……まあいいわ。私はどうでも良い。ええ、どうでも良い。あなたの名も、そこな女の名も」

全てどうでも良い。だから、名乗らなくて良い。

そう断じたツバキだったが──。

「まあそう言わず。──私はレーベン・ツァイトと申します。七天使の一人で”ラファエル”の天号を持つ者ですね。そして、あちらが──」

「アマラ・ビリジア。七天使の一角で”アリエル”の天号を持つ者よ。……別にアタシはアンタなんかに覚えてもらわなくてもいいから」

 格が違いすぎて、と高笑いするアマラの存在を、ツバキは一瞬で『どうでも良い』から『敵』へと降格させた。

「上等よ。ならその格の違う、ご立派な脳漿を惨たらしくここでぶち撒けて、どこから格の違いが生じているのか確かめさせてもらってもいいわよね?」

 運良く悪魔に殺されなかった、ただの小娘だろうと高を括っていたアマラは、急に背筋に走った悪寒に、ばっと背後を振り返るが、そこにはただ白い壁があるだけで──。

 だが彼女は七天使の一人であり、その勘は今までの経験と確かな実績に裏打ちされたものなのである。間違っても、なんとなく、でただの壁に悪寒を覚えることなどまずないのだ。

 つまりそれは、ツバキがまさに今何か、彼女に危害を加えることを企むないし実行しようとした、ということだった。

 そしてレーベンもまた、それを敏感に感じ取ったのだろう。彼は微笑みを消し、硬い表情でアマラの前にその盾になるように立つ。

「ちょっと、なんなのよ一体……!?」

 アマラはそんなレーベンの背後に隠れながら、顔だけをチラチラとその背から斜めに突き出し、ツバキを睨んだ。

「申し訳ないんですけど、アマラは戦う術を持たないのでー。……もし攻撃をされるのでしたら、代わりに私にお願いしますー」

 アマラの身代わりを申し出るレーベンは得意気に胸を張り、

「心配せずともこちらから攻撃などは一切致しませんから。……というより、私が能力を使ってできることって、対象を回復させることだけなんですよねー」

 と、自身の戦闘能力の低さを暴露する。

「この──! い、いえ。何でもないわ……」

 この役立たずどもが! という突っ込みをツバキはなんとか飲み込んだ。

仮にも天使達を纏める幹部格なのだ。真性の役立たずなどであろうはずもない。

 しばらく逡巡し、ツバキが出した答えは──、

「よりによって戦えない天使が二人も監視に付いている時点できな臭いこと、この上ないし、それに──、此処が時の竜騎兵の本部であるのなら、此処はローザのお父上の伯爵様が大切にされている場所。だから、あの御方の顔を立てる為にも、今回は引くとするわ」

 ほとんど義理のためではあるが、大人しく殺気を引っ込めた。

「あ、ひどい。ここ一週間、私は監視じゃなくて貴女の回復にずっとあたっていたのですけどー?」

 心外ですねー、と独りごちながらレーベンは再びツバキの腰掛けた寝台の横に戻ると、どこからか取り出した手拭いを桶に張った水に浸す。

「ところで、無いとは思いますけど、どこか痛む所はありませんかー?」

 レーベンに問われ、漸くツバキは己の身体の傷が完全に癒えていることに気が付いた。

 ミイラのごとく包帯で巻き上げられた身体には傷一つなく、確かに砕けていたはずの腕の骨すら、何事もなかったかのように癒合していた。

 回復専門の、それも七天使という座に就いているだけあって、彼の回復に関する能力については他の追随を許さないものがある、ということか。

 ツバキはツン、とそっぽを向きながらボヤく。

「──吐き気は治まっていないわね」

「それは私達が此処にいるからでしょうかー?」

「他に何があるって言うのよ。私は天使嫌いなの。ただの天使ですら嫌いだというのに、何でよりによって七天使どもをこうも何体何体も立て続けに見なきゃならないのよ……」

 星巡りが悪すぎるわ、と呟くツバキ。

「いえ、よく考えたら星巡りが良いのかしら。何せ私は──」

──ああ、そうだ。

ツバキは何かを思い出したように一人頷く。

「天使は嫌いだけれど、いずれ絶対遭わなければならなかったわね──」

「……? それはどういうことでしょうか?」

ツバキの言葉に首を傾げるレーベン。

「ああ、別にあなた達は気にしなくても良いわ。それよりも……あなた“気付いた”かしら?」

 ツバキはふいに感情の読み取れない面持ちで、己の胸の前へ翳すように、自らの手を持ち上げながらレーベンに何かを問う。

 彼女の意図するところを的確に読み取ったレーベンは、それに首肯で答え「口封じに殺しますか?」と、肩を竦めてみせた。

「そうね。もしもあなたが面白半分で“それ”を吹聴するのなら、そうするかもしれないわね。──ま、くれぐれもお忘れなきよう」

 ツバキは「話は終いだ」と言わんばかりに、腰掛けていた寝台から立ち上がると、そのまま扉からスタコラ出て行こうとし──、その行動に目を剥いたのは成り行きをじっと見つめていたアマラだった。

「あ、アンタまさかその格好で出歩く気!?」

「さすがにやめたほうがいいと思いますけどー」と寝台の横でポリポリ頭を掻くレーベン。

 包帯を身体に巻いただけの半裸で、今まさに扉から出ようとしていたツバキはほんの一瞬だけ足を止め──。

「なんで?」

 と首を傾げ──、呆気にとられる天使二名の目の前で彼女の出て行った扉がパタンと閉まった。

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