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1ー1



かごめかごめ

  うしろのしょうめんは、だれ──?


 広大な平野の一角に、古びた時計塔を中心とした、円状に広がる城塞都市がひとつ。

 その城塞都市をぐるりと円環状に囲む、福音の壁と呼ばれる七層の壁は、人に害成す魔物と人間の生活圏を隔て分けるものであり、また、その壁上は人間の貨物等の輸送線、そして有事には砦としても使われている。

 都市の中央から最外壁まで、波紋のように聳える七層の壁の内側は、それぞれの円環内ごとに気候風土が異なっており、人々に多種多様な恵みや試練をもたらしていた。

 そんな城塞都市ドレストボルンの最も中央。

壁ごとに中心から番号が振られている、第一都市レムベルグで物語の歯車はゆっくりと回り始めていた。



一 物語の始まりは



 木組みの壁に黄色の鮮やかな煉瓦屋根が映える民家が整然と建ち並ぶ第一都市レムベルグは、春特有であるうららかな正午の日差しに照らされ、街のあちこちに設けられた花壇に植えられている花々の、甘く華やかな香りが街全体に揺蕩っている。

色めく花の香と春の陽光に、冬場はどうしても家に閉じこもりがちだった街の女性達は、井戸端で集まり、噂話に花を咲かせ、街のパン屋に併設されたテラスでは、仕事が休みなのだろう男性達が集まり、銘々に休暇を楽しんでいるようだ。

 そんなレムベルグの一区角に建つ、いかにも歴史の古そうな学園もまた例外ではなく、春の陽気に包まれ、ゆったりとした時を刻んでいた。──のだが。

「あーっ! こんなとこにいたのだわ!」

 突如として響いた甲高い女の怒声に、春の静寂も校庭の木枝でうたた寝をしていた愛らしい小鳥達も空の彼方に飛んでいってしまった。

「コラ、ツバキ! アタシ今朝、校門で言わなかった!? お昼に食堂で待ってるって!」

 声の主はなだらかな青空の下、腰ほどまで伸びた癖のあるツインテールの金髪を揺らしながら喚く。うねる金髪に縁取られた輪郭の内側で吊り上げている大きな青い瞳にも、約束をすっぽかしたらしい相手への文句が五万と浮かんでいるようだ。

 だが、今まさに金髪の少女から怒りの矛先を向けられている対象はというと──、

「ふわぁ……うるさいわね。聞いてた聞いてた。そんな怒らなくても、ちゃんと聞いてたわよ」

 ──と、少女の怒りなどどこ吹く風といった様子で、声に欠伸を滲ませる。

傍目に見ても、否──、傍耳に聞いても「めんどくさい」といった感情を、その声に含んでいる『ツバキ』と金髪の少女に呼ばれた者は、読みかけだったのだろうか、中程の(ページ)を開いた状態で己の顔に被せていた植物図鑑を(おもむろ)に手に取ると、寝転がっていた身体をゆっくりと起こした。

「何があったか知らないけれど、イライラなんて百害あって一利なし、よ?」

──と、金髪の少女へ半分喧嘩を売りながら。



身体を起こした少女──ツバキは一度大きく伸びをする。

 学園の首席のみが着用できる白いブレザーの胸元に、伸びをしたことにより、するりと落ちる、切り揃えられた長く癖のない濡れ鴉の髪は艶を放ち、また、宙へと伸びるそのしなやかな四肢は透き通るように白い。

 仙姿玉質と例えるに相応しいような、とても見目麗しい少女ではあるのだが、──伸びを終え、尚未だに眠気の残る目をしょぼしょぼさせる彼女の、その(けぶ)る睫毛の奥に覗く黒曜石の如き瞳には、睡眠を妨げられたことによる不機嫌の色がありありと浮かんでいた。

 そして、そんなツバキの隣では──同じく安眠妨害をされたのであろう。ツバキの連れていると思しき黒猫が一匹、その金眸に批難の色を宿しながら金髪の少女を見上げている。

だが、そんな一人と一匹の不機嫌など気にしていられない程に立腹中の金髪の少女は──、

「何があったか知らない……ワケないじゃない! アタシの話ちゃんと聞いてたって言ったわよね? なら、聞いてたくせにアンタは何で食堂に来ずに、こんな屋上で寝てるのよ!?」

 ──と、怒りに震える己の心を落ち着かせるように、自身のこめかみに手を当てながらツバキへと問う──もとい、喚く。

 意図して約束をすっぽかされたのだとすれば、彼女のその怒りも当然といえば当然のことだろう。むしろそれでも尚、事情を問う辺り、彼女の寛大さが見て取れるというものである。のだが──。

 問われたツバキはというと──、

「聞いたけれど、返事はしていないわ。それに、聞いてからだいぶ時間も経ってる。意図的に覚えていなくても仕方ないわよ」

──とのことで。

 悪びれる素振りすらなく「ねえ、カゲロウ」と隣で座る黒猫──カゲロウの名を呼ぶツバキ。

問答の破綻している主人と一緒にされたくないのだろうカゲロウは、

「ボクは行けって言ったから、言ったからね!」

──と、子供のような甲高い声で自分は無実だと主張した。どうやら人語を自由に操る彼は普通の猫ではなさそうだ。

「あら、言ったかしら? まあいいわ。どの道行く気はなかったし」

 黒猫からの賛同を得られなかったツバキは涼しい顔でそう(のたま)い──、

「くあーっ! 頭きた!」

 その弁明どころではない傍若無人な返答に、金髪の少女が全身全霊で抑えに抑えていた怒りはいとも簡単に爆発した。

 わなわなと拳を震わせる金髪の少女。──と、怒れるその手にずっと握られていた哀れな茶色の紙袋が、力の篭った拳の中で、くしゃりと潰れる。

「ツバキ、謝ろう! そうだ謝ろう!」

 激怒する金髪の少女と、己が主であるツバキを交互に何度も見返し、慌てるカゲロウにツバキは一言──、

「二回も同じこと言わないで。面倒くさい」

 ──と、さも面倒そうに返した。

「にゃす……」

「は!?」

 ツバキの言葉に黒猫はしょんぼり項垂れるが、金髪の少女は猫とは違い、大人しく項垂れる性格ではないようで。

 頭から湯気が出るのでは、というほどに怒り狂った金髪の少女は、びっと目前の憎き敵に人差し指を突きつけた。

「わかったわツバキ、アンタ地獄が見てみたいんでしょ。奇遇にも、今アタシも地獄への扉を開きたいと思っていたとこなのだ──わッッ!?」

 言葉を全て紡ぎ切るよりも早く、金髪の少女の目が驚愕に見開かれる。

 彼女はツバキへと詰め寄るべく踏み出そうとした己の足が、自身の意思に反して全く動かないことに気付いたのだ。

 その感覚は足を押さえ付けられているといったものでも、足底が石畳に貼り付いているといったものでもなく──。

「え? えええっ!?」

 一体今までどうやって足を動かしていたのか。筋肉にどう神経の伝達が行っていたのか、関節はどう曲がっていたのか。全ての感覚が分からなくなり、金髪の少女はただただ困惑したような声を上げる。

 自力では動かせない借り物の足にいつの間にか替えられてしまったかのような、己の一部のはずなのに、その実、己の意のままに操れない足に、彼女の頭は混乱を極めた。

 だがそんな、今まさに混乱の真っ只中にいる彼女でも、理解できることは一つだけある。──それは、自身の身に起こっている不可解な現象を引き起こしている犯人が、目の前にいるということだ。

「こ……のぉっ!」

 なんとか動かせないものか、と紙袋を放り捨て、己の脚を両手で掴み、根菜を土から引っこ抜くかの如く、彼女は己の脚を懸命に引っ張るも、やはりその足は動くことはなく。

疲労がだいぶ溜まってきた金髪の少女は肩で息をしながら、己の足元をキツく睨み付け──、

「影、踏ーんだ」

 ──足元では腕を伸ばしたツバキが人差し指と中指を合わせ、己から伸びる正午特有の短い影を押さえていた。

 ツバキに己の影を押さえられた少女は「やはりか」と言わんばかりの表情を浮かべるも尚、諦めることなく、脚を引く腕に力を込め続ける。──が、やはり己の脚は全く言うことを聞いてはくれないようで。

 疲労が汗となり、金髪少女の頬を伝う。

頬を伝う汗に、彼女は一旦脚から手を離し、紺色のブレザーの袖で伝う汗を拭った。──次の瞬間、ずぶりと奇妙な音が辺りに響き──。

「きゃあッ!?」

 足元の感覚がふいにおぼつかなくなった金髪の少女は、何が起きたのかと己の足元を目視し──驚愕に目を剥いた。

驚愕する彼女の視界の中では己の足が、まるで泥沼に沈み込むかのように、ゆっくりと(くるぶし)ほどまで、自身の影に沈んでいたのである。

 恐怖と平衡感覚の欠如で、がくがくと大笑いする膝を押さえながら、なんとか金髪少女は足を影から引き抜こうと懸命にもがくも、彼女の意思に反して脚は沈みゆく一方で。

 粘着質な、コールタールの底無し沼に脚を突っ込んだかのような不気味な感覚に、金髪の少女は全身総毛立った。

「ま……待って! 待ってってば!」

 青ざめる金髪少女の、その制止の叫びを聞いてか聞かずか、ふいにその影からツバキの白磁の指が離された。──その瞬間、急に自由が利くようになった己の足に、自身が先程までかけようとしていた、足を引く力が一気に加わり──、

「いだあっ……っ!?」

──彼女は背中からもろに転倒した。

 転んだままの仰向けの体勢で見上げた、金髪少女の視界に映るツバキは──、

「何? 地獄が見たいんじゃなかったの?」

 ──と不思議そうに首を傾げている。

「そ、そんなの冗談に決まってるのだわ!? 何ホントに殺そうとしてるワケ!?」

 呼吸を整えながら、涙目で身を起こす金髪の少女を眺めていたツバキは、一度くすりと笑うと、ひょいっと肩を竦めて見せた。

「何言ってるのよ。私があなたを殺すワケがないじゃない、ローザ。ちょーっとばかし、地獄めぐりのお手伝いをしてあげただけよ」

 楽しかったかしら、と問いかけてくるツバキに、後頭部を(したた)かに打ち付けた涙目の少女──ローザ・フォン・ヴァイセンベルガーは拳を震わせ、

「いらないのだわ、そんな手伝い! それに今のは楽しいとか云々以前に、下手しなくても死んでた恐れは充分にあるのだわ! アンタのちょっとは常人の本気以上だからね!?」

──と、文句の限りを吠え立てた。

「死んでた恐れって……相変わらずあなたは大袈裟ねえ。将来の夢じゃないのだから、別にそんなわざわざ大袈裟なことを言わなくてもいいのに」

「大袈裟どころか、これでもかってくらい控え目に言っているのだわ!」

 ツバキから差し伸べられた手を掴み、上体を起こすローザ。

そんな身体を起こしたローザの肩へと、成り行きを見守っていたカゲロウが、ひょいと飛び乗り、彼女の打ち付けた後頭部へとその鼻面を寄せ──「大丈夫そだね」と一匹呟いた。



「全く……潰れちゃったのはアタシのせいじゃないからね?」

大きなため息を吐きながら、ローザは石畳に打ち捨てた潰れた紙袋を拾い上げ、袋の中をまさぐる。

そして、取り出した褐色の何かをローザは、先ほどのお返しだと言わんばかりに少しだけ強めにツバキへと放り投げ、──べしょっ、と小気味よい破音を立てながらそれは見事にツバキの顔面へと命中した。

「……」

 沈黙するツバキの白い左頬を、ずり、と脂の乗ったひき肉のパテがずり落ちる。

 彼女の顔面を直撃した、まだ少しホカホカの湯気立つそれは、学園の食堂で三番人気を誇る惣菜パンだった。

 肉汁たっぷりのひき肉のパテや新鮮な野菜がぎゅうぎゅうに詰められているそれは、大変食べごたえがありながらも、片手で手軽に食べられる。そんなところが食べ盛りであるが、食事の合間にも勉学に励みたい、そんな生徒達の心をがっちり掴んで離さない。

 図らずも、そんな人気の惣菜パンで友人をパイ投げ改め、パン投げの的にしてしまったローザの顔が「しまった」と言わんばかりに引き攣った。

 ツバキは変わらず無表情のまま、己の左手指でパテを頬から引き剥がしたが、残念なことに、既にその頬にも髪にも飛散した刻み玉葱やらキャベツやらこってりとしたソースやらがへばり付いており──。

「あわわ……!」

 カゲロウも「マズい」の一言を貼り付けたような顔で、全身の毛を膨らませて主の顔を見上げている。

 ──刹那、ツバキのなめらかな髪をぐちゃぐちゃに彩ったソースが垂れ、石畳に黄色と赤の混ざったスパイシーな香りの模様を描いた。

時間をかけて彼女の髪にソースの道筋を切り開いたその一滴目の道を利用し、次いで二滴目、そして三滴目と、ソースはぽたぽたと石畳に更なる模様を描いてゆく。

「その……、あの、避けると思って……」

 しどろもどろになりながらも、二度目の命の危機だけは回避したいらしく、必死に弁明するローザ。

 ──と、ようやく現状を理解したのだろうツバキは、それはもう緩慢な動きで、ローザを振り返り──、

「し……死んだのだわアタシ……」

──覚悟を決めたローザに、ツバキは薄い笑みを浮かべながら、頬から引っ剥がしたパテを右の人差し指で指差した。

そして──。

「これ、くれるの? 今食べていいの?」

 どうやらパンをぶち当てられた張本人であるツバキは思わぬ差し入れ(ほぼ四散済み)にご機嫌のようだった──。

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