入学式
4月、ルノア魔法高等学園の入学式当日。
入学式が始まるまで残り1時間の頃、アーサー・エドワード・レギナモルガンは、自分を『ネメシス』まで連れてきてくれたメイザース・レギナモルガンの私邸で、探し物をしていた。
「あれ、おかしいな。僕の『学生証』が見つからない」
銀の髪の毛を揺らし、眉をひそめる。
入学が決まるのと同時に配布される『学生証』は、持っていなければ学園内の敷地を踏む事すら出来ない。
再発行してもらうにはそれなりの手順と金額を必要とする為、少なくとも入学式や、授業には間に合わないだろう。
刻々と迫る時間に追われながら必死に自分が『学生証』を置いてしまいそうな所を探し回るのだが、いかんせん、この邸は馬鹿みたいに広い。
5階建であると言うだけでも厄介なのに、魔法的な建築をしているため、部屋の総数が200を超えているのだ。
「ここでも無い・・・か。やばいよね・・・というか、枕元に置いておいた筈なんだけど」
アーサーは、昨晩確かに学生証を自分の頭の側に置いた覚えがある。だが、事実に反してそれは消えており、こうして2時間近く探し回っているのだ。とは言え、嘆いても仕方ない。
次の部屋に行くため廊下に出ると、一人の女性がアーサーの視界に映る。
「あら、アルス。おはよう」
「あ、リリーナさん、おはようございます」
「そんな、他人行儀な言い方しないで?お母さんで良いわ。なんだったら、お義母さんでも良いわよ」
「あ、あははー」
彼女は、リリーナ・レギナモルガン。
レギナモルガン家当主、メイザースの妻だ。
ほんわかした、周りを落ち着かせるようなタイプであり、美人ではあるのだが非常に親しみやすい印象を受ける。
約一年前にメイザースが突然連れてきたアーサーを、まるで我が子のように扱ってくれており、このようなやり取りも既に何度繰り返されたかわからない。
最近、お義母さん呼びをさせようとしており、アーサーも反応に困っている。
「はっ、それより、僕の『学生証』見ませんでしたか?」
「『学生証』?それなら、今朝メイスが持ってたような・・・あ、そういえば伝言を頼まれたの。書斎に来てくれ、って言ってたわよ」
「分かりました。伝言、ありがとうございます」
礼を伝えてから、書斎に向かって歩き始めたアーサーに後ろから声がかけられた。
「アルス、制服似合ってるわよー」
「どーもです」
振り返りつつ、軽く頭を下げてからアーサーは自分の格好を省みる。
視界の邪魔にならない程度に切り揃えられた生まれつきの銀髪、男というには少々可愛らしい顔立ち。
黒のズボンに白いワイシャツ、その上からパーカー付きの黒いケープを纏ったその姿は創作物の中で見られる魔法使いのようだ。
とはいえ、リリーナは恐らく我が子に対しても、アーサーに対しても悪い事は言わないので、この評価をあてにするべきでは無いなと、思い直して書斎のドア脇に取り付けられているインターフォンを鳴らす。
「アーサーです」
「入って良いよー」
解錠の音がなったスライドドアが開くと、そこには本の世界が広がっていた。
空に浮かぶ本棚や、壁一面に敷き詰められた本達、というより、そもそも部屋の中が外観の面積と一致していない為、恐らくこの部屋自体に魔法が組み込まれている。魔法すらも駆使して部屋の中に詰め込まれた無数の本に囲まれているのは、メイザース・レギナモルガン、この家の持ち主だ。
「おはよ、アルス」
「おはようございます。メイザースさん」
「他人行儀だね、お父さん、もしくはお義父さんでいいよ」
「メイザースさん、リリーナさんと同じ事言ってます」
「まあね、僕達おしどり夫婦だから」
メイザースは有名な魔法使いの中でも、愛妻家として殊更に有名な人物である。
というのも、魔法使いのトップになるような生き物は、自己研鑽にのみのめり込む傾向が強く、結婚も子孫を残す為という意味合いが強くなってくるためだ。
「それと、これ渡しておこうと思って」
「僕の学生証じゃないですか」
ジャージ姿で寛いでいたメイザースが近くの本棚に載せていた黒いカードをアーサーに渡す。
「昨日渡した奴のままだと、学生証としての役割しか果たさないからね、色々とめんどくさいのを省くために、それ一つでキャッシュも、パスポートも保険証も兼任するようにしたから無くさないように」
「あ、それはどうもって、だったら言ってくださいよ。家中探しましたよ」
「あれ?ソラノに伝えておいたんだけど」
「ソラねえはダメですって、僕が起きた時、普通に寝てましたよ。隣で寝ててめちゃくちゃびっくりしたんですからね」
ソラノリア・レギナモルガン、レギナモルガン家の令嬢である彼女は、アーサーより一つ年上の少女だ。
とある事情から、学年を一つ飛ばしているアーサーとは同学年になるため、彼女も今日が入学式である。
「ありゃ、失敗したか。で、隣であんな可愛い子が寝てたんだから、手は出したんだよね?」
「そんな事しませんって!男子をみんなケダモノか何かだと思ってるんですか!てか、あんた、自分の娘でしょ!」
楽しそうにケラケラと笑うメイザースは手が汚れないように魔法でチョコレートを口に運ぶと、腕時計をアルスの方に向けた。
「まあまあ、それより、そろそろ家出ないと間に合わないんじゃない?」
「え・・・?うわ、やばい!メイザースさん、学生証ありがとうございます。じゃあ、行ってきます!」
「いてらー、あ、制服似合ってていいと思うよ」
「リリーナさんにも同じこと言われました!」
急いでいるくせに、馬鹿丁寧に扉を閉めたアーサーを見送ってから、メイザースは再び本に視線を落とした。
♢☆♢☆
「入学式に遅刻はやばいよ!急いで、ソラねえ!」
「あれ?なんで私は制服なの?もしかして、着替えさせてくれたの?」
「なわけないでしょ!?」
書斎から飛び出したアーサーは、不安に駆られて、自分の寝室を訪れたのだが、案の定、自らの姉は気持ち良く夢の世界に滞在していた。
父親譲りの白い髪を持つ美しい少女は、自分を起こすために身体を揺さぶっているアーサーの腕を取ると、ベッドに引っ張る。
「ん?」
「一緒に寝よう?」
そのまま、ベッドに引っ張り倒してしまえばアーサーはちょろいから、そのまま一緒に寝てくれるだろうと、いう浅はかな考えからの行動であった。
だがーー
「あれれ?」
「何してるのさ」
結果として、アーサーの腕に釣られて上半身を起こすことになったソラノは首を傾げる。
「まあ、いいや。起きたのなら、さっさと学校に行こう?遅刻しちゃうよ」
「今日は休みじゃないの?」
「いや、入学式ィ!何忘れてんの!?てか、制服着てるじゃん!」
頭を抱えたアーサーは、彼女をベッドから下ろしつつ、手を引いた。
「さ、行こう」
『ネメシス』で荷物の類を持っていく必要性は殆ど無い。
魔力さえ使えるのであれば、転送魔法で幾らでも持ってこれるからだ。
誓約こそいくつかあるが、それを差し置いても非常に便利な世界である。
ソラノも少し乱れた髪の毛を手櫛で直しつつアーサーの後をついてくる。
「じゃあ、行ってきます」
「行ってくる」
使用人の数人に挨拶を済ましてから外に出れば、この1年で見慣れた景色、さりとてアーサーにとっては何度見ても、感動的な景色が広がった。
建ち並ぶ高層ビル群、凡ゆる場所を繋ぐモノレール用の線路、空にはホログラムによる広告が所狭しと映されており、所々に設置された街路樹の緑が白い街に彩りを与えている。
常に清掃用のロボットが徘徊している歩道には、色々な制服を着た生徒達の姿があるのだが、やはり『ルノア魔法高等学園』の制服を着ている二人は否応無しに注目されてしまう。
更に、二人の容姿が飛び抜けて優れていた事も相まって、時折写真を撮る音まで聞こえてくる始末だ。
お陰で通学中、アーサーは移動系の魔法で移動してしまいたくなるのを必死に堪えることに忍耐を使う事になった。
♢☆♢☆
『ルノア魔法高等学園』は本校舎と呼ばれる建造物の他に、7つのキャンパスを持つ学校だ。
と言っても、8つの建造物が一つの場所に固まっている訳では無い。
『ネメシス』を構成する大小様々な船の根幹を成す中央の巨大な船『エンタープライズ』。
幸運の名を冠した空母の名前を授けられたそこに本校舎を構え、他の校舎は別の船に存在するのだ。
それぞれの校舎に一瞬で移動する手段を持つ『ネメシス』だからこそ成せる技である。
「眠たい・・・」
「入学式で寝たりしないでよ?」
校舎前に設置されたゲートを潜ると、二人の指に付けられた『グノメス』に『登校状態』になったのだという通知がきた。
これは授業のサボりや未報告の早退を無くすための措置であり、ついでに下校せずに学校に残る生徒をしっかりと監視する目的もある。
『ネメシス』の外では携帯端末として扱われている『グノメス』だが、ネメシス内では、これこそが身分証明に近い扱いになっているのだ。
やたらと広い校舎内を歩き回り、講堂に辿り着いた二人は自分達の席を適当に見繕う。
「ここは駄目、あそこから一番意識の外になるようにしなきゃ」
まあ、アーサーとソラノの『適当』は意味が違ったが。
「寝そうになったら、僕が起こすよ」
「駄目、寝たいの。一緒に寝てもいいよ」
「話が通じない・・・」
呆れながらも、彼女に付き合い続けるアーサーは人が良いと言うべきか。
ソラノはどうやら、納得できる場所を見つけたようで講堂の壇上から見て最後尾から3列目の左端に向かう。
アーサーもそれについて行こうとすると、ソラノが座ろうとした席に先に座る影があった。
「あ、別の場所にしようか。それか、あの前でも良いし」
「大柄の人が座ると目立つ可能性があるから駄目」
「そこは拘るんだ・・・でも、そろそろ人が増えてきたし、座らないと席が無くなっちゃうよ?」
「ん、じゃあ、ここで良いや」
ソラノは中央の最後尾列に腰を掛ける。
講堂は壇上に向かって、傾斜を作るような設計であるため、壇上から諸に見られる形になるのだがいいのか?と、アーサーがソラノを見るが、彼女は既に眠りについていた。
「早い・・・まあ、いいや。僕もここに座ろう」
アーサーが座るのと同時にソラノの小さな頭が彼の肩に乗っかる。
スースーと気持ちよさそうに寝息を立てている彼女だが、本当は起きてるんじゃないのかと疑いたくなるタイミングだ。
ただ、それでソラノを起こしたら、それはそれでめんどくさい事になりそうなのでスルー、彼女に成されるがままにする。
「何や、可愛らしいカップルやんなぁ」
背後から声を掛けられてアーサーが振り向けば、そこには随分と細い目をした日系男性が立っていた。
「貴方は?」
「隣、失礼するで。あ、僕は和鏡 響也言います、よろしゅう」
「僕は、アーサー・レギナモルガン・・・」
「へえ!レギナモルガンって、あのレギナモルガンかいな!?」
アーサーが自己紹介を終える前に、響也は食い気味に被せてきた。
やけに訛りの強い日本語を使う彼は、アーサーの手を取る。
「僕、メイザースの大ファンなんや!あの人の魔法はいつだって、僕の目標なんです、いやー、息子さんに会えるなんて感激や!あれ、でもメイザースさんには娘さんしかおらんかったような?」
「それは・・・」
アーサーが答えようとするが、それよりも先にアーサーの背後から不機嫌そうな声が答えた。
「アルスは、1年前にお父さんが外から拾ってきた私の家族。それと、うるさい」
ソラノはあまり、家族以外の男性には心を開かない。アーサーは最初から話せたのだが、少なくとも他の男性が気安くソラノと喋ることは無い。
その為、初対面でこれだと響也と仲良くなれないんじゃないのかとアーサーは心配するが。
「あら、彼女さん起こしてしまいましたな。すんません」
その言葉を聞いたソラノは「彼女・・・」と、呟くと、
「ん、いいよ。許してあげる」
そう続けて機嫌良さそうにアーサーの足に頭を乗せた。
肩に乗せていると眠りづらかったらしい。
「いやー、悪い事言いましたわ、すんません。まあ、それでもアーサーっちゅう人間と仲良くなりたいって気持ちも本物や。これから、よろしゅうな」
「はい、こちらこそ宜しくおねがいします」
「はは、敬語て。ウケるわ、うちはそんな敬語使われるような人間じゃありませんて」
「お兄は使う側の人間だもんね」
二人の背後から声が聞こえると、響也の首に細い手が回されて、その頭には顎が乗せられた。
「そうそう、ウチは誰にでも媚びへつらい、必要があれば年下に媚びを売る、ってやかましいわ!」
「そんなに言ってないんですけど」
響也にのしかかるようにした少女は、そのまま華麗に椅子を飛び越えて、響也の隣に腰を下ろす。
彼女は赤縁の眼鏡の位置を直すと、アーサーの方に向き直った。
「和鏡 花代、お兄とは双子なの、よろしくね」
「アーサー・レギナモルガンです。よろしくお願いします」
「レギナモルガン・・・もしかして、訳あり?」
花代は声を小さくして、アーサーの方に顔を寄せる。
すると、響也が補足で説明をした。
「ほえー、そんな訳が・・・てことは、そこの寝てる子が?」
「そうですね、ソラノって言うんです。後で自己紹介しますよ・・・多分」
「多分なんだ・・・」
そんな事を話していると、突然、照明が落ちる。
壇上にはいつのまにか一人の男性が立っており、スポットライトが彼の姿を照らす。
不思議な印象を与える男性だった。
痩せ細っているのに、逞しい。老いているのに若々しい。
隙だらけのようで、隙がない。
不完全であるのに完全であるようにも見える。
「まずは自己紹介からさせて貰おう。私はレヴィ・ルノア、今年から校長を務めさせてもらう事になった」
生徒達のざわめきが大きくなる。だが、それも仕方のない事だろう。
サプライズにしては少々、タチが悪い。
レヴィ・ルノア、彼の噂は良いものも悪いものも、数えたらきりが無い程に存在する。
眉唾物な噂ばかりだが、この人物ならやれてしまうだろうという妙な確信を皆が持った結果、彼は最早、魔法使いの中でも一段抜けた存在として扱われていた。
「ふふ、そう身構ないでほしい。別にとって食おうという訳じゃ・・・『無いんだから』」
瞬間、空気が震えた。
言葉の端々に誰も気づかないように詠唱を加えて、大規模な魔法を発動したのだと、アーサーは気づいた瞬間に自分の周囲を魔力で覆う。
魔法での対抗は間に合わないと判断してのものだったが、結果としてはそれで正解だったらしい。
席に座っていた半数以上の生徒が意識を失っており、残った生徒達を一瞥したレヴィが拍手を送る。
「今年は優秀なのが多いようだね。これと同じ事を2年にやったら、3割ほどが倒れたんだが、少なくとも残った君らは、それ以上には優秀だ。私は不平等と差別と優秀な子供が好きでね、残った君達の事を不平等に覚えよう。倒れた生徒は、不平等に差別しよう。ここでは、何よりも実力が優先される。その事を脳裏に刻みつけておくように・・・では、これで入学式を終わろう」
レヴィが壇上から降りると、意識を失った生徒達が看護型ロボットに搬送され始めた。
この後は確か、部活動や研究会などの生徒活動の見学であった筈だが、一体彼らはどうなるのか。はたまた、それもまたレヴィの言う不平等なのだろうか。
「あ、みんなは・・・」
周りを見れば、和鏡兄妹は二人とも余裕そうにグノメスを弄っており、ソラノは不機嫌そうながらも、しっかりと起きていた。
「無理矢理起こされた。最悪」
ソラノが不機嫌そうに呟くと、響也が楽しそうに笑う。
「楽しそうな学校やないの。俺はこんくらいのスリルがあった方が楽しいと思うで」
そして、その隣に座る花代も仮装ディスプレイから目を離す事なく呟く。
「みぎどー、中学の仲良しこよしよりは楽しそう」
どうやら、アーサーの知り合い達は中々に図太い神経をしているようであった。
♢☆♢☆
講堂から出たアーサー達は広い敷地内を歩いて、『第二魔法演習場』と呼ばれる巨大な建物を訪れていた。
ドーム型のそれは内部に空間拡張の魔法を掛けているため、見た目以上に広い空間を保有している。
また、『ネメシス』の中でも7箇所しかない上級以上の魔法を無制限に放てるフィールドとして、魔法競技会などの開催場所にもなる場所だ。
「ここって、『魔法研究会』の場所ですよね?」
完璧に眠ってしまったソラノをおんぶしたアーサーが尋ねる。
背中で気持ち良さそうに寝息を立てている彼女は最早、眠ったふりではなく、ガチ寝であった。
「せや、毎年ほぼ全生徒がこの研究会に入りたがっているらしいやん?自分も見てみたくてな」
響也が楽しそうに答える。
すると、花代が続けた。
「それに、ここって余りに志望者が多過ぎて、試験を行うから、『ルノア学園』第二のふるいだっていう噂もあるらしいじゃん?だから、入る入らないは別として、手っ取り早く一年の中での優劣も決めてみたいし」
好戦的な少女だなぁと、アーサーは苦笑いするが、確かに一年の中で、自分が今どの辺りにいるのかという所には興味がある。
今日は見学だけらしいが、試験の事についても聞こうかな程度には考えていた。
「ほな、入ろかー」
響也がスライドドアを開いて入り、アーサー達も続く。暫く薄暗い廊下を歩いて、奥のドアを開けるとそこには青空が広がっていた。
青空だけではない、地面は芝生になっており、何処までも続くような草原の奥には山なども見られる。
「ほう、部活見学か」
そんな景色に見入っていた三人と、眠っている一人に声を掛けてきたのは、赤黒い髪の毛を適当に切り揃えた男性だった。
浅黒い肌に、鋭利な赤い瞳を持つ彼は口元を緩めると、
「ようこそ、『魔法研究会』へ」
優しげな表情で彼らを歓迎した。