0話 マイナス9カ月
1話目の9カ月前の話です。
世界観をある程度書いた物なので、主人公は出てきません。
東京湾の埠頭、数台のボートが並ぶ桟橋に腰を下ろした少年、四宮真琴は海に足をつけて小さな波紋を作る。
日光を反射して眩しく煌めく日本海は、昔では考えられないほどに透き通っており、底まで見通せるほどにクリアだ。
強く吹き付ける風が雲を遠く離れたアメリカの空へと押し流していき、クークーと、不規則に鳴くウミネコたちが羽を休めるために、真琴の傍に降り立った。
口をあけっぱなしにして置いておかれたビニールの入れ物から、勝手にパンを取り出して啄むウミネコたちの頭を真琴がなでるが、彼らが逃げ去っていく様子はない。
穏やかに流れていく時間、足を撫でる柔らかい海の感触、真琴はそれら全てが好きだった。
「あー、いけないんだ。こんな所でサボっちゃって」
「アーシャ・・・」
海を眺めていた真琴に背後から声がかけられる。
色素の非常に薄い髪の毛を腰まで伸ばし、雪のような美貌を持つ少女だ。
「何してたの?」
ウミネコを挟んで、真琴の隣に座った彼女は潮風でなびく髪の毛を抑える。
真琴と同じ制服で、下はスカートなのだが残念というべきか、用意周到というべきか、髪と同じようになびくスカートからチラリと見えるのは、スパッツであった。
「別に何も・・・強いて言うなら、海を見てたんだ」
「海を?」
「昔さ、海は汚染が酷くて、海の水を飲むどころか、入る事も出来なかったって昨日の授業で言ってただろ?」
「あー、そんな事も言ってたね」
「で、改めて海と向き合ってみようかな・・・と」
無論、でっち上げであったが、別に少女も目的があってその質問を真琴にした訳ではない。
興味無さげに「ふーん」と呟く彼女の視線は手元の仮装ディスプレイに移っていた。
仮装ディスプレイを作り出しているのは、指輪型の携帯端末『グノメス』ーーギリシャ語で『知性』を意味する言葉のグノーメーが由来だーーである。
それの利点は、まず、指輪程度で収まるその小ささ、次に水圧にも電磁波にも衝撃にも強いその耐久性、そして経年劣化せずフル充電で二日は使えるその持久力、全ての点において過去の携帯端末を置き去りにした究極の携帯端末だ。
「俺にサボりとか言っておいて、お前は何なんだよ」
苦笑いで真琴が少女に呟く。
本日は平日であり、学校の創立記念日でも無ければ、振替休日でもない。つまり、学生である彼らは学校に通っていなければおかしいのである。
「私は真琴を探しに来たの、学級委員長として当然の仕事だから、これはサボりじゃありません」
「先生にその説明で通したの?」
「うん」
「承認されたの?」
「返事は聞いてませーん」
反省した様子もなく、靴を脱いだ彼女は真琴と同じように、海に足をつける。
真琴は呆れたようにため息を吐くと、再度海の方に視線をやった。
彼方の視線の先には浮かぶ巨大な船がある。
いや、サイズ的には船というより島といった方が正しいか。
縦幅4km横幅1kmの巨大戦艦を中心として、無骨な鉄橋で橋渡しされた無数の船達、船の上にはいくつもの建造物が建てられているだけでなく、人口樹林なども作られており、更には、あらゆる国家から独立している。
つまり、あそこは、日本海に浮かぶあの船群はアメリカでも無ければ、日本でもない、一つの国家なのだ。
「とは言え、そろそろ戻らなきゃかもな。先生もカンカンだろうし」
「え、私、抜け出して来たばっかりなのに」
「知るか、俺は十分休んだよ。お前は休んどけばいいだろ」
「駄目だよ、真琴が居ないとつまんないし・・・はあ、私も戻ろ」
少女と少年は立ち上がり、濡れた足元に手をかざす。
すると、それだけで濡れた足は乾き、析出した塩がパラパラと落ちた。
「もー、もー、どうしてこう真琴は私の事をわかってくれないのかなあ」
ブツクサと言いながら、少女が腕につけたブレスレット型の端末を操作すれば、彼女の手元に彼女の背丈ほどもある、槍のような何かが出現する。
特殊合金で作られたそれは、軽さと丈夫さを高い次元で成立させた『魔力兵装』と呼ばれる、現代の『魔法使い』にとっての杖であり、空を飛ぶための箒だ。
「人の心なんて簡単には分からん。ましてや、お前のような奇天烈さんは言うに及ばずだ」
少年もまた、彼女と同じように『魔力兵装』を手元に持つが、純白である彼女のそれとは違い、真っ黒であり、形状も細部に違いが見られる。
「真琴に奇天烈さんなんて言われたら、終わりだよ」
「何か言ったか?」
「何も言ってないよ」
ジロリと睨んだ少年にキラリ、といい笑顔でピースしながら返した少女は箒に跨るように、『魔力兵装』に乗ると、そのまま飛翔した。
当然、浮かび上がる最中に中身がスパッツであるとしても、鉄壁のスカートの中身は見せない。
少年は自らの持つ魔力兵装を低空で軽く投げ飛ばすと、桟橋を走ってそれに追いつき、スケートボードへ乗るように飛び乗る。
そして、先を行く彼女に追いついた。
空を行く彼らの行き先は、海上都市国家『ネメシス』。
世界で唯一の『魔法国家』である。
♢☆♢☆
『魔法使い』、その存在は、17歳であった一人の少年、『アダム・ルノア』が世界が抱える難題の一つ、核廃棄物を処理した事で世界に広く認知されることになった。
人知を超えた奇跡の力、至近距離で放たれたミニガンの弾丸全てを指で摘める程の身体能力、個人で軍隊を相手に出来る程の力を持つ。文字通りの『一人の軍隊』であったアダムは、行動で自らの友好を示した。
先の核廃棄物処理に始まり、大気汚染問題、エネルギー問題、海の汚染問題、それらの難題を彼と彼の同類で成し遂げたのだ。
そんな彼らの力を恐れ、問題を解決した後、米軍は攻撃を仕掛けたのだが、アダム達はそれらを擦り傷一つ負うことなく、逆に軍隊を壊滅させた。
そして、その上で彼らは友好を示して世界に新たな国家の設立を打診したのだ。
その名は『ネメシス』。
魔法使い達だけで作られた魔法使いによる魔法使いの為の国家。
当然、自らに非がある上に、武力ですら叶わないと悟った世界連合はこれを承諾、かくして、世界初の『魔法国家』は誕生したのだ。
「・・・と、言う事ですよね。先生」
授業をサボった真琴は、補習という事で教室に残されて居たのだが、歴史の授業を行おうとした先生の目の前で、『ネメシス』の成り立ちを何の教材を見る事もなく言ってのけた。
「・・・『ネメシス』設立承諾の際に非魔法国家と、『ネメシス』の間で結ばれた条例は?」
「衛星による監視、こちらからの宣戦布告の禁止、魔法使いによる犯罪者が出た場合、『ネメシス』の全戦力をもってこれの解決にあたる、魔法技術の共有、非魔法国民への加害禁止」
「非魔法国民から魔法使いが生まれる確率・・・」
「約0.02%、ついでに魔法使い同士で生まれた子供は確定で魔法使いになる」
「〜〜ッ!魔法使いと米軍との大戦における米軍の被害額!」
「17億5000万ドル」
そこまで答えて、最近生徒が自分の授業をサボりまくることを悩みの種にしている37歳の歴史教師、石川 学が膝から崩れ落ちた。
同時に彼のかけていた眼鏡が床に落ちる。
「ほら、やっぱり必要無いんですよ」
「クソォ・・・無駄に優秀なのがムカつく!」
「あはは、真琴は性格がクソですけど、成績だけは優秀ですから」
「お前もだ!アナスタシア!」
学が睨む先に居るのは、真琴と同じく脱走したアナスタシア・フェリス、通称アーシャだ。
立ち上がった学は、近くの席に座ると、二人を見てから大きくため息を吐いた。
「全く、こんな人格破綻者がランク7とはな、『ネメシス』の将来が不安だよ」
「「いやー、それほどでも」」
「褒めてねーよ」
ランク、それは魔法使い達の優劣をわかりやすく決めた指標だ。
ランクは1〜10までの10段階評価、年に4回ある魔法測定の結果によって変動し、そして、一般的には35歳頃が魔法使いとしてのピークであり、そこを超えると、成長率が鈍くなる。
ただ、一般人の身体とは違い、魔法力が低下する事は無い。手に入れた魔法力は一生、その者の力となるのだ。
ちなみに、真琴達の年齢であれば、ランク3もあればクラスに一人レベルの優等生とされる為、ランク7というと天才では済まされないレベルと言える。
「ゆーて、先生になるにはランク9以上が必要なんでしょう?先生、俺達よりランク高いじゃ無いですか」
「俺は人格者だから良いんだよ・・・おい、なんだその目は文句あんのか?」
生徒にガンを飛ばす先生が人格者なのかどうかは甚だ疑問ではあるが、真琴達からしてみれば、学は十分尊敬に値する先生である。
当然、こういった冗談も敬愛の念から来ているものだ。
「てか、俺はお前達くらいの年齢だとランク5だったよ。ランク7は18歳、ランク9になったのは24歳だ。つまりは、大学出てから一年間、親のすねかじりまくって、魔法の訓練のみに時間を割いて、ようやくここまで至ったんだ」
学はこう言っているが、実際の所、これはかなり優秀な結果だと言える。
本来、教職に就く平均年齢は45歳だ。
35歳の時点でランク8の上位に至り、そこから死ぬ程の努力で僅かに伸びる魔法力を何とか9に届かせる、これが教職に就くような人間の基本である。
「だから、俺からしてみればお前達が眩しいよ。魔法に関しての才能もそうだが、優れた魔法使いに一番重要な物を持ってる」
首をかしげる真琴とアナスタシアに、学は続けた。
「自己優先だ。自らの望むままに動き、その欲望を叶えるための努力の障害を全て蹴り飛ばすような生き方を当たり前に出来る。わかるか?」
「・・・まあ、心当たりは多いです」
授業をサボって魔法の特訓したり、授業をサボって海を眺めたり、授業をサボってアーシャと遊んだり、あれ?授業サボってばっかだな、と真琴が自分の行動を思い返している間に、学は笑う。
「何がおかしいんですか?」
アナスタシアが尋ねると、学は「いやな」と笑いを収めた。
「お前らは良い魔法使いになるな、と」
「「?」」
「ランク制度が出来てから、ランクが高ければランクの低い奴らに何をしてもいいなんていう、暗黙の了解が出来たのはわかるな?」
「まあ、それくらいは」
良くある話だ。
例え『魔法使い』であろうと人は人、自分が優位に立つ事を望み、下の者を見下して尊厳を保つ人は多い。
特にランク7、8の辺りにそういった傾向が多く見られ、9以上になってくるとそういったものに興味を示さない人が多くなってくる。
「俺は、それがクソ程に嫌いだ・・・アダムは、この島を魔法使いだけで作り上げた彼は、世界から排斥される魔法使いを守るためにここを作ったんだって俺は思っている。だってのに、魔法使いにも排斥される魔法使いがいていい筈が無い」
「その通りだと思います」
「私もです」
「だから、お前らはこれまで通り、どうでも良いことなんかに目をやるな。お前らが見据えるのはただ一つ、魔法使いとしての最終目標、七つの魔法を極める事であれ、そうすれば、きっと、お前らの才能ならば、歴史に名を残す魔法使いになれる」
七つの魔法。
それは、時間、因果、定義、存在、逆説、意味、起源の七つの内、どれかに干渉する魔法を指す。
今の所、確認されているのは、魔法使いの始祖、アダム・ルノアの『存在抹消魔法』と『定義破綻魔法』、錬金術の王、パラケルスス・エドモントンの『意味歪曲魔法』の3つのみ、そのどれもが、一度使用すれば世界のルールを無理矢理に書き換える事が出来る程の大魔法にして、世界に歪みを作る為に使用を制限されるものだ。
「買い被りすぎですよ」
「魔法使いの寿命は長いんだ。期待するのは良いだろ」
楽しそうに言ってから、学は思い出したように「そういえば」と、右手の人差し指につけてある『グノメス』を起動する。
「お前ら、高校はどこにするんだ?」
五秒ほど掛かる起動の最中に、学が尋ねた。
そう、真琴とアーシャは現在14歳の中学3年生、そして現在は7月、後9カ月後には高校生なのである。
「俺たちは『ルノア魔法高等学園』を狙います」
「まあ、そうだよな。お前らなら余裕だろ」
『ルノア魔法高等学園』は、アダムが設立したとされるネメシスの中で最も歴史を持つが、毎年のように行われる改築により、常に最新の設備を備える魔法学校の最高峰である。
入試倍率は70倍を超え、入学者平均ランクは4、エリート中のエリートしか入れない学園だ。
「しかし、ルノアっていうと、あれらしいな来年は外から一人来るって噂があるな」
「外って事は、非魔法国民の子供ですか、それは凄いですね」
驚いたように尋ねるのはアーシャだ。
何故、凄いのかというと、非魔法国民の間から生まれた子供は、生まれた時から魔法を使える訳では無い為だ。
日常のふとした事をキッカケに魔力を使えるようになり、更にそこから『魔練』と呼ばれる体内の魔力を知覚する為の儀式を『ネメシス』で行なって、初めて生まれついての魔法使いと同等のスタート地点に立てる、それが非魔法国民達の間から生まれた魔法使いである。
つまり、魔法的成長期を無為に過ごしているだけでなく、練度も周りに劣るのだ。
そんな中、ルノア魔法高等学園に入るのは並大抵の事ではない。
だがーー
「いや、編入試験は無しらしい。教師の推薦枠だそうだ」
「推薦枠って、あれですか、上位教授にしか与えられないっていう」
思い出したように真琴が呟く。
学は無言で頷きながら、グノメスの仮装ディスプレイに映る、ランク9以上にしか与えられない秘匿情報に目を向けた。
「どうにも、キナ臭い話だ」
そこには編入する生徒の個人情報の断片が載っている。
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『アーサー・エドワード・レギナモルガン』
入学時年齢は14歳、本来は中等部の3年に入れるべきだが、編入の都合を考え、高等部入学とする。
現時点での魔法ランクは2であるが、『魔練』の儀式終了から僅か2時間で一つランクを上げた事を考慮して、『ルノア魔法高等学園』への特殊推薦入学を認められた。
但し、一年の夏休み前に行われる魔法試験でランクが4に達しない場合は将来性無しと判断、別の高等部へと編入させる予定だ。
これより先は、ランクが足りていない為に秘匿情報とされます。
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ランク9は『ネメシス』においては、二番目に情報への権限が強い、筈だ。
にも関わらず、彼の情報をこれ以上読み取れない。
とは言え、これ以上自分に分かる事は無い、そう判断した学はグノメスを閉じながら、真琴達に帰宅するよう促した。