第十二章 暗躍 04
「…………」
「…………」
「………………」
「………………」
「……てっ!? 呆けている場合ではありませんよ、姫さまっ!!」
「おっ!? お、おお……そ、そうであったな」
静刀とラーシュアが消えた闇の中を、茫然と見つめていた二人――
突如向けられた尋常ならざる殺気に身が竦み、それ以上足を踏み出す事も出来ずにいた近衛騎士とその主。
それでも、戦場での斬り合いで殺気慣れしているトレノが、主よりも幾分か早く正気を取り戻した。
「姫さま……二人放つ、あのただならぬ殺気を見ましたか?」
「う、うむ……尋常ならざる、凄まじい殺気であった。正直、下着が冷――ではなく、肝が冷えたぞ」
「も、もしかして、少々もら――」
「漏らしてなどおらぬっ!!」
トレノの言葉を遮る様に、頬を赤らめて声を張り上げるシルビア。
しかしその直後、そっと視線をそらしながら、隣にいるトレノにも聴こえない程の小さな声で――
少々チビっただけじゃ……
と、呟いた。
「姫さま? 替えの下着をご用意致しましょうか?」
しかし、元敵国の将、紫紺の竜召喚士アルテッツァ改めアルトは、耳聡くその呟きを聞き取ると、口元に笑みを浮かべながら、からかう様に口を開いた。
「じゃから漏らしていないと言うておるじゃろっ!!」
「恥ずかしがる事はありませんよ、姫さま。あの二人からの殺気を、その距離で正面から受け止め、立っているだけでも大したもの。肝と一緒に漏らした下着を冷しても、誰も責めません――いえ、むしろ責めるどころか、賞賛してもよろしいかと。常に暗殺と隣合わせである王侯貴族にとって、殺気に敏感なのは重要な資質の一つ。そこは濡れた下着を曝け出し、誇ってもよいところです」
「ぐぬぬぅ……」
元敗軍の将による、敵将に対するささやかな意趣返し。
智将アルテッツァと謳われたアルトに口で敵う訳もなく、シルビアは耳まで真っ赤にした顔をしかめた。
ただ、顔をしかめたのは、シルビアだけではなかった。
「ちょっと、アルトさん……今は食事中ですよ。あまり下品な話題はやめて下さい」
「おっと、そうでしたね。コレは失礼しました、ステラさん」
ついさっき、その食事中に『お通じ』の話題を切り出したステラの言葉。
しかし、その『自分の事は棚の上に投げっぱなしジャーマン』で放り投げたようなセリフにも、アルトは気にする風もなく何食わぬ顔で食事を再開した。
「分かってもらえれば結構です。ささっ、シルビア様達も冷めないうちに――」
「ってぇ――っ!! のんきに食事などしている場合かぁーっ!?」
あまりに緊張感のない会話に、ため込んでいた物を一気に爆発させる近衛騎士。
「そ、そうじゃっ! 今は、妾の替えの下着の話などどうでもよいっ!」
そして、渡りに船とばかりにそこへと乗っかり、話を逸しにかかる王女殿下……
「皆も二人の殺気は見たであろう!? もし、あの二人が本気でやり合ったなら、こんな街なぞ一瞬で灰塵と化すぞっ!」
「いえ、それで済めば良い方です。下手をすれば、王国全土が焦土と化す恐れも……」
「ぷっ……」
顔を青ざめさせる二人の言葉に、思わず吹き出すステラ。
「アハハ。いくら何でも大げさ過ぎますよ、姫さま。ハハハッ」
「ソナタはあの二人の正体を知らんから、笑っておられるのじゃっ!!」
「二人の……正体?」
「あの二人はなっ! 日本国の――」
「ちょっ!? ひ、姫さまっ!!」
思わず出てしまったシルビアの言葉でステラがちょこんと首を傾げると同時に、トレノが二人の間に割って入る。
二人の正体――
そう、静刀が元々日本政府直属の暗殺者であると同時に、コチラの世界にはない術を数多使いこなす陰陽師という術者であること。
更にラーシュアは、その静刀の使役する式神であるが、本来の姿は天龍八部衆と呼ばれる神である。
そのラーシュアが紫紺竜を一瞬で消滅させた、あの光球……
あれが洋上ではなく、もしこの大陸――それも王都へ向けられたらと考えただけで、シルビアは背筋が寒くなった。
そして、そんな二人の正体は街の者達――特にステラには、絶対に内緒だとキツく言われていたのだ。
そんな秘密を思わず口走りかけたシルビア。しかし、止に入ったトレノの形相にハッと我に返った。
「ん? 日本国の?」
「い、いや……その~、あ、あれじゃ……」
「シ、シズトは日本国の……」
キョトンと首を傾げる臣民の視線から逃げる様に顔を背け、しどろもどろに言葉を詰まらせる第四王女と近衛騎士。
その様子にアルトは、さすがにこの状況では話が進まないと判断したのか、ヤレヤレとばかりにため息をついて肩を竦めた。
「姫様。今はその様な小事に拘っている場合ではないのではありませんか? 早くご主人様達を追わないと」
「おおっ!? そうであったっ!! シズト達を追うぞ、お主も着いて参れ、ステラッ!」
「えっ?」
「何をしている、ステラ! 早くしろっ!!」
「ええ~っ!?」
シルビアとトレノは、両脇から困惑するステラの腕を抱えて席を立たせる。
「ちょっ!? わ、わたしも行くんですかっ!?」
「当然であろう! 本気になったあの二人を止められるのは、お主しかおるまいっ!」
「じゃ、じゃあ、せめて食事が終わってから……」
「そのような悠長を言うておる場合ではないっ!?」
「で、でも……冷めたお肉は、固くなって美味しくないですし」
「それに関しては、妾とて断腸の思いじゃ。じゃが……じゃが……」
拳を握り締め、心底悔しそうな表情を見せるシルビア。
そして、横目にカツが半分以上残った自分の皿を見つめ、血を吐く様な思いで言葉を綴って行く――
「臣民の生命と柔らかく美味い肉……この二つを天秤に掛ければ、臣民の生命に重きを置かねばならんのが王族に生まれし者としての運命じゃ……」
「いや姫様。王族たる者が、その二つを同じ天秤に乗せること自体、そもそもの間違いです」
主の血涙を流すが如く絞り出した言葉を、正鵠を射るが如くの正論で否定する近衛騎士。
そんな美人主従の漫才にも似たやり取りの隙に、こっそりと抱えられた腕を引き抜き、席へと戻ろうとするステラであったが――
「とにかくっ! 今は一秒でも早く二人を連れ戻し、肉が冷め切る前に戻って来る事が最優先じゃ!」
「それに関しては、全面的に同意ですっ!」
「ぐへっ……」
そう言い切る二人から、『逃さんっ!』とばかりに後ろ手で襟首を掴まれる。
「では行くぞ、トレノッ!」
「はっ!」
「いやぁぁぁ~っ! せめて、あと一切れだけぇぇぇぇええぇぇ~~っ!!」
涙を浮かべるハーフエルフをズルズルと引き摺りながら、第四王女と近衛騎士は夜の街へと飛び出して行った。
「まったく……忙しない方達ですこと」
「……………………」
そして、残されたのはアルトとコロナのウェーテリード組み。
アルトは、ステラの上げた慟哭のドップラー効果と共に夜の闇へと溶け込んで行った三人に肩を竦め、コロナは事の成り行きに着いて行けずに呆然と言葉を失っている。
「さてと……」
アルトは、三人の喧騒が遠くへと消えた事を確認し、ゆっくりとした仕草で立ち上がると、テーブル越しに静刀の前にあった皿を手に取った。
静かに瞳を閉じ、おもむろに食べかけの皿へと顔を近づけるアルト。
ふわりと香る、油で上げたパン粉の芳ばしい香り。
しかしアルトの鼻は、その香りに混じって微かに香る別の匂いを感じ取った。
「………………なるほど、そういうことですか」
アルトは手にしていた皿を元の場所へと戻すと、対面に座るコロナを冷たい瞳で睨み付けた。
「な……ななな、なんッスか……?」
竜召喚士の凍てつく様な隻眼の視線に晒され、顔中に冷や汗を流しながら身を強張らせるドワーフ娘。
その様相は、正に蛇に睨まれた蛙――いや、竜に睨まれた蛙である。
そして、その隻眼の竜は、抑揚のない冷ややかな口調で蛙に語り掛ける。
「言葉にせずとも、何が言いたいか分かっているのでしょう?」
「な、なんの事やら、さっぱりッス……」
「そうですか――」
すべてを焼き尽くすと言われる紫根竜の炎とは対照的に、すべてを凍てつかせる様な冷たい視線。
そんな視線に晒され、背筋を凍り付かせるコロナに、アルトは口調を変える事なく言葉を綴って行く。
「まあ、ご主人様達が、あんな猿芝居をうったのも何か考えがあっての事でしょう。ですから、わたしの方でこれ以上の追及しませんが――――次はありませんよ」
「………………!!」
氷の微笑を浮かべ口角を吊り上げるアルト。その、冷たい殺気を孕んだ瞳に見据えられたコロナは、まともに言葉を発する事も出来ず、身を震わせながら首を縦に振った。
「よろしい――では、早く食事を済ませてしまいましょう。アナタも、冷めないウチに早く食べてしまいなさい」
「…………う、うッス……」
まるで、何事もなかったかの様に食事を再開するアルトであったが、対面に座るコロナは、とても食事など出来る状態ではなくなってしまっていた。




