第十二章 暗躍 02
「しかし……彼奴に任せて、本当に大丈夫なのか?」
母屋の方へと消えたドワーフ娘の背中を見送ったシルビアが、誰に問う訳でもなくポツリと呟いた。
「はい、落ち着きのカケラもないあの者に全て任せるというのは、いささか不安ですね……」
そして、主人のそんな問にも、律儀に答える近衛騎士さま。
そのまま、揃って軽くため息をつくと、訝しげな視線をコチラへと向けて来た。
まあ、気持ちは分かるけど……
「大丈夫なんじゃないか……? 見た目によらず、仕事になれば真面目だし、結構使える奴だぞ」
オレは再び椅子へ腰掛けると、その視線から逃げる様にテーブルへ身体を突っ伏した。
さすがに百年以上も生きているだけあり、料理の経験自体は豊富だし基本も出来ている。そう大きな失敗はしないだろう。
「しかしだな、シズト――」
「トンカツ……」
更に何か言いたげなトレノっちのセリフを、オレは視線を外したままで遮った。
「トンカツ作る上で、一番難しいのは何だと思う?」
「何と問われれば、そうじゃのう……油で揚げるところかのう」
「まあ、そうだな――」
オレの問いに、首を傾げながら答えるシルビア。オレはその答えを肯定しつつ、補足の言葉を綴った。
「ただ、厳密に言えば、揚げている時の火力調整と油から引き上げるタイミングだ。揚げ物は油から上げる直前に火力を上げる事で、油切れがよくカラッと揚がる。ただ、そのタイミングが早いと火が通らず生焼けになるし、遅いと身が縮んで硬くなる」
「なるほど……」
「さすがニホンの料理というのは、奥が深いのう」
感嘆するように大きく頷く、メシマズ王国の近衛騎士と王女殿下。
こんなの、向こうでは日本に限らず、全世界共通で基本中の基本だけどな。
オレは軽く苦笑いを浮かべながら、更に質問を続けた。
「じゃあ、そのタイミングは、何で測っていると思う?」
「何でと言われも……」
「時間ではないのか?」
「まっ、ハズレてばないがアタリでもないのう」
二人の出した答え。その解答に、今度はラーシュアが言葉を返す。
「アタリでもハズレでもない?」
「うむ。それが家庭料理であるなら正解じゃ。じゃが、料理人の料理としては不正解じゃ。それでは客から金は取れん」
ラーシュアの言う通り。家庭料理ならレシピ通りの時間で調理すれば、ほぼ失敗する事はないだろう。
ただ、それはあくまでベターなタイミングであり、ベストのタイミング――一番美味しいタイミングではない。
「ならばシズトは、何をもって測っておるのじゃ?」
ラーシュアからオレの方へと視線を移しながら、問うシルビア。
何をもってと言われれば――
「音……だな」
「「音ぉ?」」
「そう、音だ――」
訝しげに眉を顰めるシルビアとトレノっちに対して、オレは突っ伏していた上体をゆっくりと起こして話を続けて行く。
「カツに限らず天ぷらもそうだけど、揚げ物を返したり油から引き上げるタイミングは、料理人なら油の弾ける微かな音の変化で判断するな」
「な、なんと……」
驚きに目を丸くするシルビア。
まあ、和食の料理人なら、こんなのは基本中の基本だ。
ちなみに、揚げ物の一番美味しいタイミングは、火が通り切る直前。ここで油から引き上げ、最後は予熱で火を通すのがベストである。
ただ、コレは少しでもタイミングを間違うと、火が通り切らずに生焼けになってしまうというデメリットがある。なので、レシピに記されている時間というのは、そういった失敗のないよう完全に火が通る時間になっている場合がほとんどだ。
「客もおらんし、さして広くはない店じゃ。油の音はココまで聞こえて来よう。うっかり小娘に一人で任せると言うても、失敗しそうであらば、主が指示を出すであろうよ」
「そうゆう事。ふぁ~あ……」
オレはあくびと共に気のない返事を返し、再びテーブルへともたれ掛かる。
ヤバッ……夕飯を作らなくていいとなったら、少し眠くなって来た。
「まあ、二人がそう言うのであらば、任せるのもやぶさかではないがのう……」
「ただ、気になるのは、それだけではありませんよ」
渋々ながら納得した姫さまの言葉に、今度はアルトさんが言葉を繋げた。
「あの者……今日は朝から様子が変ではありませんでしたか?」
「彼奴が変なのは、いつもの事じゃろう?」
「それは、そうなのですが――」
認めるんだ、それ。
まあ、否定する要素やフォローする言葉は、オレにも見つからんけど。
同じくフォローの言葉が見つからないのであろう、困り笑顔を浮かべるステラの隣で、アルトさんとラーシュアが更に無慈悲な現実を口にして行く。
「あの騒がしさと空気の読めなさは、同郷の者として恥ずかしく思いますが……」
「ついでに無遠慮さも付け加えておけ」
「分かりました――今日は、その騒がしさと空気の読めなさ、そして無遠慮さがなりを潜め、大人しかったというか、心ここにあらずというか……」
確かにそれはオレも気にはなっていた。
いつもの騒がしさはどこへやら。今日の作業中は、殆ど口を開かずに、ずっとぼんやりしていたコロナ。
アイツに限って、イメチェンやギャップ萌えなんかを狙っているとは思えんが。
とはいえ……
「そんなに心配する事はないだろ。ある程度、生活の基盤が出来て少し気が抜けたんじゃないか?」
「うむ。あるいは、自分の生活の心配がのうなって、故郷の家族が気になりだしたか――まあ、どちらにしても、そう気にする程の事ではあるまい」
「まっ、これが続くようならともかく、一日くらいそんな日もあるだろ」
オレとラーシュアの言葉に、いまいち得心がいかない様子のアルトさん。
まあ、あんなんでも一応は同郷だし、気になるのも仕方ない。
「ええ、私の杞憂なら良いので――」
「ししょぉぉ~~っ!!」
物憂げに漏らすアルトさんの声を能天気な声でかき消しながら、物凄い勢いで近付いて来る足音。
恐らく着替えの途中だったのだろう。母屋から降りて来たコロナは、セーラー服に下半身パンツ一丁というあられも無い姿で勢いよく裏口の扉を開いた。
手に持っているのは昨夜見たレシピ帳……もとい、日記帳。
ああ、昨日オレが書いた『アレ』を見たのか。
「ししょぉ~っ! 愛してるッスゥゥゥウウゥ~~~ッ!!」
両手を広げ、唇を突き出しながら迫り来るパンモロ娘。
しかし――
「うおっ!? おおおおおぉぉぉぉ~~」
途中で躓く――いや、正確に言うと、アルトさんのさり気なくコッソリと出した足に躓くコロナ。そのまま、宇宙へと帰るウルト○マンの様なポーズでテーブルの上を滑りながら、オレの前を勢い良く通過して行く。
そして……
「ぶへっ!?」
勢いもそのままに、反対側の壁へ熱烈な口づけを交わすと、うつ伏せのまま床へと落下して行った。
パンツまる出しで――
しかし、残念な事にその姿には色気の欠片もなく、足をピクピクと痙攣させているその様は、まさに車に轢かれたカエルの如し。
「どうやら杞憂だったようですね……」
ストライプの逆三角形を白い目で見下ろしながら、ポツリと呟くアルトさん。
更には他の女性陣も、同じく白い目で見下ろしながら、アルトさんの言葉に大きく頷いているし……
てゆうか、いま気が付いたのだけど、やけに滑りが良いと思ったら、いつの間にやらテーブルの表面が薄く凍り付いていた。
あの一瞬でテーブルに氷を張るとは、さすが元宮廷魔導師。
アルトさん……恐ろしい子!




