第十章 初弟子 04
「いらっしゃいませ~、ご注文はお決まりですか?」
「すまんのう、今日はマグロの入荷がなかったのじゃ。何か別のモンにせい」
「ソナタ、漁師であろう? そんな少食でどうする。食べられる時に食べておかんと、いざという時に力が出せんぞ」
「ご主人様ぁ~。焼きサバ定食、二つお願いしまぁ~す」
ラストオーダー目前の時間だというのに、活気づく店内。
全部で十三席しかない小さな店内に、四人のウェートレスが所狭しと動き回っている。
まあ、数少ない席の内、一席はどこぞの食っちゃ寝姫が開店から独占しているので、実質は十二席しかないが。
「おい、シズトよ……今、物凄く失礼な事を考えなかったか?」
「別に……」
カウンター左端に座る、第四王女殿下からジト目を向けられ、そっと視線を逸らすオレ。
くっ……この姫さまも、ニュータイプに覚醒しつつあるのか……?
「主よ、鶏カラ南蛮定食二つじゃ。ついでに主は、単純な上に助平ですぐに顔に出るからのう。考えている事が簡単に分かるだけじゃぞ」
注文と一緒に、オレのニュータイプ覚醒論を否定するラーシュア。
てか、単純というのは、認めるのもやぶさかではないが、この場合スケベは関係ないだろっ!
とはいえ、フロア四人に対して厨房が一人というのは、中々きついモノがあったけど――
「ししよーっ! キャベツの千切り終わったッスッ!!」
「じゃあ次は、玉ネギを四分の一、スライス。それと青ネギとニンジンを千切りにして、バットへ入れておいてくれ」
「了解ッス!」
しかし今日は、このセーラードワーフが即戦力として、中々の働きをしてくれている。
コレはいい買い物をしたかもな。
コロナの働きを横目に、塩サバをグリルに乗せながら、オレは口元をほころばせた。
さて、次は鶏カラの南蛮漬けか……
日本では、鶏カラ南蛮やチキン南蛮と言うと、タルタルソースがたっぷりとかかった物を想像する人が殆どであろう。
間違いではないのだが、それはあくまで宮崎県の郷土料理である。本来の南蛮漬けとはカラ揚げにした鶏や魚を、香草や香味野菜と一緒に甘辛の酢漬けにしたものだ。
ただ、そこにタルタルソースをたっぷりかけた宮崎風の南蛮漬けを、大手コンビニやお弁当チェーンなどが、大々的に『チキン南蛮』として売り出したため、それが定着してしまったのである。
更に言えば、チキン南蛮の元祖と言われる宮崎の名店でも、チキン南蛮にタルタルソースは使用していない。
なので、鶏カラ南蛮や魚の南蛮漬けを頼んだ際、タルタルソースがないとか、こんなの頼んでないとかクレームをつけるのはやめて下さい。ホントお願いしま――
って、はっ!? オレはいったい何を言っている?
イタコの修行なんてした事ないのに、趣味でWEB小説を書いている、冴えない和食屋店員の生霊が降りて来て、口寄せをしてしまったような……
いかんいかん、厨房は戦場っ! 一瞬の気の緩みが大きな事故に繋がってしまう。しっかり気を引き締めねば。
オレは一度深呼吸をしてから、コロナが刻んでいる香味野菜の準備を確認しつつ鶏を揚げていく。
カラ揚げ、そして天ぷらは、揚がるタイミングを音で聞き分けるのがポイントである。
「ふぅ……ようやく座れたわい」
油の中でパチパチと踊る鶏のカラ揚げ。そこへ集中していたオレの耳に、聴き馴染んだ声が届いた。
「久しぶりだな、じいさん。もう、天に召されたのかと思ってたよ」
「勝手に殺すでないわっ!」
油の中から浮いて来たカラ揚げを菜箸で油切りに上げながらオレは、久々に顔を見せた常連さんに声をかける。
そう、昼間の時間には、ほぼ毎日顔を出していた大賢者様だ。
「だいたい、昼間に店を閉めとるから顔を出せんのじゃ。まったく、年寄りは朝が早いと言うに、ブツブツ……」
「ソレは悪ぅございました。ラーシュア、鶏南定あがったぞ。それと焼きサバ定もっ!」
ブツブツと愚痴を始めたじいさんを軽くあしらいつつ、注文を仕上げて行く。
「で、じいさん。注文は?」
「ふむっ。とりあえず、新しく入った女子じゃな」
とりあえず『生』みたいなノリのじいさん。おそらく、ウチにまた新しい娘が入ったと聞きつけて、顔を拝みに来たのだろう。
げんなりとため息をつきながら、オレは食器を洗う新人の方へと振り向いた。
「おい、コロナ。カウンター一番の注文を取ってくれ」
「ん? 注文っか……? 了解ッス」
ウェートレス飽和状態のフロアへ出る事に少々首を傾げつつも、コロナは洗い物を中断してフロアへと向かった。
「いらっしゃいませ~。ご注文はお決まりッスか?」
トレーに乗せたお冷を差し出しながら、満面の営業スマイルを浮かべるコロナ。対してじいさんは、真剣な顔で頭のテッペンからつま先までゆっくりと視線を這わせていく。そして更に視線をUターンさせると、その視点をコロナの胸元でピタリと止めた。
「はんっ……」
視界に捉えた、なだらかな双丘を鼻で笑うと、おもむろに後ろを振り返るエロジジィ。
「おお~い、トレノっちちよ。注文よ――」
「誰が乳だっ!?」
「フンッ!!」
「ぐほぉっ!!」
近衛騎士の放つトレーを額に、そしてドワーフ娘の振り下ろすトレーを後頭部へ受けて、椅子から崩れ落ちる大賢者さま……
「ししょー……このジジィの、ぶん殴っていいッスか?」
そう言う事は、殴る前に聞け。
まあ、とりあえず、これで顔見せは終了だな。
「ご苦労だった。洗い物に戻っていいぞ」
「ぬうぅぅ~、なんか釈然としないッス。これじゃあまるで、ウチがギャグ要員みたいじゃないッスか……?」
肩を怒らせながら、厨房へと戻って来るコロナ。安心しろ、『みたい』じゃなくて、お前は立派なギャグ要員だ。
「つつつっ……おい、シズ坊よ。店員の教育がなっておらんのではないか?」
「自業自得だ――で、注文は?」
「天ぷらうどん……」
「あいよ」
這いずる様に椅子へと戻るじいさんを背に、うどんを茹で始めるオレ。
「時にじいさん、ちょっと聞いてもいいか?」
「なんじゃ?」
「今やってる治水工事、じいさんの目から見てどうだ?」
確かに日本ではそれなりの効果は出ているが、ここは異世界だ。ましてや、日本にはない『魔法』を使って木を育て、花を咲かせるというの。やはり、それなりに知識が豊富な先住民の意見も聞いておきたい。
まあ、性格と性癖に難があるとはいえ、このじいさんは一応大賢者と呼ばれている訳だし、ピッタリだろう。
「ふむ……正直、最初に話を聞いた時には、面食らったがのぅ。レビンめのヤツから細かい話を聞いておるウチに納得もしたし、感心もしたわ。ようも、あの様なやり方を思い付いたもんじゃな、シズ坊よ」
「オレが思いついた訳じゃねぇよ。オレの国の、先人の知恵だ」
「謙遜するでない――例えそれが先人の知恵でも、その知識をただ持っておるだけでは何の役にもたたん。的確に活用してこそ、知識とは意味をなすモノのじゃ。しかるに、その先人の知恵を元に立てたこの治水計画は、お前さんの功績じゃ」
「ふん……おだてても、うどんしか出ねえぞ」
じいさんの言葉に若干の気恥ずかしさをおぼえ、オレはソッポを向きながら茹で上がったうどんを丼へと移していく。
まあ、実際は知識として持ってはいたけど、ラーシュアのヒントがなければ引っ張り出せず、宝の持ち腐れになっていた可能性が高いけど……
作り置きの天ぷらを丼に乗せなら、その事を思い出し苦笑いを浮かべるオレ。
まっ、オレが最後まで引っ張り出せなくても、最終的にはラーシュアが提案していたか。
オレは気を取り直して、出来上がった天ぷらうどんをカウンター越しに差し出した。
「それで? じいさんの目から見て、成功しそうか?」
「そうじゃな……前例がないからのう。机上の空論でしかないが、原理としては間違ってはおらんし、失敗する要素は見つからん」
「そうか……」
「強いて言えば、魔導師の数が少々不安じゃが……まあ、レビンのヤツも見かけによらず中々の魔力を持っておるし、アルトちゃんに至っては、この国の宮廷魔導師に優るとも劣らない魔力量じゃ。なんとかなるじゃろ」
「それに、大賢者セルシオ・レクサンス様もいるしな」
「その名を出すでないわ」
大賢者の名が気恥ずかしいのか、不貞腐れた様にソッポを向いてうどんを啜るじいさん。
まあ、宮廷魔導師に優るとも劣らないと言うより、アルトさんは実際に宮廷魔導師だったワケだしな。てか、あの紫紺の竜召喚士、アルテッツァ・ワイズ様を『ちゃん』付けで呼ぶとは……
無知とは罪だな、大賢者様よ。
「とはいえ、老人をあまりコキ使うでないぞ。今日も朝から植樹の手伝いに駆り出されたからのう、眠くてかなわんわい」
「それはご苦労さん」
首をコキコキと鳴らしてから、背筋を伸ばす様に両手を思い切り上へと挙げたじいさん。
その姿を、頬を緩めて眺めていたオレであったが……
「っ!?」
しかし次の瞬間、オレは一気に頬を引き締めた。
そう、挙げていたじいさんの手が不自然な方へ――隣の席の片付けをしていたアルトさんの背後へと伸びて行ったのだ。
条件反射的に柳刃包丁を逆手に取るオレ。更にテーブル席の片付けをしていたラーシュアが、フォークを手に取り振り返る。
が……
「ぬおぉぉぉ~っ!?」
しかし、その包丁とフォークが、じいさんへと向けられる事はなかった。
ボディラインがクッキリと浮かぶ、タイトなチャイナ服。その丸みを帯びた、柔らかそうなお尻にエロジジィの手が触れる瞬間、手首から先が一気に凍り付いてしまったのだ。
「あら、失礼致しました。羽虫でも寄って来たかと思いましたら、御老体の手でしたか」
振り返り、ニッコリと微笑むアルトさん。
しかし、その向けられる碧眼の瞳に込められた尋常でない殺気に、じいさんは顔を青ざめさせ、頬を引きつらせた。
「な、なに……き、気にするでない。間違いは誰にでもあるからのう……おいっ、シズ坊っ! 勘定はココに置くぞっ!」
「はい、まいどぉ~」
懐から片手で器用に硬貨を取り出すと、脱兎の如く走り去る大賢者様。
オレは、本日最後のお客様であるエロジジィの背中を見送ってから、その視線をアルトさんの方へと移した。
「ご主人様に恥ずかし所を見せてしまいましたね」
そう言って、イタズラっぽく笑うアルトさん。
さすが、元宮廷魔導師にして、紫紺の竜召喚士。頼もしい限りです。




