第十章 初弟子 03
「ぶぇ~っくしょんっ!! っしょんっ!!」
ソロソロ太陽が南から西へと傾き始める時間。
昼間の営業を休止中である桜花亭の薄暗い店内に、豪快な二連発のくしゃみが響き渡った。
さて、包丁の手入れはこの辺にして、オレは昼飯の準備でも――
「いやぁぁああぁーーーっ!?」
ロリッ娘のくしゃみをスルーして、研ぎ上がった包丁の出来を確認していたオレの耳へ、今度は雄叫びが飛び込んで来た。
コチラに関しては、朝から何度も聞いた雄叫びである。
原因は分かっているが……ため息をつきながら、横目で状況を確認するオレ。
「もうちょっと……もうちょっとだったのに……」
そこにあったのは、途中でかつら剥きの途切れた大根持ちを持つ、ドワーフ娘の姿――朝からかつら剥きの練習を始め、途切れるたびに雄叫びを上げるコロナの姿である。
最初の内は近所迷惑だからと注意していたのだが、いくら言っても止まる気配がないので今は放置状態である。
「ぐぬぬぬ……あそこでくしゃみさえ出なければ……」
「誰かウワサでもしてるのかもな?」
「ウワサ……ッスか?」
悔しがるコロナに向けて、ポロリとそんな言葉がこぼれる。しかし、当のコロナは、その言葉にキョトンと首を傾げた。
ああ……くしゃみ=ウワサ話、なんていうのは日本だけか。確かにコッチへ来てからは、聞いた事ないな。
「オレの国では誰がウワサ話をしていると、くしゃみが出るって言う迷信があってな」
「なるほど、ウワサ話ッスか……まあ、突然こんな豊満かつ可憐で清らかな乙女が現れたら、街中でウワサになるのも無理ないッスね」
くっ……コイツにも広辞苑を買って、熟読させてぇ……
とりあえず、可憐で清らかな乙女は、あんな豪快なくしゃみもしなければ、雄叫びも上げねぇよ。
まっ、それよりも――
「一褒め、二腐し――」
「ん? なんッスかそれ……?」
「いや、何でもない――」
一褒め、二腐し――諸説あるが、くしゃみは『一褒め、二腐し、三惚れ、四風邪』などと言われている。くしゃみ一回は、褒められてたもの。二回が悪口で、三回は惚れられ、そして四回は単なる風邪という意味だ。
まあ、こんな事を話したら、また騒がれそうなので、適度に流しておく。
「てゆうか、ソレ……もし、最後まで剥けていたとしても、不合格だぞ」
「なんでッスかっ!?」
「全体的に厚過ぎするし、ムラもあり過ぎる。もっと薄く、一定の厚さで剥けないと不合格だ」
「ぐうっ……ししよー、厳しいッス……」
たかだか数時間で、簡単に合格なんて出せるか。『和』の道は一日にしてならずだ。
「それじゃ、オレは昼飯の支度でしてくるか」
「あっ!? ウチも手伝うッスよ」
「いや、今日はたいして手間掛からんから。お前はかつら剥きの練習を続けてろ」
今、ココにいるのはオレ達と姫さま達の四人。オレ達は、イカ飯の在庫を消化すればいいし、シルビア達は恐らく二日酔いだ。二人共、重い物は食えんだろう。
とりあえず、しじみの味噌汁と――姫さま達には、お粥でも作っておくか。
※※ ※※ ※
「ううぅぅ、気持ちが悪い……頭がガンガンする……」
「うぷっ……」
昼食の準備が終わり、ちょうど食事を始めようとした矢先。王女さまと侯爵ご令嬢さまが半死半生といった感じで母屋から下りて来た。
「随分とごゆっくりなお目覚めだな。寝坊助姫」
「ぐぬぬぅ……誰のせいだと思おておる……」
恨みがましい目と拗ねた様な目が半々の視線を向けるシルビアに、オレは肩を竦めた。
自分達が勝負に負けた事を言っているなら、逆恨みも甚だしいぞ姫さま。キミも人の上に立つ人間なら、『勝敗は兵家の常』という言葉を覚えておくように。
それに――
「二日酔いは自業自得だぞ。前に言ったろ? 日本酒は、口当たりはいいけど、結構強いって」
「ぬうぅぅぅ……最愛の許嫁が苦しんでおるのに、シズトは冷たいのう……」
オレは許嫁と認めてないしな。
「とにかく、コッチ来て早く飯を食え、シルビア。空腹のままじゃあ、気持ち悪いのも治らないぞ。それにトレノっちもっ! 食える時に食うのも、騎士の仕事だろ?」
「うっ……しょ、食欲など、まったくないんじゃがな……」
「うぷっ……わ、分かっている……」
フラフラとした足取りで歩み寄り、真っ青な顔のまま席に着く二人……
「まったく……空気を読まず、一人でガツガツと豚みたいに食い漁ってる、コイツを少しは見倣えよ」
「誰が豚ッスか~っ!! ガツガツガツガツッ!!」
イカ飯に我を忘れ、王女殿下登場にも気付かず一心不乱に食い続けるドワーフ娘を指差すオレ。
その、フードファイト決勝戦の如き食べっぷりを目にした姫さまと女騎士さまは、蒼白の顔を更に青くした。
ってか、お前は、食うか文句を言うかどっちかにしろ!
「とりあえず、その味噌汁を飲んでみろ。しじみの味噌汁は、二日酔いに良く効くぞ」
「そ、そうか……」
「分かった……」
そう、しじみの味噌汁は、二日酔いの特効薬ともいえる。良い子のみんなも、将来のために覚えておくといいだろう。
おずおずと味噌汁を口にする二人を確認して、オレは更に言葉を綴った。
「それから、そっちは消化のいいお粥だ。横にあるアンをかけて食べてみな」
「ん? これか……?」
真っ白なお粥に、黒いアンをかけて行く二人。
ちなみに、アンと言ってもアンコの事ではない。餡かけのアンである。
濃いめの鰹出汁と醤油をひと煮立ちさせ、片栗粉でとろみをつけたものだ。
姫さま達は、小さめのスプーンで恐る恐る、アンの絡んだお粥を口に運んだ。
「ほおぉ~、これは……」
「ムリなく胃が受け付けてくれますね」
若干の驚きを加えた笑みをこぼしながら、二人は次々にスプーンを口へと運んで行った。
さて、少しは顔色も良くなったみたいだし、オレも飯にしま――
「おいコラ、ロリッ娘……」
「誰がロリッ娘ッスかっ!? ウチは齢百歳を超える、大人の女ッスよっ!!」
そんな事はどうでもいい。今問題なのは、対面に座るロリッ娘とオレの前に置かれた大皿について――
先日、大量に作り置きしていたイカ飯の在庫。劣化を遅らせる魔法がかけてあるとはいえ、ソロソロ賞味期限が近付き、食べ切ってしまおうと輪切りにして大皿に盛り付けた約五人前イカ飯が、跡形もなく消えている件である。
「オレの分は……?」
「…………………………テヘッ♪」
「テヘッ、じゃねぇーよっ!!」
悪びれる風もなく、舌を出してウィンクをかますロリッ娘。
大人の女だというのなら、年甲斐もなく『テヘッ♪』とか言ってんじゃねぇよっ!!




