第十章 初弟子 02
街の中央よりやや北にある、この街で一番大きな屋敷。
手入れの行き届いた綺麗な庭に、晩秋の風に吹かれ色付いた木々の葉が舞う昼下がり。
純白のテーブルクロスが敷かれた長テーブル。その上座に座り、少々遅め昼食を取る人当たりの良さそうな中年の男――
カルーラ家現当主にして、ラフェスタの街を治める領主、アクシオ・カルーラ伯爵である。
中肉中背。温厚そうな面持ちで、静かにナイフとフォークを走らせるカルーラ伯爵。
後方に控える数人の侍女を背に、一人食事を取るその伯爵の右側隣には、もう一人分の食事が用意されていた。
「失礼――遅くなりました、父上」
程なくして現れたのは、彼の一人息子である伯爵公子。レビン・カルーラである。
午前中を桜の植樹作業に費やし、今しがた屋敷に戻って来たところだ。
屈託のない笑顔を父親へ向け、静かに席へ着くと同時に、控えていた侍女がグラスへ水を注ぐ。
「レビンよ。悪いが、先にやらせてもらっておるぞ」
「お気遣いなく、父上」
グラスを手に、爽やかな笑みを見せるレビン。その上品な所作と心地よく甘い声。そして整った顔立ちから覗く白い歯に、侍女達の頬が一斉に紅色に染まる。
が、しかし……
その高潮も一瞬の事。侍女達は顔に出さず、心の中で一斉にため息をついた。
『あゝ……これで幼女趣味さえなかったら……』
――と。
「こうして父上と二人で昼食を取るのは、久しぶりですね」
「そうだな……お前も今は、色々と忙しいようだからな。仕方あるまい」
穏やかな口調で話すカルーラ伯爵。手にしていたナイフを置いて、グラスに半分ほど残っていた水をゆっくりと飲み干した。
テーブルに戻された空のグラス。後ろに控えていた侍女が、すぐ様そのグラスへと水を注いだ。
そして、その侍女が後ろへと下がるのを確認して、カルーラ伯爵はゆっくりと口を開く。
「お前達。ココは良いから、少し下がっていなさい」
「かしこまりました」
主の言葉を受け、静かに退室して行く侍女達。最後の一人が一礼をして扉を閉めると、カルーラ伯爵は軽く目を閉じ、ナプキンで口元を拭った。
「時にレビンよ。その後の進捗はどうなっておる?」
侍女達をさがらせて伯爵が切り出したのは、息子であるレビンに任せている治水に関する話題。
若干、言葉足らずの問いではあったが、その質問の意味する所が分からないほど、レビンも馬鹿ではない。
いや、むしろ。あの特殊な性癖さえなければ、頭の回転も早く、非常に優秀なのだ。
「ご安心下さい、父上。事前に報告したスケジュール通り、全くの遅れなく進んでおりますよ」
「そうか。それは何よりだ」
最初に報告を受けた際には、自分の持つ治水法の知識からあまりにかけ離れており、驚きを隠せずにいたカルーラ伯爵。
前例もなく、不確定要素の多さから、却下するべきとも考えていた。
しかし、レビンからの詳細の説明に、不安要素がことごく潰されてしまった。何より、王室公認の試金石で第四王女が陣頭指揮を取ると聞かされれば、反対などと言えなくなってしまう。
結果、カルーラ伯爵は今回の治水に関して、息子であるレビンに一任するという形を取ったのだ。
領主である父親への報告がてら、優雅に食事を取っていたレビン。しかし、半分も進めたところでナイフとフォークを静かに置いた。
「なんだ? もう、よいのか?」
「はい、向こうで『さんどいっち』なるモノを少々食べて参りましたので」
「さんどいっち?」
「ええ。何でもカードゲーム好きのサンドイッチ伯爵という方が、カードをしながらでも手軽に食べられるようにと考案した事から、その名が付いた料理だそうですよ」
「ほほう。面白い謂れのある料理だな」
楽しげに話すレビンに釣られ、頬をほころばせるカルーラ伯爵。しかし、次にレビンの口から出た言葉に、一瞬だけその頬を引きつらせる。
「それに、最近ではイチジョウバシ卿の料理を食す機会が多く、スッカリ舌が肥えてしまいました」
普段は『お義兄さん』などと呼んではいるが、さすがのレビンもこの様な場では、キッチリと敬称で呼んでいた。
「イチジョウバシ卿――」
「はい。今やイチジョウバシ卿の料理は王都でも評判で、シルビア王女のお墨付きにもなってます。よろしければ父親も一度試してみて下さい」
「まあ、機会があればな」
浮かれた口調のレビンに反して、素っ気ない口調で答えるカルーラ伯爵。
二人の間に流れる温度差――
そんな空気が読めないのか、それともあえて読んでいないのか。レビンは口調を変える事なく言葉を繋いで行く。
「それにイチジョウバシ卿の持つ知識には、驚かされるばかりです。あの知識が活かされれば、この街も――いえ、この国も大きく発展することでしょう。そういう意味では、卿を婚約者に選ばれたシルビア王女殿下は、本当にお目が高い」
「レビンよ……わたしはまだ仕事が残っていてな、悪いが先に部屋へ戻らせてもらうぞ」
感情を圧し殺した様な、淡々とした平坦な口調――
レビンからの返事を待つ事なく席を立ち、伯爵は扉の方へと踵を返した。
その後ろ姿に、苦笑いで見送り肩を竦めるレビン。
息子から送られる困惑の視線を背中に受けながらも、伯爵は表情一つ変える事なく、静かに政務室へと歩みを進めていった。
そして――
「くっ!!」
無人の政務室へ足を踏み入れ、後ろ手に扉の鍵を占めると、顔色を一変させた。
怒りに震える強い足取りで正面の机へと進んで席に着くと、目の前に置かれていた硝子の水差しを手に取り、扉へと向けて力一杯投げつける伯爵。
貴族の持ち物とはいえ、特段に強度があるわけでもない硝子の水差し。むしろ硝子の精製技術でいえば、日本よりも大きく遅れていると言えるだろう。
それでも、水差しが砕ける音が響く事も、中の水がジュータンを濡らす事もなかった。
「ほっほっほっ……随分とご機嫌ナナメですな、伯爵?」
「レヴォーグか……?」
無人かと思われていた室内。しかし、いつからそこに居たのか、扉の前で硝子の水差しを弄ぶ様に立つ人影。
老人の様なしわがれた声で話す、黒いローブのフードを深く被る短身痩躯の男……
「領民の間で、温厚な善政の領主と呼ばれるカルーラ伯爵の憎悪に満ちた顔を見れるとは――いやはや、長生きはするものですなぁ」
「ふんっ……この程度の顔、お前達アインサイトの者にはいつもの見せておろう」
アインサイト――サウラント王国に置いて、謀略や暗殺を請け負う闇の組織。その実態は謎に包まれているが、構成員の数は数百とも数千とも言われており、その殆どが普段は一般人に紛れて普通に生活を送っている。
「して、何をその様にカッカッしておいでですかな?」
「聞かずとも分かっておろうっ!? あのイチジョウバシとかいう小僧の事だっ! ワシがレビンとシルビアの縁談を持ち上げるのに、どれだけの金をバラ撒いたと思っているっ!?」
「さあぁ? ワタシ共、下賤の者などには想像もつきませんなぁ」
「何を言う……その内の一部は、お前達の懐に入っているだろう?」
「ほっほっほっほっほっ」
忌々しけに睨みつけるカルーラの視線を、老獪に受け流すローブの男。
そう、善政の領主と呼ばれているカルーラ伯爵であったが、裏の顔は野心家で王室との絆を強く望んでいたのだ。
その為に、彼は様々な策を弄した。
八方に賄賂を送り外堀を埋め、反対する者には脅迫、時には暗殺という手段を取ってまで……
「だいたいレビンもレビンだっ! 自分の縁談が流れたというのに、悔しがるどころか、その相手を飄々と評しおってっ!」
「まさに『親の心子知らず』とは、この事ですな? ほっほっほっ――」
「笑い事ではないわっ!」
机の上にあった分厚い本を、感情に任せて勢いよく投げつけるカルーラ伯爵。しかし、レヴォーグは慌てる風もなく、水差し同様に、飛来する本を軽々と受け止めた。
「ならば、今まで同様に消してしまってはどうですか? 頂ける物さえ頂けるのなら、我等アインサイトが手を貸しますぞ」
「それが出来るなら、苦労はせんわ……」
そう、王室からの正式な発表がまだないとは言え、第四王女であるシルビア自身が婚約を公言しており、このラフェスタの街では周知の事実となっている。
ましてや今の静刀は、国王から子爵の爵位を直々に拝命した貴族。
そんな彼が不審な死を遂げたとなれば、王室も本腰を入れて調査するであろう。そうなれば、疑惑の目がカルーラ家に向く可能性は捨てきれない。
仮に上手く疑惑の目を躱せたとしても、自分の領内で貴族の不審死などが出たとなれば、その責任を追求される恐れもある。
カルーラ伯爵は、頭を抱える様にため息をついた。
「ほっほっほっ――ならば、不審な死でなければ、よろしいのでしょう?」
カルーラの苦悩を察し、そしてその姿を楽しげに笑いながら、机の前まで歩みを進めるレヴォーグ。
「何か妙案でもあるのか?」
「はい――先日、ウェーテリードより小娘が一人、密入国いたしましてな」
「ウェーテリードからだと? あの山を越えてか?」
「はい」
驚きに目を見開くカルーラ。領主である以上、国境がある山脈の険しさは、当然にして彼もよく知っていた。
小娘が一人で、あの山脈を――
言葉を失うカルーラに対して、レヴォーグは声を弾ませながら話を続けていく。
「しかもその小娘、件のイチジョウバシ卿の所に身を寄せているとか」
「小僧の所に……? 確か、オウカテイとかいう店だったか?」
「ええ。この小娘に、イチジョウバシ卿殺しの罪を被って貰えば良いのです。敵国の娘に殺されたのであれば、カルーラ様まで嫌疑は及びますまい?」
「………………」
暗殺者からもたらされた悪魔の囁き。その囁きに、善政の領主と謳われるカルーラ伯爵は、口角を吊り上げ黒い笑みを浮かべた。
「フフフッ。なるほど……ソレは妙案だ」




