第十章 初弟子 01
アメリカ海兵隊――
合衆国の国益を維持・確保する為の緊急展開部隊。本土の防衛が任務に含まれず、外征専門部隊である事から『殴り込み部隊』とも称される。
新兵訓練は陸軍よりも厳しいと言われ、新兵のプライドを粉々に粉砕し、性格を戦争向きに変える事を主眼といている。
その訓練内容は、まず丸二日のあいだ寝る事が許されず、そして常に教官からの罵声を浴び続ける。更に教官の命令には絶対服従で返事は『イエスサー』と『ノーサー』以外の言葉は許されないという。
おそらくアメリカ海兵隊の訓練は、世界的に見てもトップレベルの厳しさであろう……
「とゆうわけで、今日からの修行は海兵隊式で、ビシバシと厳しく行くので覚悟する様にっ!!」
早朝、照明の消えた薄暗い厨房に直立で立つドワーフ娘の前に立ち、オレは両腕を組んで声を張り上げた。
「はっ、はいっ! よろしくお願いするッス!」
「ちっが~うっ! 返事は言葉の前と後ろに『サー』を付けろっ! 『サーイエッサーッ!』だっ!!」
「サ、サーイエッサー……」
「声が小さいっ!!」
「サーイエッサーッ!!」
「師匠の言葉は絶対服従っ! キサマの返事は『はい』と『わかりました』の二つだけだっ! わかったなっ!?」
「ん? 返事はサーイエッサーじゃないんッスか?」
「細かい事は気にするなっ!」
「サー、わかりました、サーッ!!」
「よろしい」
コロナの気合が入った返事に、大きく頷くオレ。
そう、海兵隊たる者、細かい事など気にしないのだ……多分。
昨日、素直に負けを認めたラーシュア。
それと、晩飯代わりに作ったたこ焼きと、ついでに作ったお好み焼きを食べて、渋々ながら負けを認めたステラと姫様達の了承を得て、このドジッ娘ドワーフが桜花亭の新しい仲間に加わったのだ。
そして今から、約束していた料理の修行を始めるところである。
「サー、ところで一つ質問があるのですが、よろしいでしょうか? サーッ!」
「いいだろう。質問を許可する」
「サー、えぇ~と……この服はなんなんッスか? サァー?」
エプロンの下に着ている、オレが昨晩、徹夜で仕立てた衣装を不思議顔で見下ろすコロナ。
フッ……いい質問だ。
「いいか? よく聞け――まず、なぜ料理の修行に海兵隊の新兵訓練方式を取り入れたかと言えば、料理屋の厨房とは戦場であるからだ」
「サ、サー……戦場ッスか……サー」
「そして和食において、敵の多くは海産物である……そう、その衣装は、オレのいた世界において多くの国の海軍で正式採用されている軍服、セーラー服だっ!」
マンガなら背後に『ドドーンッ!!』と効果音文字が入る勢いで、オレはドワーフ娘の着る新作衣装、ミニスカセーラー服を指差した。
「サ、サーッ!? コレは軍服だったッスか……? サー?」
「そうだ! キサマには、その軍服に恥じぬ働きを期待するっ!!」
「サーイエッサーッ!!」
気合の入った返事と敬礼に、オレは満足気に大きく頷いた。
「いい返事だ、気にいった。ウチに来て義妹とファッ◯してい、いだっ!?」
突然、甲高い打撃音と共に後頭部へ激痛が走り、頭を抱えてうずくまるオレ。
「朝から馬鹿な事を言うておるではないわ、このアホ主が」
うずくまったまま、涙目で見上げるように振り返ると、母屋から降りて来たラーシュアが片手に風呂敷包みを、もう片方の手にフライパンを持ち立ちはだかっていた。
「それから、主よ……分かっていてあえてボケとるとは思うが、コチラもあえてツッコむと、海軍と海兵隊はまったく別物じゃぞ」
そんな事は当然知っている。ハートマン軍曹を舐めるなよ!
「おはようございます。わぁ~、でもホント可愛いですね、その衣装」
「うむ、ミニスカセーラー服にエプロンとは、中々にマニアックな所を突いてきおる。相変わらず、コッチ方面のセンスだけは抜群じゃな」
続いて降りて来たステラと共に、満足気に新作衣装を眺めるラーシュア。
つーか、『だけ』は余計だ。
「早いな、二人共。え~と……今日は確か、桜の植樹だったか?」
「はい。今日から育った桜の木を、植え替えていきます」
つい先日、苗木を植えたばかりだというのに、もう植樹が出来るとは……ホント魔法とは便利なものだ。
ちなみに、アルトさんはオレ達よりも早く起きて植樹の準備に修道院へ向かい、シルビア達は昨夜遅くまでヤケ酒を飲んでいたらしく、まだ寝ているようだ。
「ところで主よ。コレはまたイカ飯ではあるまいな?」
手にした風呂敷包みを差し出しながら、ジト目で問うラーシュア。
その中身は、植樹組み用に作った弁当が入っているわけだが――
「こうも毎日同じモノが続くと、いくら温厚で可憐な大和撫子のワシとて、そろそろブチ切れるぞ」
誰が温厚な大和撫子だ?
もし、日本に帰れたら広辞苑を買ってやるから、『温厚』と『大和撫子』を調べてみろっ! そして、現実と向き合えっ!!
「時間がなかったからな、カラ揚げとサンドイッチだよ」
「サンドイッチか……まあ、よかろう」
日の出前から人に弁当作らせといて、なに様のつもりだ、お前は?
「それじゃあ、アルトさんが待ってますので、わたし達ソロソロ行きますね」
「ああ、気をつけてな」
四方八方からドワーフ娘のセーラー服を堪能し、満足げに植樹へと向かう二人の背中を見送ると、オレは薄刃の菜切り包丁を手に取った。
「じゃあ、早速始めるぞ」
「サー、わかりましたッス、サーッ!」
「あっ、ヤッパリその『サー』はいいや、鬱陶しいし」
「そ、そうッスか……」
何より日本語に『サー』を付けると、沖縄弁みたいだし。
「それじゃあまず、基本的な包丁の使い方を教えるぞ」
「包丁……ッスか……?」
オレの言葉に、不満げな顔で眉を顰めるコロナ。
「ししょー。こう言っては何ですが、ウチはこれでも齢百歳を超えてるッスよ。今更、包丁の使い方なんて教わらなくても分かるッスよ」
「ほほぉ、そうか」
オレは挑発的な笑みを浮べながら、野菜カゴの中から大根を手に取った。
「じゃあ、コレが出来たら次のステップに進んでやる」
そう言って、ロリッ娘ドワーフの胸……じゃなくて、まな板の上に大根を乗せ、10センチ幅で輪切りにしていく。
「ししょー……今、ものすごく失礼な事を考えなかったッスか?」
「いや、別に……」
ちっ……中々カンの鋭い奴め。
オレは内心で舌打ちをしながら、ポーカーフェイスで輪切りにされた大根を一つ手に取ると、綺麗な円柱状になる様に外皮を剥いていく。
そして――
「なっ!?」
驚きに目を見開くコロナの前で、左手の大根を素早く回転させながら、皮を剥く要領で帯状に剥いていった。そう、いわゆるかつら剥きである。
途中、一度も途切れる事なく、まな板の上の大きなボールに収まっていく大根の白い帯。ほんの数分で、オレの左手にあった大根は鉛筆程度の太さの芯だけが残った。
「な、なんッスかコレ……大根が、アッと言う間にこんなに薄く……」
薄く剥かれた大根を顔の前にかざし、言葉を詰まらせるコロナ。その驚きの表情が、透けた大根越しに見て取れた。
「かつら剥きって言ってな、和食じゃあ包丁の使い方の基本中の基本だ」
「き、基本中の基本……」
「そう、和食の料理人なら、どんなヒョっ子でも出来る――いや、出来て当たり前の技法だ」
「コレがッスか!?」
「ああ。とりあえず、そうだな……手のひらに乗せて、その手の皺が確認出来る薄さで、最後まで切れずに剥ききったら合格だ。やってみろ」
「ウッス、やってみるッス……」
恐る恐る包丁と大根を手に取るコロナ。
当初の自信など吹き飛び、真剣な表情で大根との格闘を開始する。
ほおぉ……中々、いい顔するじゃないか。
いつものおちゃらけた表情から一転。手にする大根と包丁へと向けられる真剣な眼差しに、引き締まった口元――
この分なら、しばらく放っておいても大丈夫かな。
それじゃあ、最近忙しくて器具の手入れが疎かになっていたし、この間に包丁でも砥いでいますか。
まな板の前でかつら剥きを始めるコロナを横目に、複数本の包丁を用意すると、戸棚から砥石を取りだした。




