第二章 桜花亭 04
「ふう~~っ。余は満足じゃあぁ~」
「私は……私は、もうお嫁に行けない身体になってしまった……い、いや、私はスペリント家の騎士。この身は王国に捧げたのだ。今さら他家に嫁ぐなど……いや、でも、一度くらい所帯を持つのもやぶさかでは……それに恋というモノも、死ぬまでには一度くらい……ブクブクブク」
湯槽に浸かり、やり切った表情でテカテカのツヤツヤになった頬をタオルで拭う第四王女殿下。
対照的に護衛騎士の方は、君主に背を向けたまま膝を抱え、体育座りで鼻の下まで湯に浸かり、ブクブクのブツブツと何やら呟き続けていた。
「さて、家臣の労をねぎらっていたら、ずいぶんと話が逸れてしまったな――では報告を聞こうか」
「逸れすぎです……」
「何か申したか?」
「いえ、なんでもありません」
トレノは、気を取り直したように真剣な表情を浮べて振り返ると、お湯の中で再び片膝を着き礼を取る。
「では、報告を致します――昨夜、ウェーテリードの敗残兵によるとおぼしき強盗事件の賊を追跡するため、私と街の警備隊合せて二十名は森へと入りました」
淡々と語るトレノの報告を、先程までとは打って変わり真剣な表情で聞いているシルビア。
「行動は五人ずつ四つの班に分かれての捜索。そして、森に入り約一刻半の後、我が班が賊を発見しました。しかし……」
「しかし? しかし何じゃ?」
ここで、少しだけ眉をひそめ、口ごもるトレノ……
だか、自分の仕える王女であるシルビアに先を急かされると、一拍置いてから意を決したように再び口を開いていく。
「……しかし、発見した賊は、全て殺されていました」
「殺されて? それは穏やかではないな……」
「はい……なにより、周りには争った形跡もなく、一瞬の間に殺められたものだと思われます」
「んん……」
トレノ推理に、シルビアは自分の唇に指を充て、低く唸った。
「話によれば、賊は傭兵風の獣人が二人に正規兵が一人じゃったな。ならば顔見知り……仲間割れという事かのぉ?」
正規兵に傭兵。ましてや獣人の傭兵だ。言わば戦闘のプロである。
そんな者達を一瞬で殺したとなると、油断した隙を突くくらいしかないであろう――
というのがシルビアの見解だった。しかしトレノは、その見解を即座に否定した。
「いえ、その可能性は低いと思われます」
「なぜじゃ?」
「賊に盗まれたはずの物ですが、いつの間にか被害者宅の前に返還されておりました。しかも、見張りに着いていた警備隊が気付かぬうちに……」
「なんとっ!?」
二人は揃って眉をひそめる。
確かに賊の仲間ならば、盗んだ物を返すなどあり得ない。
しかし、そんな事が可能なのだろうか……?
今の話を総合すれば、賊を殺めた者は二十人の警備隊による捜索隊より先に賊を発見。抵抗する間も与えずに殺害し、盗まれた物を奪還。そして、見張りの目を盗んで被害者宅へと返還……
「これは警備隊がよほど無能なのか、賊を殺めた者がよほどの手練なのか……?」
「臨時とはいえ、警備隊に参加していた者としては耳の痛いお言葉です……しかし、言い訳をするようではありますが、賊の遺体の状況から察するに、かなりの手練の者かと存じます」
「遺体の状況じゃと?」
「はい。それはこの目で直接見た私でも、信じられぬような光景でありました」
そう話すトレノの顔が、シルビアには少し青ざめているように見えた。
まさか怯えているのか……?
いくら年若い女騎士とはいえ、トレノはすでに幾多の戦場を経験しているのだ。
幾人もの敵兵をその手に掛け、敵味方問わず幾百幾千の死体をその目に焼き付けている。その彼女が怯えるなど、よほどの事があったのだろう。
「して、それはどのような状況だったのじゃ?」
「はい。まず獣人のモノとおぼしき遺体ですが――」
おぼしき遺体……?
シルビアはその曖昧な表現に違和感を覚えた。
しかし、トレノがナゼそのような曖昧な表現をしたのかを、次に出る言葉で直ぐに理解する事になる。
「全て綺麗に焼き尽くされて、骨まで灰になっておりました」
「なっ!?」
「かろうじて頭部――頭蓋骨は原型を留めていたので、獣人と断定しましたが、それも軽く触れただけで崩れ落ち、すぐに灰となるほどでした」
「…………」
「また、周りの木々に火が燃え移った形跡が無いことから、おそらくは魔道による炎により、一瞬で焼き払われたと推測されます……が、しかし……」
トレノの話に、絶句するシルビア――
それでも、トレノはなんとか話を続けていたが、最後にはやはり言葉を詰まらせてしまった。
人間より強靭な肉体を持った獣人を、一瞬にして骨まで灰にするほどの炎。それがどれほどの火力なのか、二人には検討もつかなかった。
ましてや、そんな高出力の火炎魔法を操れる魔道士など聞いた事もない。
その話には、二人だけでなく控えていた侍女達ですら息を飲んだ。