第二章 桜花亭 02
「…………」
「…………」
「…………」
動きを完全に封じられ、静止する老人。
しばしの沈黙のあと、その老人から発せられる邪気が消えるのを確認し、オレとラーシュアは緊張を解いた。
「ふぅ……毎日毎日こりないなぁ、じいさん」
オレは呆れ顔でため息をつく。
ラーシュアのトレーで止められた、じいさんの右手。
その手のひらの3センチ先には、隣の席の空いた皿を下げていたステラの小振りで柔らかそうなお尻があった。
「えっ? きゃっ!?」
自分の背後で息詰まる攻防があった事に、ワンテンポ遅れて気が付いたステラ。
トレーでお尻を隠しながら、じいさんから逃げるように後退る。
「ホッホッホッ。相変わらず守備が堅いのう」
両手を上げて、降参の意思を示すじいさん。それを見て、オレ達もトレーと包丁を引いた。
このセクハラじいさんは、この近くで貸し馬屋をやっているウチの常連だ。
ちなみに貸し馬とは読んで字の如く、馬を貸す仕事。そっち世界でゆうなら、レンタルサイクル屋とかレンタカー屋に相当する仕事だろう。
「しかし、毎日来とる常連なのじゃから、冥土のみやげに尻くらい撫でさせてくれてもよかろおて」
「アホぬかせっ! この尻はワシのモノじゃ。なにゆえエロジジィに撫でさせてやらねばならん!? だいたいココは飯を食う店じゃ。尻が撫でたいのなら、そうゆう店にでも行けっ!」
じいさんの自己中心的なモノ言いに、反論の声を上げるラーシュア。概ねはラーシュアの言う事に同意するが、一部にだけ異論があった。
「待てラーシュア。ソレが、いつからお前のモノになった? その尻はオレのだ! 勝手に所有権を主張するなっ!」
「主こそ何を言うておる? その尻はワシのモノじゃ。いかな主とて、こればかりは譲れんぞ」
カウンターを挟んで、顔を突き合わせ睨み合うオレ達。
「いいや、オレのだっ!」
「いやっ、ワシのじゃっ!」
「オレのだっ!」
「ワシのじゃ!」
「オレのっ! あだーっ!?」
「ワシのっ! いだーっ!?」
ゴツン、ゴツンッ! という二つの鈍い音と共に脳天へ激痛が走り、オレとラーシュアは頭を抑えてうずくまった。
「ぐおぉ……おおぉぉぉ……」
「か、か……かどぉぉぉ……かどは……」
オレ達の脳天にダメージを与えたのは、ステラの持つ木製のトレー。
しかも角……
「いい加減にして下さい! 私のお尻は私のモノです。誰のモノでもありませんっ!」
仁王立ちで赤くした頬を膨らませ、うずくまるオレ達を見下ろすステラの姿。
「じゃ、じゃからと言って角はなかろう、角は……ワシ等はお主の尻を、エロジジィから守ってやったとゆうに……」
ラーシュアは頭を擦りつつ、ブツブツと愚痴を言いながら涙目で立ち上がる。
「バカな事ばかり言ってないで、仕事して下さいっ、仕事っ! フロアはもう大丈夫だから、ラーシュアちゃんは中で食器洗い。シズトさんは、早くおうどんを仕上げちゃって下さい」
テキパキと指示を出すステラ。
見た目は十代半ばでも、この店のオーナーはあくまでも彼女である。ラーシュアは渋々ながらその指示に従い、厨房へと入って来る。
「おのれぇ……いつか寝所でヒィヒィ言わせてやるからな、覚悟しておれ」
「むっ!」
「ひっ……」
ステラに鬼の形相で睨まれて、オレの後ろへ隠れるラーシュア……
てゆうかラーシュア。そんときは、ちゃんとオレも誘えよ。抜け駆けは許さんからな。
そんな事を考えながら、若干――いや、かなり茹で過ぎたうどんの湯切りをして、ドンブリへと移す。
そして汁をかけ、作り置きしてあったかき揚げを乗せてカウンターの一番席――じいさんの前へと差し出した。
「なんじゃ? ずいぶんと伸びとらんか?」
「自業自得だ」
「ん、まあよい。最近、歯の調子もあまり良くないでな」
そう言って、美味そうにうどんを啜るじいさん。
とりあえずオーダーも一段落したので、オレは厨房の片付けに取り掛かった。
「ときにシズ坊よ――その右目の青タンはどうしたんじゃ?」
じいさんの問いに顔をしかめるオレ。
そう、朝からオレの右目の周りには、クッキリと青い痣が出来ているのだ。
原因はそう、ステラのスーパーブローによるものである。
「あれか? 朝からステラちゃんの着替えでも覗いて、殴られたか?」
「っんな事せんわっ!」
てゆうか、同じ殴られるなら、まだそっちの方がずっと良かった……
ロリ巨乳な美少女エルフの着替えが拝めるのなら、その後ブン殴られて吹っ飛ばされようが、決闘を挑まれようが、丸焦げにされようが本望というモノだ。
世に溢れている、開始五分以内にヒロインの着替えや入浴にバッタリという、ラッキースケべなハーレム系主人公どもよ。
お前達は、もっと己の幸運を噛み締めろっ!