第二章 桜花亭 01
「むっ! どこかで全裸の美女二人が戯れている気配がする……」
オレは包丁を持つ手を止めると、暗礁空域で敵の気配を察知したニュータイプのような表情を浮べ、ポツリと呟いた。
「主よっ! 忙しいのじゃから、アホな事を言っとらんで手を動かせっ!!」
「へいへい」
まな板の上に乗せられたネギを再び刻み始めるオレ。
中世ローマの様な街並みに、様々な異種族の人々が行き交うラフェスタの街。
その中でも、比較的大きな通り沿いにある平屋の小さな料理屋『桜花亭』。
これまた中世ローマの酒場みたいな造りで、カウンター席が五つとテーブル席が二つだけという狭い店内。
しかし、お客さん達の前に置かれた料理だけは、周りの雰囲気に対して異彩を放っていた。
「シズトさ~ん! カウンター四番で、月見うどんといなり寿司のセットをお願いします」
「それと、テーブル席二番で刺し身定食二つ! ライスは大盛りじゃ!」
「あいよーっ!」
そう、西洋の雰囲気の街並みと内装の中。お客さん達の前に並んでいるのは、クールジャパンを代表するWA・SHO・KU。いわゆる『和食』である。
こんな、剣と魔法のファンタジーみたいな世界で暮らしてはいるが、オレはれっきとした平成生まれの日本人なのだ。
ちなみに、実家は東京の永田町で会員制の老舗高級料亭をしており、オレは小学校の頃から料理や他モロモロの基礎を叩き込まれていた。
そんなオレが、この世界にやって来たのは約二年前。
そこで最初に会ったのが、今は白い和ゴス風のウェートレス服で店内をちょこまかと動き回っている、ハーフエルフのステラだった。
えっ? なんでそんな衣装を着てるのかって?
オレの趣味ですが何か? ちなみにデザイン、作製共にオレですが、何か問題でも?
と、そんな話は置いといて。
実のところ、オレは東京で一度死んでいる……いや、正確には殺されているのだ。
今でも覚えている、背後から日本刀で心臓を貫かれる感覚。痛みも苦しみもなく、冷たいモノがスーッと入って来る感覚……
正直、いつかはこうゆう事が起こると思っていたし、当時は生に対しての執着もあまり無かったオレ。貫通した剣の先端を見つめながら漠然と死を受け入れ、そのまま意識は深い闇へと落ちていった。
そして、なぜか目を覚ますと、この世界の森の中にいたのだ。
見慣れぬ景色に動揺し、言葉も分からず意思の疎通も出来なかったオレに、ステラはとある魔法をかけた。
詳しい仕組みは分からないが、なんでも精霊に働きかけ、思念から言語を変換する魔法らしい。
ただ、全てが変換されるワケではなく――
「なあ、ステラ?」
「何ですか?」
「AV、エロゲ、児ポ法反対」
「ん?」
オレの言葉に、キョトンと首を傾げるステラ。
このように、この世界に存在しない言葉は上手く変換されないわけで――
「あだっ!!」
木製のトレーが、物凄い勢いでオレの額にヒットした。
そして、ステラとは対照的に黒い和ゴスを着たラーシュアが、跳ね返ったトレーを片手でキャッチしつつ声を上げる。
「じゃから、アホな事言っとらんで手を動かせとゆうとろうがっ!!」
「はいはい……」
少し話が逸れたが、こうしてステラのおかげでオレは、街の人達と意思の疎通が出来るようになったのだ。
そして、訳も分からずこんな世界に来てしまい、途方にくれるオレを拾ってくれたのも彼女だった。
とはいえステラもステラで、当時は父親を――実の父ではなく養父を亡くしたばかりで、かなり落ち込み、やはり途方にくれていた。
そんな、虚無で怠惰な日々を何日も過ごしていたオレとステラ。
多分、ステラがオレを拾ったのも、父親を亡くした寂しさを紛らわせるためだったのだと思う。
徐々にコチラの生活にも慣れて来たオレが次に考えたのは、これからどうするかという事と、どうにかステラを元気付けられないかという事だった。
そして、このまま二人で途方にくれていても仕方ないと思い立ち、始めたのがこの店である。
まあ、この店自体は元々ステラの父親が酒場をしていた店だったので、水周りを改装するだけで、すぐに営業が出来る状態だった。
ただ、父親の店ならば、ステラにとって思い出や愛着もあるだろう。だから店内の方は改装せずに当時のままだ。
また、この街は気候も日本に近く、海産物も野菜も日本と同じようなモノが取れた。
主食はパンだが隣街には米を栽培している農家もあったので、食材に関しても大きな問題無かった。
しかし、最大の難関は調味料――
この世界の文化レベルは、だいたい中世のローマと同じくらい。
和食の基本調味料である『さしすせそ』のうち、あるのは砂糖と塩だけで、酢、醤油、味噌という肝心な物がないのである。
ステラと二人であれコレと試行錯誤を繰り返して、調味料を自作してみたり、食材を調達したり、陶器の皿や漆器を作ったりと……
結局、準備に一年半もかかってしまった。
ただそんな中、ステラの笑顔も次第に増えていった。
そして桜の花が満開に咲き誇る中、ステラの最高の笑顔と共にオープンしたのが、この『桜花亭』である。
ちなみにラーシュアは、オープンに伴い人員補充として住み込みで雇った娘だ。
ラーシュアなんて名前とは対照的に、純和風な顔立ちの少女――とゆうか幼女。
日本なら青少年法や労基法に引っかかること間違いなしだが、コチラにはそんな法律は存在していない。
なにより、見た目は確かに幼女だが――
「コラ、主っ! 刺し身定食はまだ出来んのかっ!?」
「もうすぐ出来る。先にご飯と味噌汁を用意しといてくれ」
「って、味噌汁が煮立っているではないかっ! これでは味噌の風味が飛んでしまうわっ!」
と、和食の事にも詳しい彼女は、実はのところ――
「って!! 聞いておるのか、主っ!」
「聞いてるっ! でも今、手が離せない。とりあえず火から下ろしておいてくれ」
とりあえず忙しいので、このロリババァについてはあとで、って――
「いでっ!?」
「誰がロリババァじゃっ!?」
再び木製のトレーが額にヒットする。
てゆうか、人の心を読むなっ! エスパーか、お前はっ!?
オレは額を擦りながら、盛り付けの終わった刺し身をカウンター越しにラーシュアへ手渡した。
「ふんっ! 主は単純じゃからな。異能の力などなくとも、顔を見れば考えている事がすぐ分かるのじゃ。そんな事より、次はカウンター一番でかき揚げうどんじゃ。急げよ」
「へいへい」
お湯の沸いた寸胴鍋の淵に掛かる、柄付きの湯切りザルにうどんを放り込む。
そしてドンブリを用意するのに、うしろを向い――
「っ!!」
うしろを向いた瞬間っ! 背後からドス黒い邪気を感じて、オレは慌てて振り返った。
ラーシュアも同じ気を感じたのだろう。
鋭い目付きでコチラへ振り向いたラーシュアと視線が交差する。
一瞬のアイコンタクトの後、お互い素早く次の行動へと移った。
ターゲットはカウンター席右端の老人。
その老人の右手が不自然な方向へ動く――
素早く手のひらが向かう進行方向にトレーを差し込み、その手の動きを止めるラーシュア。オレはすかさずに柳刃包丁を逆手に持ち、カウンター越しにその老人の喉元へ刃を突き付けた。