第十二章 可憐で清楚な美少女 01
深い森の中に、ポツンと開けた荒れ地。
切り立った崖を背に幾つかの天幕が張られ、両翼には簡単な柵を建てる形で陣が構築されていた。
その並んだ天幕の前。ステラが寝かされている荷車の傍らに立つシルビアとトレノ。
そして、その周りを薄汚れた鎧を身に着けた男達が取り囲み、下卑た笑みを浮かべている。
どれくらい、そうしていただろう?
男達の不躾で猥雑な視線に晒され、不快感と居心地の悪さがピークに達し始めた頃。前方から一組の男女が姿を現した。
一人はシルビア達にも見覚えのある顔。
今は傷らだけの騎士甲冑を身を着けているが、先程までカルーラ家の執事服を着ていた初老の男だ。
そして、その三歩前を歩くのは初見の女性。
長い紫色の髪を三つ編みで一つに纏め、その髪と同色のローブを纏い、赤い水晶玉のはめ込まれた杖を持つ隻眼の女性――
「お初にお目にかかります、シルビア王女殿下。私はウェーテリード王国、第三十八遊撃部隊隊長、アルテッツァ・ワイズと申します。以後、お見知りおきを」
不敵な笑みを浮かべながらも、仰々しく頭を下げるアルテッツァ。
「ほほお、ソナタが"紫紺の竜召喚士"アルテッツァ殿か? 噂は我が王都まで届いておる。こんな場でなければ、色々と武勇伝を聞かせて貰いたいものじゃ」
対するシルビアも精一杯の虚勢を張りつつ、笑みを浮かべて対応した。
「妾は腹芸が苦手でな。不躾で申し訳ないが単刀直入に聞かせてもらおう。ソナタ等の目的は、妾の身を楯にウェーテリードに帰還する事で良いのじゃな?」
「はい。ですのでサウラント側との交渉が終わるまで、王女殿下の身は人質として預からせて頂きます。よろしいですか?」
「ふん……どうせ妾に選択権などなし。ましてやコレでは手も足も出せん。好きにするがよかろう――」
シルビアは後ろ手に縛られた腕を軽く上げ、おどける様に肩をすくめると、苦笑いを浮かべながら顔を伏せる。
そして、シルビアは一拍置くように大きく息を吐くと、顔を上げてアルテッツァの隻眼の瞳を正面から見据えた。
「だだし、条件がある」
「条件……?」
「いや、条件というより頼みじゃな……妾達はソナタ等の指示に従おう。ただ、その娘だけは無事に帰してやってほしい」
傍らの荷車で眠るステラへと、視線を送るシルビア。
先程、副長である初老の男に頼み、そして断られた事を、今度は隊長であるアルテッツァにもう一度願い出たのだ。
アルテッツァもシルビアの視線を追うように、ハーフエルフの娘へと目を向けた。
魔法によって深い眠りに着いている少女。
ハーフエルフと言う種族の特性上、実年齢でいえばこの場の誰よりも年上であろう。それでも外見的には、まだ幼さの残る少女……
そんな、少女を見つめるアルテッツァの視界の隅。シルビアの後ろに控えていたトレノが一歩前に進み出た。
「アルテッツァ殿。貴女にも宮廷に仕える者としての誇りがあろう? ましてや女性の身であるなら思うところがあるはずだ。だから頼む、この者を見逃してやってくれ」
そう言って深々と頭を下げるトレノ。
当然同じ女性として、アルテッツァも彼女が兵達の慰み者になる事に対しては思うところはあるし、同情的にもなる。
しかし、この隊を預かる隊長としての立場で言えば、彼女をここへ連れて来た副長であるレグナムの判断は正しい。
先の戦での敗走。そして先の見えぬ隠遁生活。
兵の士気は下がり、隊の規律も低下。泥水を啜り、僅かな食糧を奪い合い、ちょっとした諍いが殺し合いに発展する日々……
そんな不満と苛立ちを抱えた兵達にとって、若い女性などは贄としては最適であろう。
しかし――
「オイオイ、大将。まさかこの姫さん達の言う事を聞く気じゃねぇだろうな?」
そんな心の葛藤に言葉を詰まらせていたアルテッツァの前へ、大柄な獣人の傭兵が歩み出た。
「ゴルフか……」
薄汚れ、ボロボロの革鎧を纏った狼顔の獣人。
アルテッツァにゴルフと呼ばれたこの傭兵こそ、今回の戦いに参加している傭兵達をまとめる、リーダー的存在の男であった。
「コチとら犬ッコロじゃねぇんだ。目の前にエサぶら下げられ、いつまでもお預けで待っていられるほど気は長くねぇ。悪いがその女は貰って行くぜ」
苛立ちを顕に言葉を吐き捨てると、荷車へと踵を返す獣人の傭兵。
それを見たアルテッツァも、僅かに顔をしかめるものの、止める事はせずにその後ろ姿に軽くため息をつくだけだった。
そして、そんなアルテッツァとは対照的に、歓喜の声を上げる傭兵達。
残りの正規兵は少ない。
いくら人質がいるとはいえ、ここで傭兵達に離反されては、作戦の遂行は難しくなるだろう。
だから副長のレグナムは、騎士の矜持に背く行為と分かっていても、あの少女を傭兵達への贄として連れて来たのだ。
しかし、少女の眠る荷車へと歩み寄りながら、その狼の顔に下卑た笑みを浮かべるゴルフの足が止まった……いや、止められた。
「チッ……オイ、どけよ」
そう、そのゴルフの足を止めさせたのは、進路を塞ぐ様に立つシルビアとトレノ。
行く手を阻む美人主従を、獣人の傭兵は頭一つ高い位置から威圧的な視線で睨みつける。
その怒りと苛立ちを孕んだ狼の目に臆すること無く、悠然と立ちはだかるシルビア。
「聞こえねぇのか、コラッ! どけつってんだよぉ! さもねぇと小娘の代わりに、テメェらの方を犯してやんぞっ!」
「………………かまわぬ」
大声で威嚇するように怒鳴るゴルフに、シルビアは視線を逸らすことなく、ポツリと呟いた。
「な、なんだと……?」
「聞こえなかったのか? かまわぬと言った。それで気が済むのであれば、妾達の事は好きにするがよい。だから、あの娘は見逃してやってくれ。頼むっ!」
そう言って、深々と頭を下げるシルビア。
更に、半歩後ろで控えていたトレノも前に出ると、シルビアの隣へと並び、同じように頭を下げる。
「主君の意向を汲む事。そして、国の民を護る事こそが騎士の本懐。それであの娘が……ステラが助かると言うのであれば、私も喜んでこの身を捧げよう」
二人の行為に、誰しもが言葉を失った。
身分制度の明確なこの世界。
貴族や高家の者は獣人達を蛮族と蔑む者も多く、差別の対象にもなっている。
仮にも国王の実子である王女と王国直属の近衛騎士が、その獣人に頭を下げたのだ。
それだけでも驚愕に値すべき事柄である。
更にシルビア達は、その獣人に身を捧げるとまで言ったのだ。
それも保身や命乞いではなく、どこにでもいるような、ただの街娘を助ける為に……
それは、貧富の差が激しく半軍事国家であるウェーテリード王国では、決してあり得ない光景だった。
「サウラントの民は、国に――王家に愛されているのだな……」
誰もが驚きに息を飲む中。その沈黙を破り、アルテッツァは自嘲するように呟いた。
シルビアは下げていた頭を上げると、そんなアルテッツァを正面から見据える。
「当然であろう! 君が君たらずば、民は民たらず。国がっ! 為政を行う者が民を愛さずして、どうして民が国を愛してくれようかっ!?」
堂々と胸を張り、そう言い切るシルビア。
囚われの身であるにもかかわらず、王家に名を連ねる者としての威厳に満ちたその姿に、隣に並ぶトレノも誇らしげに胸を張る。
そして、仕える国は違えどシルビアの言葉は、祖国に忠誠を捧げる正規兵達の胸に少なからず衝撃を与えた。
が、しかし――
「綺麗事ほざいてんじゃねぇーーっ!」
傭兵達には――特に差別や迫害の対象でもある獣人達の胸には、シルビアの言葉が別の意味で突き刺さった。
男は盗賊か傭兵、女は愛妾か娼婦。でなければ奴隷にでもなるしか生きる術のない貧民街の獣人達にとって、シルビアの言葉は強者の戯言でしかない。
「何の不自由もなく、毎日メシを食ってきたようなヤツが戯れ言をほざくなぁぁぁぁーーっ!!」
怒りに我を忘れ、拳を振り上げる獣人の傭兵。
大柄で人間の何倍も膂力の強い狼の獣人である。その大きな拳が振り下ろされれば、シルビアの――人間の女性の身体など簡単に砕けてしまうであろう。
「やめろゴルフッ!!」
「ちっ……」
アルテッツァは魔杖を構えながら慌てて静止の声を上げ、レグナムも剣の柄へと手を掛け、地を蹴った。
ここで王女の身に何かあれば、交渉どころの騒ぎではない。
この隊の全滅は言うに及ばず、全面戦争の戦端を開く事にもなりかねないのだ。
「かっかっかっ。よぉ言うたジャジャ馬姫よ。どこぞの列島の政治家どもに聞かせてやりたいわ」
振り上げられた拳を見上げ悠然と立つシルビアと、己の身を楯とすべく前へ出るトレノ。
その二人の間を、聞き覚えのある声と共に一迅の黒い疾風が吹き抜けた。
風になびく己の髪に視界を遮られながら、それでも確認できたのは、疾風の正体が小さな黒い塊である事。
そして、その黒い塊は大柄な獣人を弾き飛ばし、上空へと舞い上がった。




