第十章 四つ胴斬り 02
ただでさえ娯楽の少ないこの世界。
中でも大陸の外れに位置して、娯楽に飢えているこのラフェスタの街では、ちょっとした噂でもアッという間に広がっていく。
そう、新しく入った巨乳ウェートレスとオレの新作衣装の噂は、朝の内に広まっていたのだ。
そしてお昼を回った今では、それをひと目見ようと店内は満席状態。更に窓の外にも、大勢の野次馬が集まっている。
動くたびに大きく揺れる胸と、中が見えそうで見えないミニスカート。
そして、そこから伸びる絶対領域に男共は鼻の下を伸ばし、女性客は中性的なトレノっちと可愛い衣装とのギャップにウットリとしていた。
「ふぅ~、やっと席に着けたわい」
そんな中。約三十分待ちの行列を並んで、いつものじいさんが指定席とも言うべきカウンター右端の席に着いた。
「御老体、注文は?」
お冷を差し出しながら、じいさんの注文を取るトレノっち。
しかし、そんな新人ウェートレスに対してエロジジィは――
「そうさのぉ……」
などと悩むフリをしながら、ちょうど目の高さにある巨大な双山を凝視していた。
「御老体、失礼ではないか? 話をする時は、相手の目を見るものだぞ」
「すまんのぉ……昨夜、寝違えてしもうたようで、首が上がらんのじゃ」
「そ、そうか、それはコチラこそ、すまない。難癖を付けたようだ」
トレノっちっ、騙されるなぁーーっ!
寝違えた奴が、そんなエロい目で鼻の下なんか伸ばさないぞっ!
ちなみに、この対応にステラは苦笑いを浮かべ、ラーシュアは大きくため息をついた。
「して、注文は?」
「ふむ、今日は鉄火丼とやらにしようかの」
「承った。シズトーッ、鉄火丼一つだ」
「あいよーっ!」
てか、この前にラーシュアが宣伝してから鉄火丼が大人気だな。
まあ、鉄火丼は利益率も良いし、文句はないけど。
「ところで『とれのっち』とやら?」
「誰がトレノっちだっ!?」
「しかし、そこにそう書いてあるぞ?」
そう言って、じいさんはトレノっちの腰に着いているハート型の名札を指差した。
って!? このじいさん、いつの間に日本語を覚えやがったっ!?
「な、なにっ!? どうゆう事だ、シズトーッ! コレは日本語で『王国騎士、トレノ・スペリント』と書いてあると言っていたではないかっ!?」
オレは視線を逸らして、トレノっちの訴えをスルーする。
てゆうか、信じるか普通……? どう見ても五文字しかないだろう。
「まあよい、この件はあとで問い詰めよう……して、御老体。まだ何か用があるのか?」
「ふむ――お主、服に飯粒が付いておるぞ」
「な、なにっ? どこだ?」
軽く両手を挙げて、キョロキョロと自分の服を見回すトレノっち。
「仕方ないのぉ……ワシが取って――」
じいさんが、トレノっちへ手を伸ばした瞬間、オレとラーシュアが同時に動いた。
握っていた刺身包丁を逆手に持ち替え、じいさんの喉元に突き付けるオレと、箸の先端をじいさんの手のひらに突き立て進行を止めるラーシュア。
そんなオレ達の行動と、自分の胸の手前三センチで止まっているじいさんの手のひらを見て、ようやく置かれている状況に気付いたトレノっちは胸を隠すように抱え後退った。
「相変わらず、スキのない店じゃのう……」
両手を挙げて、降参の意思を表示するじいさん。
相変わらず油断もスキのねぇじいさんだな、ホントに……
オレとラーシュアが得物を引くと、入れ代わりにトレノっちが前に出る。
「ご、御老体……次にこの様な事をすれば、遠慮なく蹴り飛ばさせてもらうぞ」
「ホッホッホッ」
トレノっちの忠告を笑って誤魔化すじいさん。
てゆうか、そのじいさんは、若い女が蹴り飛ばしても喜ばせるだけだ。遠慮なく斬り捨ててしまえ。
そんな事を思いながら鉄火丼を仕上げて、カウンター越しにじいさんへ差し出した。
さて、とりあえず注文は一段落だ。
「シズトよ……先程からずっと気になっておったのじゃが――」
「なにが?」
と、手が空くのを待っていたかのように、お姫さまからお声が掛かる。
ちなみにこの姫さまは、開店と同時にカウンター左端の席――じいさんが座る席の反対側に陣取り、ずっと飲み食いしていた。
「なぜ、魚を切る時に、そのような長い包丁を使う? しかも、包丁全体を使ってゆっくりと切っておるじゃろ? もっと短い包丁でサクサクと切った方が効率もよかろう?」
和食の基本を知らない人なら誰もが思う疑問だな。
実際、外国で和食屋をしているニセ日本人の料理人は、出刃包丁でザクザクと刺身を押し切りしている場合が多いようだし。
以前、アメリカでは中華包丁を使って刺身を切る、広東語を話す和食料理人がいると聞いて、卒倒しかけた事もあったな……
まっ、こうゆうのは論より証拠だ。
オレは柵に切られたマグロの赤身を新しく用意する。
ちなみに柵とは、刺身を切るために大きく切り揃えられた状態の事。スーパーなどでよく見かける、長細い状態のモノだ。
その柵に包丁を根元から斜めに入れ、手前にゆっくり引きながら、包丁全体を使って切っていく。
同じ作業を繰り返し、刺身サイズに切り分けたマグロを、四切れほど用意するオレ。
そして、その内の一枚に少量のワサビを乗せて、菜箸でそのワサビを包む様に掴んで醤油をつけ、姫さまに差し出した。
「はい、あ~ん」
「ん? 食べて良いのか?」
「ああ」
「では、遠慮なく。はむっ……んん~、相変わらず美味しいのう」
カウンター越しに身を乗り出して、マグロを頬張る姫さま。
続いて、同じ様にしたマグロを、今度はトレノっちにも差し出した。
「はい、トレノっちも、あ~ん」
「わ、私もかっ?」
「いらんの?」
「うっ………………はむっ」
一瞬だけ躊躇ったトレノっちだったけど、少し顔を赤らめつつ、オレの差し出した箸から直接刺身を口にした。
「ふむっ! この醤油とワサビと言う薬味は、マグロとの相性が最高だな」
ふっふっふっ……そう、この二つが揃わなければ、刺身の味は引き出せない。
つまり、オレ達が醤油の製造法を独占している限り、マグロの値が上がる事はないのだっ!
ラーシュアのせいで、マグロの人気が上がった時はヒヤヒヤしたけど、値上げされずにホッとしていた。
まあ、少し話が反れたけど、オレが二人に『あ~ん』をしている時から、逆さにしたかまぼこの断面みたいなジト目が向けられていた……
ハイハイ、分かってますよ。
「ほら、ステラとラーシュアも――」
「はいっ♪」
「うむっ」
二人にも同じ様に、菜箸で刺身を差し出す。
まあ、こうなると思って、刺身を四切れ用意しておいて正解だった。
さて、今度は――
オレはマグロの柵を、左右反対にして先程とは逆側から刺身を切っていく。
ただ、さっきとは違い、今回は出刃包丁を使って上から押す様に切っていった。
見た目には、先程の刺身と全く同じに見えるモノだけど……
「はい、姫さま、あ~ん」
「あ~ん、はむっ…………ん?」
刺身を口にした直後、首をかしげる姫さま。
オレは、そんな姫さまをスルーして、トレノっちにも刺身を差し出した。
「はい、トレノっち。あ~ん」
「う、うん。あ、あ~ん…………んん?」
頬を赤らめていたトレノっちの顔がビミョーな表情に変わる。
そして、眉をしかめて、顔を見合わせる美人主従。
「主よ、ワシらはそっちはいらんから、刺身包丁で切ったのをよこせ」
「うんうん」
ちっ、贅沢言いやがって。
まあ、味の違いが既に分かっている二人には、食べ比べする意味もないからな。
「じいさん、サービスだ」
「おお、コレはありがたい」
オレは残っていた刺身を、じいさんのどんぶりに入れ、再び刺身包丁を使って切り直した。
オレの差し出した箸から、満面の笑みで刺身を食べるステラとラーシュア――――
やべっ、なんか楽しい。




