第四十八章 黒き海月の群れ②
「ツチミカドォォォォォォォーーーーッ!!」
肉体が完全に変質し、咆哮を上げるビクトール先輩。
更に大量の妖気が溢れ出し、そしてその妖気が不自然な動きを見せ始めた。
そう、可視化出来る程に濃密な霧状の妖気。
その黒い霧が各所で次々に集まって固まりだし、無数の球体を作り出していったのだ。
直径1メートル程。ぷよぷよとした黒い半透明な球体。
次いで、その球体の下半分が下へと伸びると、まるでシュレッダーで裂かれたかのように無数の触手へと変わり、クラゲのような形状へと変化して行った。
――いや、クラゲのようなではなく、見た目は大型のクラゲそのものだ。
違いと言えば、半透明な黒い頭の中をたくさんの黒い珠が――ピンポン玉より一回り小さな黒い球体が所狭しと漂っているとこか……
空中をプカプカと浮かぶ、大量の黒いクラゲ擬き。その数はザッと見でも、優に500匹を超えている。
おそらく攻撃手段は、あの触手だろうが……あんな大量の触手、捌き切れるか?
突然、見た事もない敵の大群に囲まれた事で思考が混乱し、身体を硬直させるオレ達。
『コレッ主ぃーっ!! ボサっと呆けとらんで、早く結界を張りなおせっ!! 其奴らを一匹たりとも外に出してはならんっ!!』
と、そんなオレ達に向け、放送席の村正から怒声が飛ぶ。
思考はまだ完全に繋がってはいない。それでも、コイツらは決して外に出してはいけないモノ――それだけは村正に言われなくとも本能的に理解出来た。
「明那っ! 結界の再展開だっ!!」
「ああっ、もう~っ! ただでさえ、霊力が残り少ないのにっ!!」
壁際に五体。五芒星を描くように置かれたままだった帝釈天と四天王の仏像へと霊力を送り、結界を再起動されるオレ達。
そして、そんなオレ達の動きに呼応するよう、ビクトール先輩はケモノのような雄叫びを上げながら突進。その伸びた鋭い爪を勢いよく振り下ろした。
威力、速さ、そしてそこに込められた魔力量……直撃すれば間違いなく即死であったろう。
しかし、そんな直線的で、見え見えの大振りな攻撃など当たる訳もなく。オレ達は軽く後ろへと跳び、躱して見せる。
渾身の一撃を躱されてバランスを崩し、転びそうになるほどにヨロけるビクトール先輩。
明らかに力の制御が出来ていない。オレの予想通り、いきなり得た大きな力を持て余し、振り回されている感じだ。
コレが先輩だけを足止めしていれば良いというのなら、霊力の残りが少なくとも、そう難しくはない。
しかし――
「ちっ……」
コチラも予想通り、先輩の大振りをバックステップで躱したオレ達に向け、無数の触手が一斉に襲いかかってくる。
一瞬のアイコンタクトの後、二手に別れ、先輩から距離を取るように、向かって来る触手を捌いていくオレと明那。
初めて見るタイプの魔物の軍勢。その能力も特性も分からない上、戦闘フィールドはさして広くも無ければ遮蔽物もない、結界に囲まれた閉鎖空間。
しかも、霊力は残り僅かな上に、結界の維持で少しずつ減少して行く……
子供の頃から暗殺業の第一線で戦って来たが、ここまで分の悪い戦闘は正直初めてだ。
「村正ぁぁーーっ!! コイツらの情報、知り得る限り教えろぉーっ!!」
クラゲを撹乱するよう動き回り、声を張り上げるオレ。
今は少しでも情報が欲しい。何より、さっきの村正の口振りは、まるでコイツを知っているような口振りだったし。
『あーあーっ……いや、こういう時は"てすてす"と言うんじゃったか……? まあ、よい。主よ聞こえておるか?』
「マイクテストなんてしとらんで、早く本題に入れっ!!」
『うむ、そうじゃの。あの海月擬きは、本家の魔王が使役しておった使い魔じゃ』
魔王の使い魔……だと?
四方八方から迫り来る触手を斬り落としながら潜り抜け、オレの後を追い駆けるビクトール先輩へと横目に視線を送り、眉を顰める。
覚醒魔王の魔力量は少々想定外だったが、それでも本家魔王と比べれば下位互換。
加えて、先輩はその強大な力を持て余し、振り回されていて、その能力を十分に発揮させられていない。
しかし、使い魔は別だ……
本家の魔王が使役した使い魔。
魔力の供給量さえ足りていれば、本家魔王が使おうが、先輩が使おうが、同じ性能を発揮するのが使い魔である。
『して、その海月擬きな……人を捕らえて喰らいよる』
「人を……喰う?」
『うむ。あの長い触手で人を捕らえ、柔らかい頭を伸ばして包み込んだら、一瞬にして溶かし消化する。しかも厄介な事に、彼奴ら一人喰らう度に分裂し、数を増やしてゆくのじゃ』
「なっ!?」
村正からもたらされた情報に、オレは一瞬言葉を失った。
人を食い、分裂して数を増やすという事は――
『少しでも外に漏れて、戦う力のない市井の民が――いや、戦う力があったとて、雑兵程度では歯が立たぬ。祖奴ら襲われ、喰われれば、そこからネズミ算式に数が増えてゆく……』
と、いう事だよな。
そう、映画や漫画なんかでよくあるゾンビパンデミック状態――いや、クラゲの方が空を飛び回り、無数の伸びる触手で人を襲う分、ゾンビよりたちが悪い。
そうなって来ると、一時的に第二防衛隊へ戦線を預け、その間に態勢を立て直すという案も難しくなってくるな。
近衛騎士団に宮廷魔導師がいるとはいえ、部隊の大半は一般兵。村正が言うところの雑兵だ。そして、コチラの一般兵に出た損失は、そのまま敵戦力の増強に繋がるという事である。
正直、第二防衛隊に戦線をあずけるのは最後の手段だ。
「それでっ! 弱点はないのっ、弱点はっ!?」
オレ達の会話に割って入るよう、明那が声を上げる。
本来なら初見の敵の弱点とは、戦いながら探していくのが常道である。しかし精神的にも肉体的にも、そして時間的にもそんな余裕はないのが現状。
何よりコイツら、身体自体はそれほど硬くもなく安物の剣でも斬る事が出来るが、斬った先からすぐに再生し、復活してしまうのだ。
オレにも明那にも、少なからず焦りの色が見え始めている。
『祖奴らの頭に黒い珠が幾つもあるであろう?』
「んんっ……あのタピオカみたいな、ちょっと美味しそうなやつ? ってか、タピオカ飲みたい」
いやいや、明那ちゃんや……
タピオカはオレも嫌いじゃないが、アレを見てタピオカを連想、あまつさえ美味しそうに見えるのか?
オレの方はアレを見て、真っ先にカエルの卵を連想して嫌悪感をいだいたぞ。
『"たぴおか"とやらがどういった物かは知らんが、あれを飲むのはお薦めできんのう。あれは妖力を圧縮させ結晶化した物。彼奴ら、触手や頭部が斬られると、あれを消費して再生しておるのじゃ』
「ってことは、あのクラゲを倒すには――」
『あの珠を全部潰すか、高火力の炎でぃに焼き尽くすか……』
ちまちま潰してる時間もなけりゃ、そんな高出力な炎が出せるほど霊力も残ってねぇよ!
『あとは核となる珠を潰すかじゃな』
「核……だと?」
ようやく見えかけた光明に、放送席にいる村正へと目を向け……
って、いねぇし!