第四十八章 黒き海月の群れ①
石畳の上からビクトール先輩方へと大きく、そして勢いよく跳ぶと、正に先輩の眼前へと着地するオレ達。
無助走5メートルジャンプの衝撃を膝を曲げて和らげ、その曲げた膝を伸ばしながら全身のバネを利かせて、剣をビクトール先輩へと突き入れた。
肉体を廻る魔力が霊力から妖力へと変貌し、周囲のマナを汚染させるという魔王の持つ特性まで得たビクトール先輩。
しかし、覚醒魔王といっても外見がまだ人間の姿を保っているという事は、まだ完全に覚醒し切ってはいないのだろう。
そんな先輩に対する様子見に加え、意識を脱出するソフィア達からオレ達の方へと向けさせる事を兼ねた奇襲攻撃。
とはいえ、暗殺者の戦い方とは本来、無駄な戦闘はせず初撃で相手を葬り去るのが生業。
それが不意打ちともなれば尚の事。
そんな戦い方を長年やってきたオレ達の攻撃は、的確にビクトール先輩の人体急所を穿いていた。
先輩の眉間へと突き刺さる明那の剣。
さすがは王家に伝わる宝剣である。身長差的に斜め上へと伸びる細身の剣は頭蓋骨を容易く穿き、後頭部へと貫通している。
対してオレの方はといえば、身体を貫通するまではいかないが、それでも切っ先は左胸の肋骨の隙間を抜け、的確に先輩の心臓を穿いていた。
「よっと……」
「グリッとなっ」
オレ達は行き掛けの駄賃とばかりに、先輩へと突き刺さる剣をグリッと捻りながら引き抜き、後ろへと跳んで間合いを取った。
脳みそと心臓を同時に刺され、更にその剣を捻りながら引き抜かれたのだ。人間はもちろん、普通の魔物や魔族あっても完全な致命傷となるだろう。
確かに様子見の初手ではあったが、これで決まってくれるなら、それはそれで御の字ではあるのだが……
眉間と左胸から血飛沫を上げ、フラフラとよろけるように後ずさるビクトール先輩。
しかし、先輩は数歩下がったところで立ち止まり、流れ出る鮮血を気にする風もなくゆっくりと顔を上げた。
「ツチ……ミ、カ…………ド?」
眉間に開いた風穴から、どくどくと溢れる鮮血。負の魔力を帯びて少し黒みが掛かった流血。
人の血液とは明らかに違う赤黒い血に顔を汚しながらも、オレ達の姿を視界に捉えると同時に、先輩はその血塗れた顔を一気に憤怒の形相へと変貌させていった。
だよね……
急速に塞がる先輩の傷口を目に、思い切り眉をしかめるオレ。
まっ、世の中そう思った通りには行かないもんである。
いやむしろ、ここまで散々に話を引っ張って来ておいて、仮にもボスキャラ的ビクトール先輩を瞬殺してしまったら、どんなクソゲーだよっ!? って感じだしな。
「ツチミカドォォォォォォォーーーーッ」
咆哮と共に湧き上がる濃密な妖力――可視化出来る程にドス黒く、まるで霧のような負の魔力が急速に広がっていく。
不快に全身へとまとわり付き、恐怖や絶望、不安といった負の感情を増幅させるような魔王の魔力。普通の人間であれば、その恐怖や絶望に囚われ、金縛りにあったかのように身動き一つ取れなくなってしまうだろう。
魔王の名を冠しているが、所詮は本家魔王の下位互換だと侮っていたが……
「チッ……」
その量も質も想定外に強大な魔力に舌を打ち、オレは後ろへと振り返った。
どうにか反対側の入場口まで退避する事の出来たソフィア達。
そして、オレの視線に気付いたエウルが、コチラは大丈夫だとばかりに両腕を使って頭上へ輪っか作る。
とはいえ、ほとんど女生徒は入場口から通路へと入ってすぐの所で腰を抜かし、怯えた表情でヘタリ込んでいた。
ソフィアやサンディ先輩、そしてファニが肩や背中を貸し、腰を抜かした女生徒達を避難させようと頑張ってはいるが、状況はあまり芳しくない。
そして、そうこうしている内にも周囲の魔力は濃密さを増し、当のビクトール先輩の身体が明らかに人外の者へと変質して行った。
纏っていたガウンはボロボロに破れて吹き飛ばされ、その下にあった肉体はドス黒く変色。身体中を血管のように廻る気脈が脈打つように青黒く発光。
両の眼は深紅に染まり、額からは触覚のような角が、そして筋肉の盛り上がった両肩と肘からは鋭い棘が、更には両手の指からは先の尖った長い爪が生えてくる。
骨格が、筋肉の付き方が、そしてそれを覆う皮膚の質感が、明らかに人間とは別種――魔の者の躰へと変貌していくビクトール先輩。
「な、なによ……実写版のデビ○マンみたいで、ちょっとカッコいいじゃない……」
えっ? アレがカッコ良く見えるのか?
お兄ちゃん、お前の美的センス悪さに、将来が少し心配になってくるよ。
間違っても、あんな不気味な奴を連れて来て、彼氏だなんて紹介してくれるなよ……
少々斜め上にズレた明那の美的センスに頬を引き攣らせ、苦笑いを浮かべるオレ。
「それで? この後どうするの?」
「どうするか……?」
正直、残り少ない体力と霊力では、取れる作戦も限られてくる。
頭や心臓を穿かれても、一瞬で回復する再生能力。
コレを倒そうというのなら、高威力の呪術で再生なとさせず一瞬で消滅させるか、再生能力を上回るスピードでダメージを蓄積させていくか……
まあ、後は一気に頸を刎ね飛ばすくらいしか手はないだろう。
とはいえ、そんな高威力の呪法を使える霊力は残ってないし、ダメージを蓄積させていくなんて長期戦をする体力もない。
唯一可能そうなのは、頸を刎ね飛ばす事だけど……
盛り上がった肩と、そこから生える棘がかなり邪魔くさい。
何より、村正ならその棘ごと頸を刎ねられるかもしれんが、ファニから借りた安物ではまず不可能。てゆうかこの剣じゃ、人間の頸すら落とせる気がしねぇし。
それに明那の持つ王家の宝剣も、いくら切れ味が鋭いとはいえ、どちらかと言えば刺突をメインとして戦う為の造りになっている剣。
やはり、覚醒魔王となった先輩の身体を穿く事は出来たとしても、頸を斬り落とすまでには至らないだろう。
「ねぇ、お兄ちゃん。もしかしてコレ……詰んでね?」
オレと同じ考えに至ったのだろう。
剣を納めた鞘を左手に持ち、逆手居合いに構える明那の問い。
「かもな……あとは、戦いながら覚醒魔王の弱点を見つけられれば、ワンチャンってトコだな」
「随分と可能性の低い話だねぇ……」
げんなりと肩を落とす明那。
確かに、この場で決着をつけるとなれば詰みに近い。
しかしだ。不幸中の幸いな事に、国王の護衛として一緒に退避中であろう近衛騎士団と近衛騎士団団長が、すぐ近くにいる。
そして何より、ココは王都――国の中枢だ。城には多くの兵が詰めていているし、虎の子の宮廷魔導師部隊だっている。
住民と王侯貴族の避難、そして第二防衛ライン構築が完了するまで足止め出来たら、一時撤退して態勢を立て直すくらいの時間は任せられるだろう。
覚醒魔王もマナを汚染させるとはいえ、そこは本家魔王の下位互換。そこまで広い範囲が汚染されてはいないのだろうし、少し離れれば霊力の回復が出来るし村正も手に出来る。
態勢さえ整えば、下位互換魔王などオレ一人でも十分だ。
それと、コレは希望的観測かも知れないが、ビクトール先輩がオレ達の名を呼んたという事は、多少なりもとまだ自我が残っているという事。そして、覚醒魔王がいくら強大な能力を持っていたとしても、自我が残っているという事はその能力を使うのはビクトール先輩である。
ついさっきまで人間だった先輩が、いきなりその能力を100%引き出せるかと言えば、おそらく不可能だ。
何より、オレ達に固執しているビクトール先輩。都市の一つや二つ簡単に消し飛ばせるという戦略兵器並みの広範囲殲滅魔法もあるのだろうが、接近戦ではそんなもの使えないだろうし、仮にこの距離でそんなもの使えば自分自身もタダでは済まない。
――と、そんな事を考え、状況を少々楽観視していたオレ。
しかし、そんな甘い考えは、一瞬にしてコナゴナに粉砕してしまった……