第四十七章 覚醒魔王②
病院で入院患者が着ているような白いガウン姿に、まったく焦点のあってない虚ろな眼と生気を全く感じさせない蒼白の顔色。
まるで動く死体にでもなったかのようなビクトール先輩の登場に会場中がどよめき出す。
観戦席からでも分かる程の異様な光景。
当然、更に近くにいるオレ達――特に治癒術師の娘達は、その異様な光景と肌で感じる程の異質な魔力に身を震わせて始めていた。
騎士を志す生徒達ですら、恐怖に身を震わせる程に異質な魔力……
そう、ビクトール先輩の発している魔力は、正の魔力たる霊力ではなく負の魔力――妖力なのだ。
「悪魔憑き……? いや、でも……」
半信半疑と言った感じで訝しげに眉を顰めて、ポツリと呟く明那。
まあ、悪魔憑きというのは、当たらずとも遠からずと言った所だろう。
悪魔憑き――
日本では狐憑きなどとも呼ばれ、悪魔や物の怪、妖かしなどに憑依され、身体を乗っ取られた状態を指す。
オレや明那などは体内の霊力を放出する段階で、その霊力を妖力に変換し、放出する事は出来る。
また、異世界の人間でも魔力の扱いに長けた者なら、訓練次第で妖力変換が出来るようにもなるだろう。
しかし、目の前のビクトール先輩は体内に内在している魔力自体が負の魔力――つまり妖力なのだ。
妖かしに憑依され身体を乗っ取られているのは間違いない。ただその影響で、ビクトール先輩の肉体自体が妖かしへ――つまり魔族へと変容しているのだ。
とはいえ、この場には数百人の騎士候補生だけでなく、かつては騎士だった講師陣に現役の宮廷魔導師、更には近衛騎士団もいる。
それに、いくら消耗していても魔族の一人や二人――特に人から魔族へと堕ちたばかりの若い魔族ならオレ達二人でも、それほどおおきな脅威ではない。
幼い頃から『魔に魅入られし者は人に非ず』と何度も説かれて来たオレ達だ。
たとえ友人知人――いや、肉親であろうとも、妖かしへと堕ちた者の頸を刎ねる事に躊躇いはない。
そう、躊躇いはない。はずなのに……
「くっ……」
忌々しげな表情を浮かべる明那の頬を一筋の汗が伝い、ポツリと地面へ黒い染みを作る。
多分、オレも似たような表情をしている事だろう。
本来であれば即座に地を蹴って、先輩へと斬りかかっていなければならない状況だし、繰り返しになるが、そうする事に躊躇いはない。
しかしだ――
理由は分からないが、オレ達の意思に反し、ビクトール先輩へと斬りかかる事を身体が拒否。不用意に先輩へ近づく事を本能的に警戒し、身体が拒んでいるのだ。
そう、物心ついた時から裏の世界で生きていた、暗殺者としての本能が……
「ツチ……ミカドォ……どこに、いるぅ……ツチミカドォ……」
意識が混濁し、朦朧としたような虚ろな眼。まるで夢遊病者のようにフラフラと歩きながら嗄れた声を発するビクトール先輩。
やはり、目標はオレか……
というより、オレ達以外は眼中にないようだ。その証拠に、虚ろな目に映っているはずのソフィア達には見向きもせず、オレ達を探してフラフラと視線を漂わせてていた。
右手のひらをゆっくりと閉じたり開いたを繰り返し、自身の状態を確認しつつ、石畳の陰からそんな先輩と、そこから発せられる魔力を注意深く探っていくオレ。
何がオレ達の足を止めているのかを探るように……
オレ達自身の霊力の状況。そして辺り一面を覆い尽くすように広がる、今まで感じた事のない種類の不快な魔力。
更にそこへ決勝戦の直前に学食で話していた村正の言葉が頭を過り、オレの中でようやく一つの仮説が成り立った。
そして、その仮説を肯定するかのように、放送席へ残して来た村正の音声がマイクを通して闘技場へと流れ出す。
『おい、そこな眼鏡娘よ――』
『えっ? せ、聖剣様? どうしてコチラの世界の言葉を……?』
『えぇいっ! 今はそんな細かい事はどうでもよいっ!!』
眼鏡娘とは、おそらく生徒会書記のメガネっ娘の事だろう。
まあ確かに、今はエロ性剣がセクラハの為に作った設定などどうでもいい。
『眼鏡娘よ。そこの"まいく"とやらで、すぐに全員避難するよう伝えるのじゃ』
『ひ、避難……ですか?』
『うむ……成りは小さいが、彼奴から感じるこの妖気……この見覚えのある異様な妖気は、間違いなく"魔王"のモノ』
『ま、まおうの……もの?』
わざわざ伝え直す必要なく、しっかりとマイクに拾われ、闘技場全体へと流れた二人の会話。
やはりそうか……
二人の会話――村正が発した魔王という言葉。オレと明那は即座にその意味を把握し、現在の状況と照らし合わせて思い切り眉を顰めた。
決勝戦直前に村正が話していた、魔王を魔王たらしめる所以。
それは、周囲の魔素を汚染させる事。そして、汚染された魔素は霊力に変換出来ず、霊力の回復が出来なくなるという事……
そう、ビクトール先輩が姿を現してしから、オレ達の霊力は全く回復しなくなっているのだ。
そして、即座に現状を把握したオレ達から遅れること数秒。
オレ達の背後にいたソフィアとサンディ先輩が、そして更にその数秒後には放送席のメガネっ娘が、村正の言葉の意味を理解し現状を把握していった。
「そ、そんな……」
「魔王とはまさか……」
『か、覚醒魔王……ですか……?』
各々が発した呟き声。
特にメガネっ娘が発した"覚醒魔王"というワードはマイク拾われ、会場中が一瞬の静寂に包まれる。
そして僅かなタイムラグを経て、ようやく現状を理解した生徒達から悲鳴が上がり、観戦席は一気にパニックへと陥った。
覚醒魔王――字面だけを見れば、魔王が覚醒しパワーアップした状態。魔王の上位互換的に見えるだろう。
しかし実際は、人間が魔王へと覚醒した状態であり、魔王の下位互換の事である。
とはいえ、いくら下位互換と言っても、その互換元は世界を滅ぼすとも言われている魔王だ。本格的に暴れだしたら都市の一つや二つ、簡単に消し飛んでしまうらしい。
一年の時に歴史の授業で聞いた事の受け売りだが、この覚醒魔王とやらは過去に二度ほど出現した事があるという。
そして、そのどちらとも数万人規模の死傷者が出たそうだ。
完全にパニックへと陥った観戦席。我先にと逃げ出す生徒達と、そんな彼らに落ち着いた行動を取るよう、放送で呼び掛ける学生会メガネっ娘。
当然、オレと同じ歴史の授業を受けている生徒達――
いや、そんな授業を受けていなかったとしても、覚醒魔王の逸話とはこの世界の住人なら子供でも知っている歴史であり、忌まわしい凄惨な過去の記録である。
いくら騎士を目指す学生達であるとはいえ、そんな惨事を引き起こした存在と同じ者が何の前触れもなく現れたのだ。集団パニックを引き起こしたとしても仕方ない事だろう。
むしろ、僅か数十メートルの距離に迫られ、ソフィアやサンディ先輩、エウル達がパニックを起こしていないのが不思議なレベルである。
まあ、ストライプさんやチェック柄さんなんかは、パニック以前に恐怖で身が竦み、声も出せないって感じだが。
『ツチ……ミカド……ツチミカドォォ……』
観戦席の騒ぎなど気にかける風もなく、絞り出すような唸り声上げながら、ジリジリと歩み寄るビクトール先輩。
先輩の目標がオレ達なのは明白。
そして、いくら気配を消しているとはいえ、いつまでもこの状態でやり過ごせる訳もなし。
となれば、打って出るしかない訳だが……