第四十五章 切り札①
「ふぅーっ……どっこいせっと」
「ふいぃ―っ……よっこいしょ~いちさんっと」
「おい、明那さんや? 日本の為に、終戦後もグアム島のジャングルで28年間も戦い続けた憂国の士を茶化すように言うのはやめなさい」
「恥ずかしながら、了解です」
だから、それをやめなさいと言うに。
いや、そんな事よりも――
オレは身体の状態を確かめるように首や肩を回しながら、ゆっくりと辺りを見回した。
「闘技場……こんなにしちゃって、どうすんだよ明那……?」
そう、先ほどの爆発で、浅いすり鉢状のクレーターと化した地面。
基礎となっていた石畳もボロボロに砕け散り、瓦礫の荒野となった地面からは焦げ臭い匂いが漂い、そこかしこで煙も燻っていた。
今頃、修繕費を捻出しなくてはならない経理部の皆さまが頭を抱えているぞ、きっと。
「そこはほら。お兄ちゃんが匿名で修繕費を寄付すればいいじゃん。お金はいっぱい持ってるでしょ?」
オレと同じく身体の状態を確認するよう、ストレッチで身体を伸ばしながら、『何か問題でも?』とばかりに、首をきょとんと傾げる明那。
いや、まあ……金は余ってるし、寄付はするけどさぁ……
悪びれる風もなくそんな事を言ってのける明那に、オレは膝を屈伸させながら苦笑いを浮かべた。
『ま、まさか……あんな攻防をして、無傷なのですか……?』
そんなオレ達の様子に、言葉を詰まらせ驚きの声を絞り出すサンディ先輩。
『そんな訳なかろうて。足場の不確かな場所で、あれだけの玉を全て避けられる訳もなし。お互い、急所を守るのが手一杯であったろうよ』
『確かに……わたくしの見立てではお二方共に鎖骨と腓骨、それと肋骨が数本は確実に折れておりましたし、身体中の骨にヒビが入っていたはずです』
さすが、エリシェース女学院主席の治癒術師。いい診断能力だ。
『うむ、それと内腑にも、少なからず損傷があったはずじゃ』
『では、なぜ……?』
そんな怪我の影響など感じさせずピンピンしているオレ達へ、サンディ先輩を始めとする学園生達から、訝しげな目が向けられる。
『治癒魔法……』
『え……?』
『お二人が着地のあとに唱えていた呪文。遠くてちゃんとは聴き取れませんでしたけど、明羅様達の世界の治癒魔法と同じ呪文だったと思います』
まあ、正確には呪文ではなく真言だけどな。
そしてこの真言は、明那もエリ女でちょくちょく使っていただろうし、オレも先の盗賊討伐で死にかけの女の子を助けるのに使ったからな。
ソフィアなら、詠唱を覚えていても不思議ではないだろう。
『うむ。先ほど主達が唱えていたのは薬師如来真言と言うて、薬師瑠璃光如来の威光を以って病気や怪我を癒す呪法。その呪法で怪我を治したのじゃな』
『そ、そんな……明羅様達の世界の治癒魔法は、あれほど酷い怪我を一瞬にして治してしまうほど強力なのですか……?』
『いや、それは使い手次第であり、主達がそれだけの使い手だったという事じゃ。それに、この国の魔法とやらとて使い手次第で威力が全く変わってくるのであろう?』
『いや……ま、まあ……そうなのですが……』
いまいち納得し切れないご様子のサンディ先輩。
まあ、使い手次第とは言っても、この世界の宮廷治癒術師だって、さっきの怪我を一瞬で治すなんて事は出来ないだろうからな。
とはいえ――
『とはいえ――』
そんな事を考えていたオレの逆接な接続詞と、ソフィアの口にした逆接な接続詞が重なった。
『とはいえ、わたくし達の使う治癒魔法では、急速な怪我の回復は身体に大きな負担をかけてします。そして、そんなわたくし達の魔法よりも、更に急速な怪我の回復……聖剣様? 先ほどの治癒術は、明羅様達の身体にも大きな負担がかかっているのではありませんか? いえ、わたくしの目には、大きな負担がかかっているように見受けられます』
中々に鋭い所を突いてくる姫さま。
その言葉に明那も、よく見てるなぁ……などと呟きながら、苦笑いを浮かべていた。
『ふむ。聡いのう、姫さまよ……』
『恐縮です』
『お主の申す通りじゃ。あれほどに大きな呪術を連続して使いながら跳び回り、最後には大怪我を一瞬で治す癒しの呪法……二人共に意地っ張りじゃからのう。平然を装っておるが、恐らくは立っているのも辛いほどに精神的にも肉体的にも疲労困憊のはずじゃろうて』
誰が意地っ張りやねん……
とはいえ、死返玉とは十種の神宝の一つ。いわゆる神具である。
その神具である死返玉を高速で、しかも百個同時にコントロールしていたのだ。精神的疲労は半端ないし、その攻撃を受けて蓄積された身体のダメージが計り知れないのも事実だけど。
加えて、それだけの怪我を呪術で一気に治したのだ。
強力な薬は効果が高い反面、身体に大きな負担をかけるのと同様。急速な怪我の治癒は、身体に大きな負担をかけるのは当然である。
『そ、そうしますと……聖剣様の見立てでは、間もなく結着が着くという事でしょうか?』
『うむ、恐らくは次の一手じゃな。いかな主達の霊力が強大とはいえ、あれだけの大技を連発したのじゃ。霊力もかなり消耗しておるじゃろうからのう。そうなると、大きな呪術はあと何回も使えんじゃろ』
『そうですね……付け加えるなら、魔力の――明羅様達風に言うのであれば霊力ですか? その霊力の快復力は、体力と精神力にも影響されます。体力と精神力が消耗した今の状態で、戦いながら霊力の快復をさせるのは効率が悪すぎます』
ホント……
村正はともかく、ソフィアもよく状況が見えているなぁ……
一般常識には若干疎いところもあるが、コト魔術、呪術に関しては、魔道科主席のサンディ先輩すら顔負けだ。
「って事らしいけど、どうする明那? そろそろ結着を着けるか?」
オレは一つ肩を竦めてから、状態を確認するように肩を回していた明那へ問いかけた。
「んん~。あんま村正ちゃんやソフィアちゃんの言う通りに進めるのはシャクだけど…………これ以上続けると、明日辛そうだからねぇ……」
「同感だ……」
今の段階でも、明日は――いや、明日から数日は、重度の筋肉痛で苦しみそうだしな。
オレ達は、互いに口元へ笑みを浮かべながら、正に切り札となる式札を取り出した。
「「我が身、護りたまえ、風天神の風衣。オン バサラ ニーラサーガ、オン バサラ ニーラサーガッ!」」
オレ達二人を中心に巻き上がる、二つの旋風。
風天神の風衣――先ほどまで纏っていた、風の鎧の上位互換ともいうべき術である。
圧縮された空気の障壁で身を守る風の鎧に対し、風が身体の周囲を高速で回転する事で、攻撃や衝撃を受け流し、弾き飛ばす風天神の風衣。
お互いの決め技がぶつかり合う事で襲われる衝撃に備えたオレ達は、手にしていた式札を突き出した。
「天の四方の宿星。東方を護りし、気高き龍。災いを寄せ付けず、恵みの雨と共に勝利をもたらす龍神"青龍"よ。我が呼び声に応えその姿を顕現させよっ! 急々如律令っ!!」
「天の四方の宿星。南方を護りし、炎の神鳥。五色の焔が宿りし翼にて、全ての厄災を焼き払う不死鳥"朱雀"よ。我が呼び声に応えその姿を顕現させよっ! 急々如律令っ!!」
手にしていた式札を、上空へと同時に放つオレ達。
眩いばかりの光を伴ってオレ達の頭上に現れる、緋色と蒼白い二つの巨大な発光体。
そして、その二つの巨大な発光体はオレ達の霊力を受け、次第に巨大な鳥と龍の姿へ変わっていった。
明那の頭上に顕現した、燃え盛る炎を纏う不死鳥"朱雀"。
そして、オレの頭上に顕現した、雷雲を纏う龍神"青龍"。
そう、これがオレ達の使役している中で最強の式神であり、最強の切り札である。