第八章 乙女の密談 02
「す、すみません、何度かノックはしたんですけど、くくく……」
そこに立っていたのは、トレーを乗せた大きな木箱を持つステラであった。
「そ、そうか……それはすまなんだ……」
自国の民に恥ずかしい姿を見られた第四王女は、耳まで赤く染め上げ視線を逸らす。
ステラはそんなシルビアの横を通り過ぎ、トレノの傍らに木箱を置くと、上に乗っていたトレーを手に取った。
「こちらトレノさんの鎧。塩水をよく洗い流して磨いておきました。そして、シズトさんがコレを――多分、こんな事になってるんじゃないかって」
「すまない、感謝す――」
「おっ? おおおぉぉーーーーーーっ!!」
全身で喜びを表し、トレノの感謝の言葉をかき消す程に歓喜の声を上げるシルビア。
そう、ステラが手に持つトレーには、トレノの前に置かれた土鍋と同じ物が乗っていたのだ。
「ほんにシズトは気が利くのぉ。その上、料理が上手で博識ときておる。妾の婿に欲しいくらいじゃ」
「えっ……?」
シルビアの言葉に、思わずトレーを手放すステラ――
「ぅおぉ~いっ!?」
シルビアは尋常ではない反射神経を見せ、ヘッドスライディングで床に落ちる寸前のトレーをキャッチした。
「じょ、冗談じゃ、冗談……ソナタから取ったりせんから、安心せぇ……」
シルビアはうつ伏せのまま、苦笑い――と、いうより引きつった笑いで、ステラを見上げた。
「ほっ……びっくりしました」
「びっくりしたのは、こっちじゃ……」
シルビアはトレーを持ったまま器用に立ち上がると、そのトレーをテーブルに置いて席に着いた。
「だいたい、王女が庶民を婿に取れるワケなかろう? 第四王女の婚儀など、どこぞの貴族のボンクラ息子相手に政略結婚と相場が決まっておる。チュルルルル……おお、美味いなコレっ!」
うどんを啜りながら楽観的に話すシルビアの言葉に、悲し気な表情を見せるステラ。
「姫さま……ですから、そのように自分を卑下するような物言いは、チュルルルル……ホント美味しいですね」
主が食事を始めた事で、トレノも気兼ねなくうどんに手を付けた。
「そうは言うっても、はむっ……んっ、身分違いの恋だとか、禁断の愛なぞに焦がれる年でもあるまい?」
海老天を頬張りながら、反論するシルビア。
「姫さまっ! 口に物を入れためま話すのは、おやめ下さい――それに姫さまはまだ、そのようなモノに焦がれてもよいお年なのでは?」
「ふんっ、お前はもっと現実を見よ。そのような事を言っているから、その年で未だ処女なのじゃ」
「ぐさぁぁっ!!」
シルビアによる言葉の刃を受け、胸を押さえてベッドから転がり落ちるトレノと――
「ん? ソナタは何をしておるのじゃ?」
ベッドから落ちたトレノの隣に、なぜかステラも一緒になって倒れていた。
「い、いえ別に……それでは食器は後で取りに来ますから……」
そのまま床を這いずる様に、匍匐前進で部屋を後にするステラ。
「んん? ん………………ふっ、まさかな」
エルフは長命である。実際の年は聞いてないが、少なくとも自分の倍は生きているはずだ。いくら見た目がああでも、その年で未経験とゆう事はないだろう。
そんな事を考えながら、シルビアはうどんを啜った。
「ひ、姫さま……いくら姫さまでも、言って良い事と悪い事が……」
こちらはこちらで、切れ長の瞳に涙を浮かべながら、這い上がるようにしてベッドと戻るトレノ。
「トレノよ、早く食べんと冷めてしまうぞ。文句なら食べ終わったら聞いてやる」
そう言われては是非も無い。
トレノは若干冷めかけたうどんを、一気に口へとかっ込んだ。
「ん、んっ、ごちそうさま――それで姫さま」
「は、早いな……」
「いくら姫さまでも、言って良い事と悪い事があります」
「そうは申してもなぁ――お前とて、もう二十四になるのであろう?」
「いえ、二十三と十ヶ月に十七日です」
「来年は二十五――四捨五入すれば三十路じゃ」
「いえ、切り捨てて、二十歳です」
シルビアの言葉に、淡々と即答する現実逃避気味のトレノ。
「百歩譲って、仮に二十歳だとしても行き遅れには変わりないじゃろ?」
「ま、まぁ、それは……」
「それに五つ年下の妹には、もう三つになる子供もおるとゆうではないか?」
「は、はあ、まあ……」
この世界での結婚適齢期は、女性の場合十五歳から十八歳が理想となっている。
実家に帰った際に聞かされる母親の愚痴と同じような事を言われ、トレノは段々と肩身が狭くなっていく。
「いかなお前とて、今更白馬の王子に憧れる年でもあるまい? このまま年を取れば、そのうちオークやゴブリンくらいしか相手がいなくなるぞ」
「ひ、姫さま……いくらなんでも、そこまでは……」
そう、いくらトレノの母親でも、そこまでは言わなかった。
まあ、ドワーフ相手に縁談を組まれそうになった事はあったけど……しかも後妻に。
シルビアは一口うどんを啜ってから、軽い咳払いをした。
「コホン……あ~、ときにトレノよ――」
「なんでしょう……?」
シルビアに言い負かされ、すっかり肩を落とし、力なく編集を返すトレノ。
「お前、シズトを婿としてスペリント家に迎える気はないか?」
「…………………………はぁ?」
シルビアの言葉が理解出来ず、トレノはたっぷり間を開けてから訝しげに首を傾げた。
「いや、だからじゃな。シズトと結婚しないかと聞いておる?」
「な、なななんで、わわわ私が、あんな男と結婚をっ!?」
トレノは慌てまくって立ち上がり、身を隠す様にして後退さった。
「まあ、落ち着け。そして座れ」
「は、はい……」
主君の命に従い、トレノはおずおずとベッドに座り直す。
「よいか? 相手はゴブリンやオークではなく、人間の若い男じゃぞ。それに、必要なら妾が直筆で推薦状も書こう。行き遅れの娘を片付けるのに、ドワーフの後妻でもよいと縁談を進める母君じゃ。相手が人間の若い男というだけで、飛び上がって喜ぶのではないか?」
「な、何で姫さまが、その事を……?」
「そんな事はどうでもよいっ! ここだけの話、妾はあのシズトとラーシュアを買っておる。二人の持つ知識や技術は、きっと王国の発展に役立つであろう。こんな王国の外れで雇われの料理人などさせておくには惜しい人材じゃ。そうは思わぬか?」
「は、はぁ、まあ……そうゆう面がある事を認めるのもやぶさかではないですが……」
土鍋を片手に身を乗り出して話すシルビアに、トレノは曖昧な言葉を返す。
「正直なところ。さっきはステラの手前、冗談と申したが、出来る事なら妾の婿にしたいと言うのは本心じゃ。どこぞの貴族のボンクラ息子と政略結婚などするより、よほど王国の為になろう?」
「い、いや……いくら何でも、それは大臣達が許さないでしょう……」
「じゃろうな――」
いくら王位継承権が低いとはいえ、一国の王女が市井の民――それも豪商というならいざ知らず、田舎街のちっぽけな店、しかも雇われ料理人との婚儀など認められるはずがない。
「じゃから、妾の代わりにトレノがシズトを婿に取り、王都まで引っ張り出して欲しいのじゃ」
「だから、なぜそこで私なのですかっ!?」
「良いではないか。王国の発展に繋がる上に、親孝行も出来るのじゃ。一石二鳥であろう?」
「ぐ、ぐうぅ……」
親孝行という言葉を持ち出されて、トレノは言葉を詰まらせる。
が、だからといって『はい、分かりました』と、簡単に言える事柄ではない。
「わ、私はこれでも王国の騎士です。よって、私より弱い男を婿に取る気も、そんな男に嫁ぐ気もありません」
「トレノより強い男……? なんじゃ、トレノはオーガやトロールみたいなのが好みなのか?」
「どーして、そっちに行くんですかっ!? そこは精悍で精強な騎士を想像するところでしょうっ!?」
「はんっ? 精悍な騎士ぃ~? そのような事を申しているから行き遅れるのじゃ。行かず後家がっ」
「ぐはぁぁっ!!」
シルビアによる言葉の弾丸を胸に受け、今度はベッドの反対側の床まで吹き飛ばされるトレノ。
「ひ、姫さま……いかな私とて、そろそろ心が折れて廃人になりますよ……」
「確かに腕っ節なぞは強くなさそうじゃが、弁も立つし頭も切れる奴じゃと思うぞ。それではダメか?」
「コレばかりは、いくら姫さまの命とはいえ出来かねます」
トレノはベッドへと這い上がりながら、きっぱりと拒否の意思を表示する。
「そもそも、彼奴は政やそれに属するモノが嫌いなのでしょう? 王族や王国騎士に婿入りするとは、到底思えません」
「そうでもなかろう? なんのかんの言うてもシズトのヤツ、トレノの事を気に入っておると思うぞ。特にその巨大な胸をな。それに、心底嫌っておるなら口づけなどせんじゃろ?」
「き、きょだっ!? む、胸で女性を判断する不埒な男など願い下げで………………って、姫さま。今なんとおっしゃいました?」
「巨大な胸」
「そのあとですっ!」
「………………おおっ!? そういえば、トレノは口づけの事を知らんのじゃな」
「な、なんの事ですかっ!? だ、だだだ誰と誰が口づけなどっ!! そもそも口づけとは、愛を誓い合った者同士がする神聖な――」
トレノは取り乱しながらベッドから立ち上がると、身を乗り出してシルビアに詰め寄った。
「お、おお、落ち着けトレノ。ま、まずは座れ、なっ? そして、その乳を揉ませてみろ」
「コ、コホン……最後のはお断りします」
シルビアの言葉で我に帰ったトレノは、さすがに騎士が王女に取る態度ではないと自覚し、誤魔化すように咳払いをしてから、ベッドへと腰を下ろした。
「そ、それで、口づけと言うのは、何の事ですか?」
「ふむ、実はな――」




