第四十一章 腹黒メイド、再び②
薬品と血の混ざりあった臭いの充満する医務室。
白いカーテンで区切られたベッドの上に、薄い水色の診察衣姿で横たわるビクトール・エルラー。
「へぇ~、この短時間で、綺麗に治して貰ったじゃないのさ。さすが、国内最高峰の騎士学園で校医を務める治癒術師さまだ――」
ガウンの上から手を這わせて、ビクトールの状態を確認するサーシャ。
明那の使った"寸勁鎧抜き"とは、身体の外部よりも内部からの破壊を目的とした技である。
そして、観戦席から確認出来ただけでも横隔膜と肝臓は確実に破裂していたし、衝撃で両耳の鼓膜も破れ、身体中の毛細血管が幾つも張り裂けていたはずだ。
「ホント、すぐに壊してしまうのが勿体無いくらいだよ……」
綺麗に完治しているビクトールの身体を撫でながら、サーシャは口角を吊り上げ黒い笑みを浮かべた。
「とはいえ、治してくれたのはありがたいけど、起きたあとに癇癪起こして暴れられでもしたら面倒だ……」
サーシャは軽く肩を竦めると、ポケットから数種類の薬草を取り出し、それを口へと含んで噛み砕き始めた。
口の中に広がる、嫌な青臭さと強烈な苦味……
しかし、その吐き気を催す程の不快感を口一杯に感じながらも、サーシャは愉悦に頬を綻ばせ、まるでガムでも噛んでいるかのように薬草と自分の唾液と絡めていく。
「さあ、お目覚めの時間だよ、マヌケな公爵公子さま……」
サーシャは妖艶に微笑みながら横たわるビクトールの鼻を摘み上げると、半開きになった唇に自分の唇を重ね、唾液と混ざりあった薬草を口の中へと流し込んでいく。
口の中へ広がる不快感に顔を顰め、小さく嘔吐き始めるビクトール。そして、サーシャは自身の口の中にあった物を全て流し込み終えると、ゆっくりと唇を離し、床に向けて一つ唾を吐き捨てた。
メイド服の袖で口元を拭いながら、仮初めの主が苦しむ姿を楽しそうに見下ろすサーシャ。
「おっと、吐き出すんじゃないよ。ありがたく、全部飲み込みな」
サーシャは、口角から緑色に染まった涎を垂らすビクトールの口を左手のひらで塞ぎつつ、右手のひらで腹部を強く押し込んだ。
呼気するタイミングに合わせた腹部への衝撃に、『ゴクンッ』と喉を鳴らして薬草を一気に飲み込むビクトール……
「がっ、かはっ……こほっこほっ……」
咽返る程の苦味に嘔吐きながら細かく咳き込み、やがて顰めた両の瞼がゆっくりと開き始める。
「ビクトール様……お目覚めになられましたか?」
先程までの黒い笑みから一転。サーシャはハの字に眉尻を下げ、まだ焦点の定まり切ってないビクトールの瞳を覗き込みながら声をかけた。
「サ、サーシャか……ここは……どこだ?」
「はい。医務室でございます」
「医務室……だと? …………まさかっ、オレは負け、うぐっ……」
「ビクトール様っ、お身体に障ります……」
咄嗟に起き上がろうとするビクトール。
しかし、同時に全身へと痺れが走り、起き上がるどころか腕一本満足に動かす事が出来なかった。
「(フフッ、上手く薬草が効いたようだねぇ……)」
心配そうに浮かべる困り顔とはうらはらに、内心でほくそ笑むサーシャ。
そう、先ほど眠っているビクトールへ強引に飲ませた薬草は、身体を麻痺させ自由を奪うと共に思考力の低下、更には効率良く暗示を掛けられるよう、軽い酩酊状態にさせる薬なのだ。
「内臓が酷くやられており、大掛かりな治癒術を施す為に強めの麻酔を使用したようでございます。その効果が切れるまでは安静になさって下さいまし……」
「な、内臓だと……私は甲冑を身に着けていたのだぞ。それでいて、なぜ内臓が……?」
「恐らく、去年の勇者と同じ手を使ったものと思います」
「勇者と同じ……? 薬かっ!」
「はい……しかも、去年の物より効果の数段強い物を使用したようでございます。が、しかし……聖女であるアキナ様に忖度したのか? 薬物検査などは行われず、公式記録はアキナ様の当て身による失神となっております」
「お、おのれぇ……ツチミカド兄妹……」
忌々しげに、顔を顰めるビクトール。
少し冷静になれば、そんな事などあり得ないとすぐに気付く事が出来ただろう。
しかし、全身の痺れと薬による酩酊状態で、ビクトールは冷静な思考が出来ずにいるのだ。
更に幼い頃から自分に仕え、高い信頼を置いているサーシャの言葉である。今のビクトールに、その言葉を疑う余裕などありはしなかった。
「それからもう一点……ビクトール様へ、お伝えしなくてはならない事がございます……」
「なんだっ!?」
言いにくそうに話すサーシャへ声を荒らげるビクトール。
もし、薬で自由を奪われてなければ、癇癪を起こして暴れ回っていただろう。
「今回の敗戦を受けまして、大旦那様はビクトール様の廃嫡と勘当をお決めになりました……」
「なん……だと……?」
想像もしていなかった展開。あり得ない結末……
サーシャの口から出た言葉にビクトールは驚愕し、目を見開いた。
その、まるで放心状態のように焦点の定まっていない、呆然とした視線を向けられながらも、サーシャは淡々と言葉を綴っていく。
「学生会会長であるサンディ様の制止を振り切り、禁止されている魔法の使用。そして、騎士甲冑の完全装備で挑みながらも、素手による当て身での失神。更には全校生徒と――何より国王陛下の御前での失禁という醜態……」
「国王の前で失禁だと……この私がか……?」
「はい。残念ながら……」
ビクトールは自分の犯した醜態に羞恥し、一気に顔を紅潮させる。
「このような醜態を晒した者を公爵家の次期当主に、ましてや近衛騎士団の次期団長候補に据えておく訳にはいかぬと、大旦那様はビクトール様の廃嫡、勘当をお決めになられました」
「そ、そんな……」
紅潮させていた顔を一転。顔を青ざめさせ、今にも泣き出しそうな表情を浮かべるビクトール。
それでも――
「い、いや、しかし……エルラー家の男児は私しかおらんではないかっ。私を廃嫡し誰を当主にしようというのだ?」
「その事なのですが……」
ビクトールの問いに、サーシャは言葉を詰まらせ視線を反らす……
いや、実際には言葉を詰まらせている訳ではない。一見、表情は困り顔を浮かべているようにみえるが、内心ではあまりにも筋書き通りな問いに、笑みが浮かぶのを堪えているのだ。
「(フフフ……さてっ、援軍も到着したようだし、ここからがお芝居も本番さね。この茶番劇にせいぜい恨みを募らせておくれよ、ビクトールさま)」
反らした視線を一瞬だけチラリと後方へ向けてから、サーシャは表情を引き締めて視線を戻し、先ほど詰まらせた言葉に続きの言葉を繋いでいく。
「ビクトール様の妹君――ビクトリア様が、ご懐妊なされたとの事でございます」
「なっ!? ビ、ビクトリアがかっ!?」
「はい。そして、主治医の診断によると、お腹の赤子は男子との事。その話を聞いた大旦那様は、ビクトール様を廃嫡とし、エルラー家の次期当主には、その子を指名するとの事でございます」
「バ、バカな……」
そう、あまりにもバカな話であり、まだ産まれてもいない赤子を当主に指名するなどあり得ない話だ。
そもそも、異世界の医療技術では、胎児の段階で性別を判別する事など出来はしない。
それでも、最も信頼するサーシャの言葉に加え、飲まされた薬の効果により、ビクトールはその言葉に疑いを持つ事すら出来なくなっていた。
「あ、相手は誰だ……いったい誰なの子なのだ? い、いや……そもそもビクトリアがいるエリシェース女学院は男子禁制。家族である私とて、もう一年以上も会っていないのに、どうして子供が……?」
サーシャの言葉を疑う事は出来なくとも、当然として出てくる疑問。
ビクトールとは年子の妹であるビクトリア。彼女はエリシェース女学院の二年生であり、ソフィアや明那の元クラスメイトでもある。
そして、彼女の在席するエリシェース女学院は、その規律の厳しさに加え、男子禁制の全寮制とあり異性と接する機会自体は皆無に等しい。
故に、生徒が在学中に妊娠するなどという事など、まずあり得ないのだ。




