第八章 乙女の密談 01
「ん……ん、んん……」
軽い頭痛と共に、暗闇の中からゆっくりと意識が覚醒していくトレノ……
「こ、ここは……?」
混濁した意識の中。トレノは見覚えのない天井を見上げながら、掠れた声を漏らした。
「おおっ! トレノ、目が覚めたか?」
「姫……さま?」
霞む視界を、声の方へと向けるトレノ。
徐々にハッキリとしていく視界。そして、その視界の中に見慣れた主君の輪郭が浮かび上がって来る。
なんで姫さまが……? いや、なんで私はベッドに……
トレノはハッキリしない意識の中、懸命に現状を把握していく。
「…………」
「…………」
「……姫さ、うぐぅっ!」
現状を把握し、慌てて上体を起こそうと身体を動かした途端、強烈な頭痛が襲ってくる。
「ほれ、無理をするな――起きるなら、ゆっくりと起き上がるのじゃ」
ベッドの横に座っていたシルビアは苦笑いで立ち上がり、ゆっくりとトレノの上体を起して、その肩にそっと上着をかけた。
「姫さま……ここは?」
「ここはシズト達の家じゃ。あの店の隣でな、空き部屋があると言うで間借りした」
「シズト達の……? なぜ、シズト達の家に? それに私は……?」
「覚えておらんか? まあ、無理もない……。しかしお前は、一昼夜のあいだ、ずっと眠っておったのじゃぞ」
シルビアは再び椅子に腰を下ろし、トレノの問いへ優しい笑みで答える。
そう、シルビアの言葉通り。あの海岸での出来事から、ほぼ丸一日が経とうとしていたのだ。
「い、一昼夜……」
「ああ、どうやらお前は、伯爵の屋敷へ金を取りに行った帰り、賊に襲われたようじゃ」
「賊にっ、うぐっ……」
シルビアの言葉にベッドから身を乗り出した途端、再び強烈な頭痛に襲われるトレノ……
「じゃから、まだ無理をするなと言うに……ホンに学習せんヤツじゃ」
「…………」
頭が割れるような痛みに額を押さえ、俯くトレノ。そんな中、少しずつ思い出されていく記憶……
――そう、姫さまの言う通り。伯爵の屋敷へ金を取りに行った帰りに突然背後から襲われ、そこで私は意識を失った。
なんと情けない……
使い一つ満足に出来ず、大切な国の資金を奪われたばかりか、こうして仕えるべき主に心配をかけるとは……
「くっ、申し訳ありません、姫さま……本当に、申し訳……うっ」
俯いたトレノの頬を涙が伝い、シーツにシミを作っていく。
「謝る必要などない。話を聞くに、どうやら背後からいきなり雷撃の魔法を撃たれ気絶したようじゃ。そのようなモノ、どうしようもあるまい?」
「し、しかし……くっ、申し訳……ありません……申し訳ありません、姫さま……」
嗚咽をこらえ、泣きながら謝罪を繰り返すトレノに困り顔を浮かべるシルビア。
どうしたモノかと思案していると、傍らにある台にある、見慣れぬ形の小さな鍋がシルビアの目に入った。
「そうじゃトレノ。腹は減っておらぬか?」
「い、いえ……食欲など……」
「ダメじゃ! お前も騎士なら、食べられる時に食べておくのも仕事じゃぞ。それに、しっかり食べて、早く良くなってもらわんと妾が困るしな」
「は、はあ……」
シルビアは、半ば強引にトレノをベッドへと座らせた。
そこでふとっ、トレノは自分が見慣れぬ服を来ている事に気付く。
開いた胸元に目を落とし、次いで腕を持ち上げ、大きな袖を見て不思議顔を浮かべるトレノ。
そういえば、ラーシュアが茶を点てた時に着ていた服に、形が似ているな――
「それは『ゆかた』という寝巻きだそうじゃ」
「ゆかた……」
頭に疑問符を浮かべるトレノに声をかけながら、シルビアは備え付けの小振りな円形テーブルを持ち上げた。
「ひ、姫さま! そんな事は私が――」
「いいからジッとしておれっ! そこを動いたら、全裸で食事をさせるぞっ!」
「は、はいっ!」
ベッドに腰を下ろしたまま、正面を向いて背筋を伸ばすトレノ。
シルビアは、そんな生真面目で素直な銀髪騎士の前へとテーブルを移動させ、その上にトレーに乗った鍋――土鍋を置いた。
「ひ、姫さま……コレは?」
トレノにとっても馴染みのない鍋。その初めて見る形の鍋に首を傾げるトレノ。
そんな姿に笑みをこぼしながら、シルビアはその対面の椅子へと腰を下ろした。
「ふむ、先ほどラーシュアが来てな。もうすぐお前が目を覚ますからと置いて行ったのじゃ」
シルビアは、ラーシュアの事を本当に凄い子供だと感心していた。
小一時間前にフラリとやって来たかと思えば、トレノの状態を診て『あと一時間もかからず、目を覚ますようじゃな。いま主に飯を作らせてくる』などと言って立ち去って行った。
そして、先程――トレノが目を覚ますほんの少し前、この鍋を持って、再びやって来たのだ。
とても幼子とは思えない程の知識に加え、卓越した洞察力と判断力、そして行動力――
まあ、知識に洞察力、判断力に行動力というなら、彼女の主であるシズトもかなりのモノだ。
彼女はシズトを主と呼んではいるが、二人の関係はとても主従には見えない。
まあ二人の関係はともかく、シズトもラーシュアも、こんな田舎街の料理人とその給女にしておくのは惜しい人材だ。
なんとか宮廷に迎え入れられないだろうか? 彼らの知識は、きっと王国の発展に役立つはず――
そんな事を考えながら、シルビアは土鍋の蓋を開けた。
ふわりと香る、醤油と鰹節の香り。
土鍋同様に馴染みのない香りではあるが、それはとても食欲をそそられる香りであった。
「良き香りですね……」
「むう、なんでも『なべやきうどん』と言う物らしい」
そう、この醤油と鰹節の香りの正体は、日本人なら馴染みの深い鍋焼きうどんの香りである。
「なべやき……うどん?」
「ああ、とても栄養があって身体も温まり、その上に消化もよく、弱った胃にも良いらしい」
よい香りと共に温かそうな湯気を上げる土鍋には、海老天、ネギ、ほうれん草、椎茸、玉子に鴨の燻製といった、たくさんの具材が乗せられている。
その、初めて見る料理を見つめながら、シルビアは思った。
シズトの国の料理――
日本と言う国の料理は、美味しそうなだけでなく、ホントによく考えて作られている。きっと食文化が、かなり進んだ国なのだろう。
そして、それは食文化ばかりではない。医療技術や医療知識もかなり進んでいる。
この街に来てからというもの、感心させられ、驚かされてばかりだ。
「さあ、冷めないうちに、早く食べてみよ」
「は、はあ……それでは……」
トレノは箸を手に取り、土鍋からうどんを摘み上げ、それを口に――
「……」
「……」
「…………」
「…………」
「…………あ、あの~、姫さま……?」
「なんじゃ?」
「あまりに見られていると、そのぉ……食べにくいのですが……」
そう、正面に座るシルビアは、真剣な目でトレノの食事する様子をジッと見つめていたのだ。
「そうか? 気にするな、妾も気にしない。そんな事より、早く食せ」
「そ、そうですか……」
いや、シルビアの目は真剣な目というよりも、物欲しそうな目であった。
しかし、トレノにとっては仕えるべき主であるシルビアの言葉だ、従わないワケにはいかない。
あらためて、うどんに口を――
「ゴクリ……」
「…………」
シルビアの喉を鳴らす音に、再びトレノの手が止まる。
「あ、あの~、姫さま……食べますか?」
「な、なな、何を申しておる!? わ、妾が、いつ食べたいなどと申したっ!?」
「しかし姫さま……ヨダレが」
「っ!?」
慌てて横を向き、服の袖で、口を拭うシルビア。正に『問うに落ちず語るに落ちる』とはこの事だ。
「くくくく……」
「誰じゃ!?」
背後から聴こえて来た、笑いを堪えるような声に、顔を赤く染めたシルビアが振り向いた。




