第三十九章 朧桜④
静まり返る観戦席でオレは大きく息を吸い込むと、呆然とするエウルに向けて声を張り上げた。
「エウルッ、後ろーーっ!!」
「え……?」
オレの声に、肩をピクンっと反応させるエウル。
そして、やはりその声に反応するように、明那が鮮血の流れる口角をニヤリと吊り上げ、スーッとエウルの後ろを指差した。
「もうちょっと引っ張っても面白そうだったのに……てゆうか、そこは『シムラ、後ろ~』って言うトコでしょうに」
悪いが、パニックの鎮圧なんて御免こうむる。そして、そんな80年代のコントギャグなど、今の読者様は誰も知らんわ。
オレが心の中でそんなツッコミを入れた直後、エウルの眼前にいた明那の身体、更に吹き出していた鮮血までもがパンッと弾けて、ヒラヒラと舞う桜の花びらへと代わっていった……
確かにエウルの反撃は予想外だった。
しかし、予想外だからと言って反応が出来ないかと言えば、決してそんな事はない。
むしろ実戦において、特に暗殺者のような裏世界の人間同士の戦いにおいて、相手のパーソナルデータや戦闘データが分かっている事など稀だし、お互い予想外な攻撃の連続であるのが普通である。
そう、エウルの反撃は予想外であったが、明那はそれに素早く反応。
咄嗟に桜の花びらで身代わりを造り出すと、気配を完全に遮断してエウルの後ろへと回り込んだのだ。
身代わりが消えると同時に、遮断していた気配を開放する明那。
エウルにしてみれば、突然背後に明那の気配が現れた状態である。
とはいえ、事前にオレが『後ろ』と声を上げていた上、身代わり明那が背後を指差していた事もあり、エウルはその突然の事象へも素早く対応してみせた。
「くっ!!」
背後を目視する事なく、後ろへと振り返りながら明那の気配に向けて右手の短刀を振るうエウル。
いい判断だし、現状では最良の行動だろう。
ただ、現状で最良の手段であっても、それが相手に通じるかは別問題。
明那は慌てる風もなく、軽く上体を反らしてエウルの短刀をやり過ごした。
そして、短刀の切っ先が自身の喉元を通過した地点で、その手首を左手でキャッチ。そのまま、エウルの肘の内側をまるでノックでもするように、右手の甲でコツンと叩く。
「ひっ!?」
エウルは驚いたようにピクンっと身を震わせて、右手に握っていた短刀をポロリと手放した。
肘の内側――正確には、肘を曲げると出来るシワの上で、更にシワの中央から指約二本分親指側にいった箇所。
いわゆる、尺沢と呼ばれるツボで、強く押されたりすると全身に電気が走ったような痺れに襲われるツボである。
「このっ!!」
利き手の手首を掴まれ、短刀まで落としてしまったエウル。
それでも、最後の抵抗とばかりに、残った左手の短刀を振り上げた。
とはいえ、そんなヤケクソな攻撃が明那に通じる訳もなく――
「ほいっと」
エウルが振り下ろしてきた短刀を突き刺し蹴りで迎撃。靴底を使い、短刀を蹴り飛ばす明那。
そして、その上げた右足を下ろす事なく飛び上がると、右手を掴んだまま両足をエウルの首へと絡ませ、引き込むように後方へと倒れ込んだ。
って、結局最後は寝技かよっ!?
そう、片腕と首を両足で捕らえつつ、片側の頸動脈を内腿で、もう片方の頸動脈を自身の肩で圧迫させるようにして絞め落とす寝技。
古くは松葉緘などとも呼ばれていた絞め技の芸術品。
いわゆる三角絞めである。
まあ、意固地になって降参を口に出来ないエウルみたいな奴は、絞め落としてしまうのが一番かもしれんけど。
明那の細い内腿と自身の肩で両頸動脈をガッチリと絞めつけられているエウル。
正直、あそこまでガッチリと型に嵌ったら、柔道の有段者であっても抜け出す事は不可能だろうし、オレでも霊力は使わずに体術だけで返せと言われたら、まず不可能だ。
ちなみに、首を絞められ窒息して落ちるのと頸動脈を絞められ落ちるのは、全くの別物である。
頸動脈を絞められると心拍数が少なくって血圧が低下。そうなれば、当然にして脳への血流量が減り、最後には酸欠状態となって失神するというのが頸動脈を絞められて落ちるメカニズムだ。
そして、頸動脈を絞められた場合、失神するまでの時間は平均で約10秒ほど――
唯一自由に動く左手で、首に巻き付いている明那の足を何とか振り解こうもがいていたエウル。
しかし、程なくしてその手が明那の足から離れると、カクンッと全身を弛緩させ、完全に動きを静止させた。
明那は『フゥーっ』と、大きく息を吐き出しながら技を解き、エウルの身体を仰向けに寝かせてからゆっくりと立ち上がった。
それと同時に、ピクリとも動かなくなったエウルの元へ駆け寄って行く数名の医療スタッフ達。
まあ、顔色は悪くないし自発呼吸もある。
何より、明那がその辺の力加減を間違えるはずはないだろうし、一分もしない内に目を醒ますだろう。
『えっ? え~と……し、失礼しましたっ! 本年の騎士武祭決勝戦。エウルリア・トーレ選手の失神、試合続行不能により、アキナ・ツチミカド様の優勝ですっ!』
そして、若干のタイムラグを置いて聞こえて来たサンディ先輩の声。
その勝ち名乗りの放送に併せて明那が高々と右拳を上げると、観戦席が一気に拍手と歓声の渦に包まれる。
って、そういえばサンディ先輩が試合の実況をしてるんだったな。殆ど声が聴こえて来なかったから忘れてたわ。
まあ、サンディ先輩がいくら成績優秀とはいえ、そこは魔道科の生徒。剣術科ですら授業で教えていない短刀二刀流とクナイの戦いだ。
しかも、明那の方に関しては全く未知の戦闘スタイル。いきなり実況しろと言われても無理があるのだろう。
さて、ここまでは予想通りの予定調和。
このあと昼飯を挟んで、昨年度優勝者であるオレと本年度優勝者である明那の頂上決戦だ。
それと、試合の合間にざっと会場を見て回ったが、ゲストや外部スタッフの中には他国の間者らしき者もチラホラと見受けられた。
暗殺者同士の戦いらしくはないが、ここは一つ派手な戦いで分かりやすく実力を見せつけて、オレ達を敵に回すリスクを国元へと伝えて貰うとしますか。




