第三十四章 試合開始③
「それじゃあ、せっかくなので少しばかり稽古を付けて上げましょうか? あっ、ちゃんと手加減はしますから、安心して下さい」
「て、手加減だと……?」
「手加減だけじゃ不服ですか? じゃあ、ハンデも付けましょう。私は利き腕の右手を使わないでいてあげますよ」
そう言って明那はニッコリと微笑み、右手のクナイ――先ほど先輩の額を直撃したクナイを袖の中へと仕舞い、右腕を後ろへと回して構え直した。
「ど、どこまでも、馬鹿にしおって……」
「馬鹿にされたくなかったら、私の攻撃を捌き切って見せて下さいっ!」
大地を蹴り、間合いを詰めて、一気にビクトール先輩の懐へと入り込む明那。
全長70センチを超える幅広の剣と、30センチを切るクナイの戦い。
当然、戦う距離――間合いは全く違ってくる。
そして、懐へ入り込む程の接近戦は、完全に明那の間合いだ。
「何を簡単に懐へ入られてるんですかっ!? この間合いじゃあ、先輩は剣を振るえないでしょっ! 間合いを制する者が戦いを制すですよ! 早く引き離して自分の間合いを取って下さいっ!!」
「ぐっ……くぅ、くそ……」
明那はそう叫びながら左手一本で素早い連撃を放ち、先輩へと圧をかけて行く。
対するビクトール先輩は、その連撃を懸命に捌きながら何とか押し返して間合いを取ろうとするが、明那の圧に負け徐々に後ずさっていった。
『コ、コレは……ビクトール様を上回るスピードの連撃っ! しかも、その剣捌きは正に変幻自在! 目で追うのも間に合わないほどの速さだ!』
「そうそう。これがホントの"変幻自在"」
魔力で拡張されたサンディ先輩の解説に、大きく頷くオレ。
特に明那の攻撃はトリッキーな上、腕の動きと袖の動きがリンクしていないからな。
正直、かなり先が読みにくい。
「分かりますか、先輩? こんな小さな武器なのに、攻撃が重いでしょ? 爪先を攻撃する方へ向け、キッチリと重心を移動させながら、腕だけでなく全身を使って体重を乗せるように剣を振る。そんな基礎的な事だけで、こんな小さな武器でもここまで重くなるんですよ」
「ぐっ…………」
「先輩は近衛騎士団の団長候補なんでしょっ! 近衛騎士って言うのは王族を護る盾であり、仇なす者を討つ剣。女の子の左手一本の攻撃で四苦八苦してる程度の腕じゃあ、ウチのソフィアちゃんを安心して任せられないんですよっ! もう少し謙虚になって、己の力量という物をちゃんと弁えて下さいっ!!」
「うっ……うるさい……だ、まれ……」
明那の剣戟に圧され、防戦一方のままジリジリと後退しながら、悔し気に言葉を絞り出すビクトール先輩。
「ほう。まだ、喋れる余裕がありますか? ただ…………足元がお留守ですよ♪」
「うおっ!?」
振り上げの攻撃を捌かれる瞬間、明那はその手を引いてフェイントをかけ、ビクトール先輩の右足首を小内刈りの要領で軽く払いのけた。
バランスを崩して尻もちをつき、そのまま仰向けに後ろへ倒れ込んで地面へと後頭部をしたたか打ち付けるビクトール先輩。
もし、これが柔道の試合であったなら、文句なしの一本勝ちだろう。
そのくらいスムーズに、そして成す術もなく転がされ、後頭部を押さえてイモムシのように丸くなる公爵公子の滑稽な姿に、観客席からは噛み殺した笑い声がそこかしこから聴こえてくる。
まあ、中には――
「アハハハハハッ! 決闘中に足を引っ掛けられて尻もちつくとか、超ウケるんですけどぉ~! ハハハハハッ!」
と、無遠慮に腹を抱えて笑いこける、商売人の娘もいるけど。
「はあぁぁぁ……先輩の実力を見誤ってましたよ。正直、想定していたよりも、ずっと弱いです……」
「ぐっ……」
これみよがしに大きなため息をつき、無慈悲な現実を突き付ける明那に、ビクトール先輩は怒りで顔を紅潮させ、後頭部を押さえながらのそのそと起き上がってくる。
まっ、あの真っ赤な顔は怒りだけじゃなく羞恥――全学園生と王様、更には近衛騎士団団長である自分の父親の前で醜態を晒してしまった恥ずかしさも混じっているのだろう。
正に鬼の形相を見せるビクトール先輩。
しかし、明那はそんな事などお構いなしに、先輩を煽るようなセリフをつらつらと綴っていった。
「最初に会ったとき、先輩は臆面もなく『自分を自他共に認める天才だ』とか言ってましたよね? 私も天才だと認める人間が二人ほどいますけど、ただ先輩はその二人の足元にも及びませんよ。正直、比べるのも失礼なレベルです」
明那が天才と認める二人の人間だと?
まあ、一人はオレだろうけど(自惚れ)、もう一人は……あの静刀か……
なんて忌々しいんでしょう。マジで爆発すればいいのに。
「あと、確かそのとき私、『毎日素振り千本を五年は続けてから出直して下さい』って言いましたけど、アレ訂正しますね。先輩は自分が天才だと勘違いして基礎を疎かにし過ぎたせいで、思っていたよりも変な癖がついてます。だから、矯正の為には毎日素振り千本ではなく、倍の二千本は必要みたいです。チョキチョキ♪」
口元に笑みを浮かべ、挑発するように左手で顔の前に作った横ピースをチョキチョキと動かす明那。
対するビクトール先輩はと言えば、そんな安い挑発を聞き流す余裕も冷静さもなければ、そんな度量すらもないようだ。
すでに怒りのボルテージはメーターを振り切り、感情をコントロール出来なくなるほどに激昂し、全身をプルプルと震わせていた。
そして――
「うがああぁぁぁああぁぁぁぁーーーーーっ!!」
言いたい放題な明那の言葉を否定する事も反論する事もなく、ビクトール先輩はただただ感情を爆発させ、それを吐き出すように雄叫びを上げた。
「なっ!?」
「ちょっ、えっ!?」
そんな先輩の姿に、戸惑いの声を上げるファニとエウル。
いや、その姿というよりも、ビクトール先輩を中心に巻き上がる旋風と舞い上がる土埃にか?
『ビクトール様っ! 一回戦では魔法の使用は禁止されています。すぐに魔力を収めて下さいっ!』
ビクトール先輩の様子へすぐに反応し、警告の声を上げるサンディ先輩。
そう、ファニやエウルが戸惑いの声を上げたのは、ビクトール先輩が一回戦では禁止されている魔力を放出したからなのだ。
『繰り返しますっ! 今すぐ魔力を収めて下さいっ! でないと失格となりますよっ!』
「黙れっ黙れっ黙れっ黙れぇぇぇーーっ!!」
魔力で拡張されたサンディ先輩の声を掻き消すほどに大声を張り上げ、剣を持つ右手を後ろへと引くと、刀身を水平にして半身に構えるビクトール先輩。
平突きの構え――
刀身を横にし、剣の側面を水平にして放つ突き技の構え。
本来、突き技は"死に剣"とも呼ばれ、決まれば確実に相手を仕留められるが、外せばその隙の大きさから確実に返り討ちにあうとも言われている。
しかし、平突きは剣を水平にする事で、仮に躱されてもすぐに横薙ぎの攻撃へと繋げられるのだ。
特に先輩の持つ幅広の剣のような両刃の剣は、左右どちらに躱されても、すぐに横薙ぎへと繋げられる。
「疾風よっ! 我が身へと宿り、我が敵を穿けっ!」
詠唱と共に大地を蹴り、明那へと向けて突進するビクトール先輩……
突進からの平突きに、ビクトール先輩の得意とする風魔法を併せた剣技。
風魔法で突進の速度を倍化させ、更に刀身へも風の刃を纏わせて突き穿つ、ビクトール先輩の持ち技の中では最強剣技である。
もしまともに食らえば、たとええ刃引きした剣であっても人体くらいなら簡単に貫通してしまうだろう。
一直線に明那へと迫るブロードソードの切っ先。
狙いは明那の顔面――いや、口か? 明那の煽りセリフが、よほど気に触ったようだ。




