第三十一章 エルラー家の腹黒メイド①
「コレはいったいどういう事だっ!!」
明羅と明那が学園生達に剣の指導(?)を行っている頃。特別棟にある特別談話室の一室で、耳を劈く程の怒声が響き渡った。
特別談話室――通常の4~5人程度でいっぱいとなる談話室とは別に、15人程度が歓談出来る程のスペースがある談話室の事である。
基本、寄子を持つ伯爵家以上である高位貴族の子女にしか使用が許されておらず、その寄子や取り巻きなどを集めた談話の他、簡易なパーティーなどに使用される部屋である。
当然にして、先程の怒声は高位貴族の子女のモノであり、この特別談話室で茶会を企画していた公爵家の長男、ビクトール・エルラー公爵公子のモノであった。
先の作戦で、土御門兄妹に美味しい所を全て持って行かれ、一部の者達にからは無能の烙印を押されてしまったビクトール。
その汚名を返上すべく、作戦に参加した者の中でも、特にエルラー家と繋がりの強い者達を中心とした慰労会を企画していたのだ。
そして、その場で自分の立てた作戦のメリットと有用性を説き、明羅の取った作戦より自分の作戦の方が効率よく進められていたと説明するつもりでいたのだが、しかし……
「なぜだっ! なぜ、一人も来ていないっ!?」
そう、その焼き菓子の甘い香りと高級な紅茶の香りが漂う広い談話室には、ビクトール本人と付き人のメイドの他に一人として人影が見当たらないのだ。
時刻は午後の課外授業の時間。
単位の問題や、先輩騎士との先約などで、数人の欠席は想定していたが、誰も来ないなどという事態は想定外もいいところであった。
「くそっ! どいつもこいつも、僕を馬鹿にしてっ!!」
怒りに任せ、テーブルに掛かっていたクロスを力任せに引き抜くビクトール。
テーブルの上にあった焼き菓子やカップは勢いよく宙を舞い、派手な音を立てて床へと散らばっていく。
それでも怒りの収まらないビクトールは、庶民の食費一週間分はする高級な菓子を踏み付け、庶民の生活費数ヶ月分はしようかというティーセットを次々と床へ叩き付け破壊していった。
そんな、八つ当たりを間近で見ていたメイドは、主人が壊せる物をあらかた破壊し、三人掛けのソファーへドカっと腰を落とすと同時に、顔色一つ変えず散らばったカップの破片を拾い集め始めるのだった。
色白の肌に切れ長の瞳。そして、ブロントの長い髪を後ろで纏め、耳には小さな赤いイヤリングを着けた妙齢のメイド。
そんな、自分の尻拭いをするメイドに目を向け、ビクトールは忌々しげに口を開いた。
「おい、サーシャ。招待状はちゃんと指定した者全員へ配って来たのだろうな?」
「はい、ビクトール様。指定された方々には、朝の内にお渡しして参りました」
サーシャと呼ばれたメイドは、集めた破片を手にしたまま立ち上がると、軽く頭を下げながら主人の問いへ答えていく。
「では、なぜ誰も来ないっ!? 寄子の家の者が、僕の誘いを袖にするなど今までなかったではないかっ!?」
「恐らくでございますが――」
声を荒げた主人の問いにサーシャは顔を上げると、その切れ長な瞳を更に細め、真剣な表情でビクトールを見つめ返した。
「ツチミカド様の手引きではないかと……」
「ツチミカドだと?」
「はい。実は先ほど学園内で妙なウワサを耳にしたのですが、そのウワサ――エルラー家の派閥に対する離反工作ではないかと思われます」
「ウワサ……? どんなウワサなのだ?」
「はい。エルラー家に付く家の者は、王家から不評を買う――などと言うウワサでございます」
「なんだ、それはっ!?」
サーシャの口にから出た言葉に驚愕し、怒りを顕に勢いよく立ち上がるビクトール。
「もちろん、根も葉もないウワサでございます。しかし、先の一件。ツチミカド様がソフィア様より騎士爵を賜わった事により、ビクトール様がご考案された作戦が棄却され、代わりツチミカド様の案が採用されました――」
先の一件……
明羅に指揮権を奪われた経緯を思い出し、ビクトールは苦々しく顔を歪め、話をするサーシャを憎悪に満ちた目で睨み付ける。
が、しかし……
睨むような視線を向けられながらもサーシャはその視線を受け流し、顔色一つ変えず淡々と言葉を紡いでいく。
「個人の力量に頼った、とても作戦などと呼べるようなモノではございませんし、失敗のリスクがあまりにも大きな作戦です。しかし、そんな杜撰な作戦が、たまたま成功したおかげで、当のツチミカド様本人と妹君のアキナ様のはもちろん、ソフィア様の名声もかつてない程に上がっているのは確か――」
「くそっ!」
サーシャの言いたい事を理解し、その説明を遮るように足元へ転がる欠けたカップを蹴り飛ばすビクトール。
明羅や明那から無能扱いされているが、仮にもビクトールは三年生の主席。頭の回転は、決して悪くはないのだ。
自分の立てた作戦が却下され、明羅が代わりに立てた作戦で第四王女であるソフィアの株が上がったのは確かに事実。
しかし、そこへ来て学園内では、"エルラー家に付く家の者は、王家から不評を買う"などというウワサ話しが流れ始めたいう。
もし、そんなウワサが本当に流れているのであれば、ウワサの出処は限られているし、最有力候補はやはり明羅であろう。
「しかし……ツチミカド様も、よほど焦られておられるのでしょう」
「ツチミカドが、焦っている……だと?」
口元に微かな笑みを浮かべるサーシャの言葉に、ビクトールは眉を顰め首を傾げた。
「はい。間もなく行われる騎士武祭。昨年は薬を使うなどという姑息な手段に出ましたが、そのような方法、何度も使える物ではございません」
「当然だ。それに今年は、キッチリ対策も整えている」
そう、昨年の騎士武祭で明羅から薬を使われたと思い込んでいるビクトール。彼はその対策として、騎士武祭三日前からはエルラー家で用意した飲食物しか摂らないで済むよう準備しているのだ。
「なので今年は、あの様に稚拙なウワサを流し、エルラー家の派閥を離反させ、ビクトール様へ精神的な揺さぶりを掛けておられるのかと」
「なるほど……そういう事か……」
「なんと、稚拙で愚かな策なのでしょう。我が愛しの主であるビクトール様が、その程度の事でお心を乱されるはずありませんのに」
「と、当然だ……その程度で動揺する僕じゃない」
妖艶に微笑むサーシャに、先程までの乱心を棚に上げ虚勢を張るビクトール。
「はい。わたくしはビクトール様の勝利を信じております」
「当然だ。奴がどんな策を弄しても、全て跳ね返してみせるわ」
「頼もしい限りですわ、ビクトール様……」
拳を握りそう意気込むビクトール。
そんなビクトールにサーシャは、両手に持っていたカップの欠片を手放すと、彼の胸へ飛び込み、紅潮する頬をすり寄せた。
「近衛騎士団団長の地位もエルラー家当主の座も、そして騎士武祭優勝も全てビクトール様のモノです」
「騎士武祭優勝か……」
自分の胸へ顔を埋めるサーシャの肩へ手を伸ばそうとした時、サーシャの口にした騎士武祭優勝と言うワードにビクトールの動きが止まったってしまった。
「いかがなさいましたか? ビクトール様」
「いや、何でもない……」
ビクトールはサーシャの身体を引き離し、力なくソファーへと身を沈めた。
「ビクトール様……? ビクトール様は、ツチミカド様に勝つ自信がお有りではないのでしょうか?」
「何を言うっ!? 実の妹に戦わせ、自分は高みの見物を決め込んでいる臆病者に勇者の資格などありはしない。今年こそはその化けの皮を剥いで、臆病者の本性を公衆の面前に晒してくれるっ!」
憤るように声を荒らげるビクトールに、不安げな表情を浮かべるサーシャ。
しかし……
「(フフフ……よくぞ、ここまで勇者憎しの感情が育ってくれたものだわ)」
サーシャはそんな事を思い、内心でほくそ笑んでいた。
そう、去年の騎士武祭で、ビクトールの敗因は薬によるモノだと吹き込んだのは彼女なのだ。
いや、そればかりではない。
彼女は、ビクトールへ明羅の功績や戦況を捻じ曲げて伝え、『ビクトール様ならもっと上手くやれた』『実力はビクトールの方が圧倒的に格上である』などと、事ある毎に刷り込んでいたのである。
そんな報告ばかり受けていた彼である。当然、明羅に対する敵愾心は強く、明羅の実力を過小評価し分不相応な自信を付けていた。
しかしだ、そんな分不相応な自信も、あくまで明羅に対してだけなのである。




