第三十章 勘違い①
校舎裏に広がる林。
澄んだ空気と木漏れ日の中。野鳥の鳴き声と時折吹く風に木の葉が擦れる音が合わさり、大自然のメロディーを奏でている。
特定の人物を除き、殆ど誰も足を踏み入れない静かな場所。
しかしオレは、その特定の人物を探すべく聖女様ブートキャンプをトイレに行くと抜け出して、この場所を訪れたのだ。
新緑の香りに包まれながら、気配と足音を消して林の中を進んだ先。少しだけ引けた空間に出ると、そこにはお目当ての人物――制服姿で立つエウルの後ろ姿があった。
両手に短刀を構え、動かない木製の人形――ウッドゴーレムと対峙するエウル。
そう、この場所は、人前で訓練する事を――努力している姿を見られるのを嫌うシャイな彼女が、こっそりと自主練をする時に使っている場所なのだ。
オレは手近な木に寄りかかり、エウルの様子を静かに窺った。
魔法陣の描かれた石版の上に立つゴーレム。その、成人男性ほどの人形を前に、精神を集中するよう、エウルはゆっくりとした深呼吸を繰り返している。
二つの距離は、約3メートル。少々広めの間合いではあるが、身軽なエウルなら一足飛びに斬り掛かれる間合いだ。
余談ではあるが、あの石版は魔法陣に魔力を送り込む事で、誰でもゴーレムを造り出せるという便利アイテム。
しかも、送り込む魔力量で、粘土ゴーレム、木製ゴーレム、石製ゴーレム、鋼鉄ゴーレムとレベルが上がって行くという優れものである。
もっとも、造り出したゴーレムを動かせるかどうかはまた別問題で、実際にそれを動かそうとすれば高レベルの魔導師が必要となってくるそうだ。
とはいえ、動かなくても剣術訓練や魔法実習の標的に、はたまた戦場での囮りにと活用の幅は広く、大ヒット商品になっている。
ちなみに開発者は、かつて大陸一の名工と呼ばれたドワーフの巨匠であるが、しかし残念ながら、その巨匠は先の戦争で亡くなられたらしい。
もし、彼が生きていれば豊胸マシーンも作れたのではないか……?
そうなれば明那はもちろん、某国の第四王女殿下も金に糸目を付けず購入していただろうに。
と、そんなくだらない事を考えていると、視線の先にいたエウルの殺気が一気に膨れ上がった。
そして次の瞬間!
地面を蹴ったエウルは一足飛びに間合いを詰め、ゴーレムに斬り掛かっていった。
オレはその動きをコンマ1秒たりもと見逃すまいと、獲物を狙う鷹のような目でエウルの姿を網膜へと焼き付けて行く……
両手二刀を使った、エウルの四連撃。
ゴーレムの身体に大きく深い四つの傷跡を残すはずだった斬撃。
が、しかし……
「ちっ……」
と、忌々しげに舌打ちをするエウル。
左右共に一刀目はゴーレムに深い傷を付けて振り抜けたが、折り返しの二刀目は左右共に振り抜く事が出来ず、その木製の身体へ突き刺さるように止まってしまっていたのだ。
『主よ……今のを見たか?』
「ああ」
真剣な声色で問う村正へ、低い声で端的に答えるオレ。
土御門家で鍛えられた動体視力。
秒間36コマの映像の中、一コマにだけ書かれた長文さえ、オレは読み解く事が出来るのだ。
オレは鋭い眼光でエウルの背中を見つめながら、網膜へと焼き付けた先程の映像を脳内に思い浮かべていく。
そう――
『薄い桃色じゃったな』
「ああ……そして、レースのフリルとリボン付きだった」
前傾姿勢で突進する際、ほんの一瞬だけ捲れたスカートの中身が見えた瞬間をだ……
見えたのは、おそらくコンマ08秒ほど。
オレはその映像を繰り返し脳内で再生し、長期記憶フォルダへと収納していく。
『じゃが、しかし……あのオナゴには可愛らし過ぎて、今ひとつ似合わんのう』
「何を言う村正? ああいう、勝ち気でボーイッシュな女が、女の子女の子した可愛い系のパンツを穿くというギャップがいいんじゃないか? ああいうのを、今の日本では『ギャップ萌え』って言うんだぞ」
『"ぎゃっぷもえ"とな? この400年で、日ノ本のオナゴに対する価値観も、随分と奥が深くなったものじゃ』
うむ、全くだ。
エロに対する日本人の飽くなき探求心は尊敬に値する。
オレは村正の意見に同意しつつ、首を右側へ大きく傾けた。
直後、オレの顔があった場所を短刀が通り過ぎ、寄りかかっている木に深々と突き刺さる。
「何をするエウル、危ないじゃないか?」
まあ、特に危険は感じなかったが、とりあえず批難の声だけは上げておく。
「何って……まあ、アンタが何を言っているかは分からなかったけど――」
当然だ。
オレ達の話していた言葉は日本語。コイツに分かるはずがないのだ。
「とりあえず、私のスカートの中を覗いて、くだらない事を言っているのだけは分かったから、殺そうと思って」
「な、なぜ、それが分かったっ!?」
「女のカン」
女のカン、こえぇ……
てくてくと歩み寄り、木に突き刺さった短刀を引っこ抜くエウル。
随分と気が立ってるな。よほど焦ってるようだ……
「それで、なんの用?」
「なんの用って……分かってんだろ? 言わすなよ」
「はあ?」
ちょっと照れくさそうに視線を逸らすオレに、エウルは心底分からないといった顔で訝しげに眉を顰めた。
「こんな人気のない場所に、お前がたった一人で練習してるって知っていて、わざわざ会いに来たんだぞ。用件なんて、言わなくたって分かるだろ……?」
「えっ……そ、それって……?」
視線を逸して話すオレに、頬を赤らめ後ずさるエウル。
オレはそんなエウルを逃さないよう彼女の肩を掴み、戸惑いの色が浮かぶその瞳を正面から見据えた。
二人の間を吹き抜ける、新緑の風。
その風に揺れる前髪の向こうにある、怯えと期待の入り混じった瞳を見つめながら、オレはゆっくりと口を開いていく。
「オレはお前の……」
「わ、わた……しの……?」
「パンツを……見に来たんだよ」
「…………!!」
無言で喉元へ飛んで来る、短刀の鋭い刃。
オレはスッと半歩後ろへ下がり、その刃をスルーする。
「なぜ避けるっ!?」
「避けないと、死ぬからだよ」
更に両手の短刀を振り回し追撃をしてくるエウルに対し、オレは両手をポケットに入れたまま、その連撃をヒラヒラと回避していった。
「てゆうか、コッチは殺そうとしてんのよっ! おとなしく当りなさいっ!!」
「やなこった」
程なくして、いくら振り回しても一向に当たらない攻撃を諦めたエウルは、両手を膝に着け、呼気を整えながら忌々しげな視線をぶつけてくる。
「ハァー……ハァー……ハァー……」
「どうだ? 思い切り剣を振って、少しはスッキリしたか?」
「あんな簡単にヒラヒラ避けられてカスリもしないのに、スッキリなんてするわけないでしょっ!」
まっ、そりゃそうか。
「で? あんな軽い冗談も聞き流せないほど、何をそんなに焦ってんだ?」
「いや、ぜんぜん軽くないし。むしろ、かなり悪質な部類だったと思うんだけど?」
「いや~、それほどでもぉ」
「別に褒めてないからね」
照れるように謙遜するオレに、まるでゴミを見るようなジト目を向けてくるエウル。




