プロローグ
闇で閉ざされた深い森の中――
その険しい獣道を疾走する三つの人影……いや、人影は一つで、先行する二つの影は人と似て非なるモノであった。
「へへへっ。あのババァ、結構貯めこんでいやがったな」
傷だらけの革鎧をまとった異形の男は両手に持った麻袋を見ながら、狼の顔に下卑た笑いを浮かべた。
「ああ、これでしばらくは、食うに困らねぇぜ」
同じく狼の顔を持ち、大きな麻袋を担いだ男も隣を走りながら口角を吊り上げる。
亜人――人間と似て非なる生物。
姿は人間に近いながらも、人間と違った特徴を持つ生物であり、デミ・ヒューマンとも呼ばれている存在。
そう、彼らは獣人と呼ばれている亜人である。
この四つの王国からなるジェルブラテトラ大陸には、獣人などの亜人の他にもエルフやドワーフ、はては龍族などといった様々な種族が生息していた。
そんな中で、人間よりはるかに優れた視覚や嗅覚を持つのが彼ら獣人であるり、彼らは、かすかに届く月明かりだけで、まるで草原を走るように深い森を走り抜けていた。
「お、おい……ここまでくれば……もういいだろう」
その後ろを走る鎧姿の男が、息を切らしながら先行する二人を呼び止める。
コチラは、この大陸で一番数の多いヒューマン。いわゆる普通の人間だ。
前の二人とは違い手ブラとはいえ、人の身で――まして鋼のプレートメイルをまとい、獣道を走るのは一苦労であろう。
「なんだい、隊長さん? もうバテたのかい?」
「ハァ、ハァ……う、うるさい……オマエらみたいなケダモノと一緒にするな……」
膝に手を着いて呼吸を調える、プレートメイルの男。実際の戦闘力はともかく、序列的な力関係はこの男が上なのだろう。
「だいたいっ! 傭兵の、それも獣人風情の指揮を、正規兵であるこのワタシが直々にとってやっておるのだっ! ありがたく思えっ!!」
癇癪を起こし怒鳴り散らす男。そんな、人間の男のチッポケな虚栄心に獣人たちは肩を竦めた。
だいたいにして、偉そうに指揮などと言ってはいるが、この場には三人しかいない。
なにより実際に仕事をしたのは獣人の二人で、彼はタダ着いて来ただけのお目付け役である。
ちなみに、彼らのして来た仕事は何かといえば……
――押込み強盗。
そう、彼らは今しがた、一人暮らしの老婆の家に押込み家人を殺害、食糧と金品を強奪するという仕事をしてきたところである。
もっとも、深夜の街中にフル装備のプレートメイルなどとゆう、お目付け役様のあからさまに怪しい格好を街の警備隊に発見され、ここまで逃げて来たところなのだ。
「とはいえ、確かにここまで来りゃあ大丈夫だろう」
「ああ、あとはアジトまでゆっくりと――んっ!?」
逃げ切ったと思い、緊張の糸を解こうとした時だった。獣人の二人は何かの気配を感じて、逆に警戒のレベルを上げた。
闇に包まれている前方をジッと見つめる狼の眼……
「どうした? ナニかいるのか?」
「シッ! 静かに……」
獣人と同じように、前方へと目を向ける人間の男。
しかし、獣人より五感の劣る彼の目では何の異常も感じ取れなかった。
「……」
「……」
「……」
まるで時が止まったかのような静寂……
その息を飲むような緊張感に耐えきれず、人間の男が声を上げる。
「おい、何が起こっている!? 説明し……ろ?」
そう言って、獣人の肩を掴む人間の男。
しかし、獣人の肩に触れたその手に、男は違和感を覚えた。そう、男が掴んだ肩が小刻みに震えていたのだ。
人を殺す事を生業としている、獣人の傭兵が脅えているだと……?
人を殺し、そして殺される事にすら歓喜するとさえ言われる獣人。その彼らが脅えるなど、男にはとても信じられなかった。
この先に何があるというのだ……?
獣人達が脅えながら凝視する先へと視線を戻す男。そこにあるのは、深い木々に覆われた闇――
そして、その闇の中にようやく、人間の男にも視認できる人影が浮かんだ。
人影……? いや、人影ではない。
「亜人……なのか……?」
そう、ゆっくりコチラへと近付いて来るそのシルエットは、明らかに人間のモノではなかった。
左右に三本ずつ、計六本の腕を持ち、瞳が真紅のルビーのように光る、妖しいシルエット。
何なのだコイツは? 六本腕の亜人など聞いたことがない……
しかし、そのシルエットに獣人の二人は、まるで蛇に睨まれた蛙の様に脅え、立ち竦んでいる。
おそらく、戦闘になれば勝てる見込みはないのであろう。
ならば……
人間の男は、即座に獣人達をオトリとして自分が助かる道を選んだ。
獣人達に気付かれぬよう、静かに踵を返すプレートメイルの男。
「っ!?」
しかし、後ろを向いた男は、一瞬だけ表情を歪ませる。それは彼らの背後に、もう一つのシルエットが浮かんでいたからだ。
ただ、コチラのシルエットは人間のようだ。中肉中背、そしてかなりの軽装に見える。
一応武器として右手に剣を所持しているようだが、それは木刀のように細く、とても貧弱に見えた。
どうするかなど考えるまでもない。
前方は獣人をも恐れさせる亜人。後方は軽装の人間。ましてや相手の細長い剣に対して、コチラは鋼のプレートメイルを着込んでいるのだ。
あんな貧弱な剣では、この鎧にキズ一つつけられまい。
即座にそう判断した男は腰の幅広の剣を抜き、後方へと走り出した。
しかしその直後、男は自分の選択が誤りであった事を知る事になる……
いや、正解など初めから無かったのだ。どちらを選んでも彼らの運命は、すでに決まっていたのだから……