第一章 捨てる家あれば拾う神あり①
陽当りの良い南校舎の一階。
早々に食事を終えて学食をあとにする生徒達の流れに逆らい、背中を丸めて重い足取りで歩くオレ。
生徒の大半が貴族の坊ちゃん嬢ちゃんなだけあり、すれ違う生徒達は歩く姿にもお上品さが滲み出ている。
ネクタイを緩め、両手をポケットに入れて歩くオレとは大違いだ。
ってか、普段からそんなに気を張っていて肩が凝らないのか、コイツらは……?
オレもそれなりに名家の生まれだったし、実家や仕事先ではそれなりにシャンとしていたけど、その分、学校ではダラケまくっていたぞ。
何事もメリハリ、そしてオン・オフの切り替えが重要なのだよ。
そんな事を考えながら、オレはふと窓の外を――雲ひとつない晴れ渡った空を見上げた。
実家に仕事か……
もう、こっちに来て一年になるんだな。
明那……お前は、今どこにいるんだよ……
晴天の空に最愛の人の顔を想い浮かべながら、オレはあの日の出来事を思い出していた。
そう、土御門家と日本国に切り捨てられた日の事を……
※※ ※※ ※※
黒塗り高級車の後部座席。
目は❘霞み、身体は痺れで満足に動かず、思考も鈍り始めているオレ。
少しでも気を抜けば、そのまま意識は二度と戻らぬ暗闇へと落ちていくだろう。
この症状……VX系のガスか……
なら、もう手遅れだな。この感じだと、車内に充満するガスの濃度は人間の致死量を遥かに越えている。
オレは腕の中で眠る明那――最愛の妹、土御門明那へと目を落とした。
巫女服を纏い、首の後ろで一つに束ねた長く艷やかな黒髪。
同年代の女子と比べると少しスレンダー気味な一つ年下の妹は、浅い呼吸で苦しげな寝息をたてている。
仕事を終えて送迎の車に乗り込んだあと、しばらくして指先に微かな痺れを感じた瞬間。それがガスによるものだと判断したオレは、咄嗟に明那へ当て身をあてて気絶させたのだ。
呼吸を最小限に留める為の措置だったけど…………無駄だったようだ。
VXガスは、人類が作り出した化学物質の中で最も毒性の強い物質の一つ。そして、その毒性は呼吸器からだけでなく皮膚からも吸収されるのである。
オレは自分と妹の死を理解し、その上で抵抗する事もなく座席のシートへと背中を預けた。
街灯ひとつない、真っ暗な山道を走る黒塗りの高級車。
確か、この少し先にあるカーブの向こうは崖になっていたな。おそらく、そこからダイブして車ごと炎上させるつもりなのだろう……
さて、オレの意識が落ちるのが先か、車ごと紐なしバンジーをするのが先か……?
そんな事を考えながら、オレは声を絞り出すように運転席でハンドルを握る中年の男へと問いかける。
「なあ、二条さん……一応確認するけど、自分も死ぬって事は分かっているよな……?」
二条誠――
痩身で一見すると人の良さそうな営業マン風の男性であるが、実は警視庁公安部の人間で、土御門家の分家の人間でもある。
まあ、この人も分家とはいえ土御門に連なる人間なのだ。答えは聞かなくても分かってはいるけど。
「キミ達と一緒に死ぬ事が、今回の仕事だからね」
二条さんの口から出た予想通りの答えに、苦笑いを浮かべるオレ。
『万山重からず、君命重し。一髪軽からず、我が命軽し――』
平安の世――およそ千年前から土御門家とその分家に広く伝わる家訓。
万の山々より君の命令は重く、それを為す我が命は一本の髪の毛より軽い。という意味の言葉だ。
そして、この場合の君とは二人称代名詞ではなく、仕えるべき主君――日本国であり天皇を指している。
そして、土御門家とは古の時代から帝の影を支え、暗殺を司って来た呪術者。いわゆる国家お抱えである陰陽師の家系であり、今では公安や内閣調査室の手に負えないテロ組織やスパイ組織を秘密裏に壊滅させたり、表沙汰に出来ない事件の構成員などを暗殺する事を生業としている家系なのだ。
幼い頃より『我が命は一本の髪の毛より軽い』と教え込まれている土御門家の人間。
だから、死ぬ事を前提とした命令――仕事で命を落とす事に、なんの躊躇いもない。
とはいえ――
「理由を聞いても……いいかな……?」
そう、オレ自身も任務で死ぬ事に躊躇いはないが、身内に殺される覚えはない。
まあ、その理由を知った所で、何が出来るという訳ではないけれど。
「私も詳しくは聞いてないけど、キミを生かしておく事のリスクがリターンを越えてしまったから……という事らしいよ」
「?」
ルームミラー越しに二条さんの顔へ目をやりながら、オレはその言葉に首を傾げた。
彼の方にもガスの影響がかなり出でいるのだろう。顔面は蒼白で、ハンドルを持つ手も小刻みに震えている。
それでも、人の良さそうな顔に笑みを貼り付けながら、二条さんは言葉を綴っていく。
「明羅君……キミはとても優秀だ。特に呪術も然ることながら、その剣術の腕は土御門家の長い歴史の中でも五本の指に入る――なんて話しも耳にするくらいにね」
「お世辞はいいですよ……」
「お世辞じゃないよ。ただね……優秀であるがゆえ、もし敵に回してしまったらコチラの被害も甚大になる。リスクがリターンを超えるっていうのは、そういう意味だよ」
「それって……本家はオレが裏切る可能性があると見ているって事ですか……?」
だとしたら、それは心外な話だな……
そんなつもりは毛頭ないし、土御門を離れたとしてオレには生きる術もない。
なにより、仮に甚大な被害を与えられるとしても、壊滅させられると思えるほど自惚れてはいない。
つまり、土御門を敵に回したら、そのあとに待つのは地獄の逃亡生活――土御門の刺客から逃げ回る生活など、考えただけでゾッとする。
そんな生活を強いられるくらいなら、潔く死んだ方がましだ。
と、そんなオレの心情を察したのか? 二条さんは軽く肩を竦め、口元に苦笑いを浮かべた。
「キミも私と同じ様に、自分の命を一本の髪の毛より軽く思っているのは知っているよ。もしも明日、今日の私のようにターゲットと共に死ねと言われれば、君は躊躇いなく死んだはずだ。ただそれでも、私とキミとでは違う点もある。私はね、もし妻や子供が人質に取られたとしても、迷わず任務を優先する事が出来るし、実際にそうしてきた」
そういえば、二条さんは奥さんと二人の子供――オレ達と同い年の兄妹がいたんだったな。
確か十年くらい前、テログループに拉致され、殺されたとか……
「でも明羅君……キミは、もし妹が――明那ちゃんが人質を取られたとして、迷わず任務を優先出来るかい?」
「…………………………」
オレは、その問いに答えを詰まらせた。
そんな状況を想定した事は確かにある。しかし、その時に自分がどう動くかの答えは出ていないし、任務を優先出来ると断言も出来ないのだ……
「つまり、そういう事だよ」
オレは目を閉じると、天を仰ぐように顔を上に向け、大きく息をはいた。
なるほど……
オレが殺される理由は理解出来た。そういう事なら、土御門家がオレを切り捨てる理由としては十分だし納得も出来る。
出来るのだけど……
「そういう事なら、殺すのはオレ一人でいいでしょう? なぜ、明那も巻き込むんですか……?」
二条さんは分家の中でも優秀な人だし、公安には彼の部下もたくさんいる。
そんな人が自分の命を掛けて罠を張るというのなら、オレだけを狙う事も出来たはずだ。
「逆もまた然りって事だよ」
「逆……?」
「そう。君が切り捨てられ殺されたなら、今度は明那ちゃんが土御門の敵に回るって事」
明那がオレの為に、土御門を敵に回す?
あり得ないだろ、そんな事は……
常日頃、明那がオレに接する態度を思い出して苦笑いを浮かべた。




