エピローグ 01
「おいでぇ、バツイチッ!」
翌日の早朝、伯爵邸にいた狼さん達を引き連れ、朝霧の立ち込める森の入り口までやって来た私達。
ちなみに、この子達がいた部屋の奥には隠し通路があり、地下道を通って街の外まで出られる様になっていた。
さすがの領主さまでも、この子達を屋敷へ移動させるのに、街中を通る訳にはいかったのだろう。まっ、いざと言う時の緊急脱出用通路でもあったのだろうけど。
私の前にお座りをして、嬉しそうにシッポを振る総勢五十匹を超えるファングウルフさん達。
「よ~、しゃしゃしゃしゃしゃ~♪」
その群れの先頭。額にバッテン傷、そして首に一文字の傷を付けた狼さんの前に屈み、私はその頭をワシャワシャと撫でる。
そう、この狼さんは、ガイルさんに首を斬られて瀕死の重傷を負っていた、この群れのリーダーだ。
『バツイチって……おい、和沙よ。もう少し、良い名はないのか……?』
後方で、この光景に若干顔を青ざめさせているクリスちゃんとティアナさんの隣。タマモちゃんからの念話が、頭の中に直接届いた。
いいじゃん。本人も気に入っているみたいだし。
「ねぇ~っ、バツイチィ~♪」
「ワウッ!」
頭を撫でられ、嬉しそうにシッポを振るバツイチ。
『ふんっ。まあ、ワシはそんな犬っころになど興味もなし。好きにすればよかろう』
などと、クールぶってはおりますが、この子がこんなにも早く回復したのはタマモちゃんのおかげらしい。
これは思金に聞いた話だけど、私が預けたこの子を抱いている間、タマモちゃんはずっとこの子に魔力を送って体力を回復させていたそうなのだ。
魔力を帯び、特性が魔物や魔獣に近いファングウルフさん。
私のヒーリングでは、傷口を塞ぐしかできなかったけど、そこに同じ犬族である妖狐玉藻前の強力な魔力を注がれて、今や完全回復――いや、前よりも強くなっていそうなレベルだ。
ホント……私の事をお気楽だツンデレだ言うけど、自分の方がよっぽどツンデレさんだよ、まったく。
そんな事を思い、頬をほころばせながら、私はバツイチに優しく語りかける。
「いいかい? バツイチ――私が一時的に預かっていた親分の座は、お前に返すからね。ちゃんと群れの面倒を見るんだよ」
「ワウッ!」
「それから、なるべく人間は襲わない様にしてね」
なるべく――『絶対に』ではなく『なるべく』……
私は慎重に言葉を選んで、そう表現した。
ファングウルフは野生の魔物であり、そこには弱肉強食の厳しい生存競争が存在するのだ。
そして、そんな大自然に生きる彼らにとって、人間も獲物の対象だと言うのなら、私にそれを止める事は出来ない。
ただ、それでも他に選択肢があるウチは――
『それほど心配する事はあるまい。あの森は、獲物が豊富そうじゃ。今回みたいに操られでもせん限り、そうそう人を襲う事などなかろうよ』
そっか……
最上位の大妖怪――日本では多くの魔物を統べていた、金毛白面九尾の狐さんのお言葉だ。信用する事にしましょう。
私はバツイチの顔を両手で挟み込む様にして、別れを惜しむ様に、そのバッテン傷口に自分の額をくっ付けた。
「元気でね……バツイチ……」
「クゥ~ン……」
その少し悲しげな声に、私は髪を束ねていたリボンを解くと、バツイチの一文字傷を隠す様に、そっと首へ巻き付けた。
「おっ!? よく似合っているぞ、バツイチッ」
「ワウッ!」
バツイチからの元気な返事を聞き、私には口元に笑みを浮かべながら、スクッと立ち上がった。
少しだけ高い視点から群れのみんなを見渡すと、私は大きく息を吸い込んで、親分(仮)から子分達に向けて最後の号令を発する。
「それじゃみんなっ、森にお帰りっ! そして、仲良く元気に暮らしなさいっ!!」
「ワオォォォォーーンッ!!」
その言葉を受け、雄叫びを上げながら森へと走り出すバツイチ。
そして、その後を追う様に森へと走る狼さん達の群れに向け、大きく手を振りながら見送る私――
「風呂入れよ~! 歯みがけよ~! 顔洗えよ~! 宿題やれよ~! 風邪ひくなよ~! また、いつかねぇ~~っ!!」
爽やかな風に髪をなびかせながら、一匹、更にまた一匹と、森の中に姿を消して行く狼さん達を見送っていく……
そして、ほんの少しだけ潤んでボヤけた視界から最後の一匹の姿が消えると同時に、タマモちゃんがそっと私の肩に手をかけた。
「和沙よ……さすがに全部は無理でも、バツイチ一匹くらいなら飼ってやっても良かったのじゃぞ」
傾国の大妖怪らしからぬ優しい言葉に、私はゆっくりと首を横に振った。
「ん~んっ……野生の生き物は、野生で暮らすのが一番だよ」
「そっか……」
「それに、バツイチがいなくなったら、群れのみんなが困るしね」
そう言って私は、今出来る精一杯の笑顔を作って、クリスちゃん達の方へと振り返った。
「ごめんね、クリスちゃん。こんな事に付き合わせて」
「い、いえ……大変に貴重な経験でした……」
青ざめた顔で、少々引きつった笑みを浮かべるクリスちゃんとティアナさん。
まぁ、気持ちは分かる……
一匹一匹がシベリアトラ並みの魔物であるファングウルフ。
例えば日本で――
『人に慣れているので、絶対に安全ですよ』
などと、飼育員の綺麗なお姉さんに言われても、シベリアトラが50匹も居る様な檻など、私なら絶対に入りたくない。
「それに、ファングウルフの処置に関しては、本来なら我々の仕事だった訳ですし」
「はい……それをお任せしたばかりか、昨夜はお二人を利用する様な事になってしまって……なんとお詫びしたら良いか……」
「い、いや、ホント……全然気にしてないから、そんな何回も謝らないでよ……」
昨晩から、ずっと謝りっ放しのクリスちゃんに、困った笑みを浮かべる私。
意図していなかったとはいえ、結果的に私達を利用する形になってしまったのが、よほど堪えているらしい。
背中を丸めてシュンっと視線を落とすクリスちゃん……
まったく……仮にも一国のお姫さまなのだから、
『パンがなければ、ケーキを食べればいいじゃない』
とか言うくらい鷹揚に構えても――いや、そこまで言う様になったら問題か。
「それはそうと、クリスさん。お二人は、あと幾日ほどこの街に滞在するご予定なのですか?」
重くなりかけた空気を察してか、早々に話題の転換を図るタマモちゃん。
さすが、ティアナさんも比較にならない程の最年長さん。これぞ正に、亀の甲より年の功だ。
『マリー・アントワネット曰く、「あらゆる浪費の中で、もっとも咎むべきは、時間の浪費」じゃからな。それから、さき程の「パンがなければ――」は、アントワネットの言葉ではないと検証済みじゃぞ。以後、気を付けるがよい』
ベルばらマイスターからの突き刺さる様な冷たい視線を受け、竦み上がりながらコクリと頷く私……
やはりタマモちゃんは、マリーさんになにかしらのシンパシーを感じているようだ。
しかし、正面に立つ天然お姫さまは、私に向けられた殺気すら感じさせる視線になどまったく気付かずに、唇に指をあてて軽く首を傾げている。
「そうですね……本来なら今日明日で、今回の件の立ち会い検証を終え、明後日には出立したかったのですが……」
「しかし今朝方、早馬で届いた国王陛下直々の書簡により、しばらくのあいだ、街へ滞在する様にと命じられてしまったのです……」
こ、国王陛下直々となっ!?
ま、まあ……そりゃクリスちゃんはお姫さまなんだし、手紙くらい来るか。
「まったく……お父様ったら、本当に心配性なのですから。困ったものです」
「心配性……?」
可愛らしく頬を膨らませるクリスちゃんに向け、今度は私が首を傾げた。
「実は……移動の途中でファングウルフに襲われた一件が国王陛下の耳に入ったらしく……報告を受けると同時に、玉座の間で卒倒なされたそうです」
「そのあと、旅を中止させてすぐに王都に呼び戻す様にと、泣き喚きながら駄々を捏ねたらしいです……まあ、お兄様とお姉様達が、なんとか宥めてくれたようですが」
ふむ……とりあえず、この国の王さまは娘溺愛王だというのは分かった。
まあ、王さまの気持ちは分からなくもない。
もし、自分の娘がクリスちゃんみたいな可愛い娘なら、家柄も性格もいい超絶イケメンが、
『お嬢さんをボクに下さい』
とか挨拶に来ても、
『ふざけるなっ! キサマの様な奴に、大事な娘をやれるかっ! 代わりに私を嫁にしろっ!!』
とか、言ってしまうだろう。
『カズサ……今まで我慢していましたけど、さすがにそれは突っ込み所が多過ぎます』
と、二人の手前、ずっと黙っていた思金の声がヘッドセットから届く。
『ふむ。そも、和沙の娘が、この様な素直で真っ直ぐな娘に育つとは思えんしの』
しゃらっぴっ!! 子供は、わんぱくでもいいから、逞しく育ってくれればいいんだよっ!
「とりあえず、陛下も護衛の人数を増やすという事で、渋々ながら納得してくれたようです。それで、護衛を数人ほど選定したのち、その者達を王都より派遣するから、それを待つ様にとのお達しなのです」
「でも、お父様の事です。選定に時間が掛かっているとかなんとか仰って、旅を中止させようとしているに決ってますわ」
更に頬を膨らませるクリスちゃんに、板挟みの中間管理職みたいな苦笑いを浮かべるティアナさん。
でも……
「護衛の選定って、そんなに時間がかかるモノなの?」
お姫さまの護衛なんて、募集を掛ければ応募が殺到しそうだけど。
「そうですねぇ……馬車の御者や雑務の下男などならともかく、身辺の護衛となれば王女殿下という立場上、どうしても女性に限定されてしまいます」
「わたくしは、殿方でも構いませんのに……」
「そう言う訳には参りません」
クリスちゃんの要望を、一刀両断で切り捨てるティアナさん。
まあ、ティアナさんが許しても、娘溺愛王さまが許さないだろうけど……
「何より、クリスチーナ殿下の護衛となれば、私と同等がそれ以上の実力者でないと、国王陛下もお認めにはならないでしょう。お二人の様な実力者を前にして、こんな事を言うのは面映いばかりなのですが――一応、私も王国の女性騎士団の中では、一、二を争う剣の使い手ではありました」
「ティアナより強い女性など、そうそういる訳がありませんわ」
なるほど……
まあ、ティアナさんの実力なんて、初めて会った時にチラリと見ただけなのでよく分からないけど、女性騎士団トップクラス以上の女性など、そうそうはいないだろう。
とはいえ、私達の方もいつまでこの街にいるかとかは、まだ決めてないけど――クリスちゃん達がこの街に滞在中は、私達の食と住も保証をしてくれる契約だ。
クリスちゃん達の滞在期間が長引けば、それだけ豪華なタダ飯にありつけると言う訳で――
「一つ提案があるのですが、よろしいでしょうか?」
そんな、小悪魔チックにちょっとだけ腹黒い事を考えていた私の隣に立つタマモちゃんが、おもむろに一歩足を踏み出した。