第23章 アイデンチィチィ~クライシスッ!?
「き、消えたぁ~っ!?」
まず、最初に聞えてきたのは、ハートさまの素っ頓狂な声。
続いて『ゴツッ!!』という、ジュータンへ大きな物が落ちる音とコワモテお兄さん達の戸惑う様な声が重なった。
そして、最後に聞えてきたのは、そんな慌てふためく男性諸君を嘲笑う様な、タマモちゃんの言葉――
「やれやれ……ハートさまの目は、肥えておらぬどころか節穴のようじゃ」
色白の顔に妖艶な微笑張り付けたタマモちゃんに見据えられ、額に脂汗を浮かべながらたじろぐハートさま。
「な、なんだど……何が言いたいのだ……?」
「節穴の領主殿には見えておらなんだ様ですが、和沙は消えてなどおりませぬよ。その証拠にホレ、あの自称最強剣士殿の背を見てみなされ」
タマモちゃんの言葉を受け、男達の視線が一点に――ガイルさんの背後に立ち、その無防備な首筋に刀を押し当てている私に向け、一斉に注がれた。
驚きに言葉を失う男性諸君の視線に晒される私。そして、そんな私の前に立つ大きな背中の持ち主も、やはり言葉を失い、呆然と立ち尽くしていた。
そう、刀身の上半分が綺麗に無くなったご自慢の愛刀を、呆けた様に見つめながら……
「い、いつの間に……猛獣どもの動きすら捉えるワタシの目に見えぬ動きなど……あ、あるはずが……」
静まり返る室内に、猛獣使いさんの、掠れた声が流れる。
腐ってもSランクさん。他の人よりも、少しだけ放心状態からの回復が早いようだ。
まっ、まだ完全には抜け切ってはいないようだけど……
私は横目でチラッとパイパおじいさんに目をやって、にっこりと微笑んだ。
「私の動いた速度は狼さん――ファングウルフさんと同じか、少し速いくらいだよ。そして、それが消えた様に見えたのは、ただの目の錯覚」
「さ、錯覚だと……?」
そう、これは目の錯覚を利用した剣技なのだ。
とはいえ、私の速さは映像で観た彼の七割程度――彼の剣技の劣化コピーでしかないのだけれど。
この高濃度なマナの状況下なら、もう少し近付けると思ったんだけどなぁ……
そんな事を思いながら、物分りの悪そうなヤロー共に噛み砕いて説明して行く私。
「さて、人間に限らずどんな生き物でも、走り出してから最高速に達するまで、必ずある程度の距離が必要でしょ?」
こんなのは、誰でも知ってる常識であり、そして誰もが持っている先入観である。
「じゃあもし、最初の一歩から――最初の踏み出しから、いきなり最高速で、しかも一足飛びに間合いを詰めたらどうなるか……?」
「ふむ、身体の余計な力を抜いた八字自然体の構えから、一切の予備動作なく、しかも最初の踏み出しから最高速での斬り込み――――まっ、目前でやられたら、人の目には消えた様に見えるじゃろうかのう……」
私の問いに、唯一すべてが見えていた人間――いや、人間じゃないか。
唯一すべてが見えていた大妖怪さんが答えた。
まあ、その通り、大正解。厨二っぽい言い方をするなら、この移動法はいわゆる『縮地』である。
消えた様に見えたのは、常識と先入観を利用して、目の錯覚を引き起こさせただけなのだ。
更に付け加えると、ガイルさんの剣を斬り落とした技は、すれ違う瞬間に放った抜刀術――
鞘走りを利用して、剣速を高める居合斬りである。
そう、彼の使うこの剣技は、全てを速さに特化させた剣技なのだ。
残像すら残さず、スーパースローカメラでも完全には捉えきれないスピード。気付いた時には死んでいると言わしめる剣。
内調では彼を『静かなる刀』と呼んでいたそうだ。
まあ、それはさておき――
「さて、井の中のカエルくん――ではなく、ガイルくん。上には上がいるという事を分かってくれたかね? 分かったのなら、玩具みたいだとバカにした、この童子切安綱さまに謝りたまへ」
目の前の、大きな背中に向けて謝罪を要求する私。
そして、その言葉を受け、その大きな背中はがっくりと崩れ落ちる様に両膝を着いた。
ふむふむ。素直な事はとても良い事――――って、あれ?
両膝は着いたけど、特に頭を下げるでもなく、何やらブツブツと呟き始めるガイルさん……
「ふっ、ふふふ……剣が……俺の剣が……ハハハ……そんなワケねぇよ……俺の剣が折れるワケねぇーんだ……ふふふ……」
って、怖っ!!
なにっ!? どうしちゃったのっ!?
『ふむ……現実を受け入れられず、精神が崩壊したのかもしれんのう』
まさかのアイデンチィチィ~クライシスッ!?
『可哀想にのう……自分の持つ剣が最強じゃと信じて疑わなんだ、剣の腕しか能のない中年男が、十五のお気楽娘に手も足も出せずその剣を折られたのじゃ。さもありなん……』
『カズサ……少しやり過ぎだったのでは?』
そして、なぜか私一人が悪者にっ!?
『実際、実行犯は和沙じゃからの……して、どうするつもりじゃ?』
ど、どうするって……
タマモちゃんの追求を求める視線から、そっと目を逸らす私。そして――
………………………………………………忘れよう。
『はぁ?』
おじさんの事は忘れよう。大丈夫っ、私達が何かしなくても、きっと時間が解決してくれるよ。
辛い事も悲しい事も、いつか笑って話せる日が来るものさ。
『カズサ……何を綺麗に纏めようとしているのですか?』
『ちっとも、纏まっておらんがのう』
うるさい、うるさい、うるさ~いっ!
だいたいっ! 今で、散々に他人の武器を壊しまくって来たんだよ、この人っ! こんなん、因果応報の自業自得だよっ!
それに良く言うでしょっ!?
人を撃っていいのは、撃たれる覚悟のある奴だけっ! 人を殴っていいのは、殴られる覚悟のある奴だけっ! そして、パンの代わりにケーキを食べていいのは、マリー・アントワネットさんだけだって!!
『後半の話は初めて聞いたがの。とりあえずお主は、池田先生とそのファンの方々、そして――――――このワシに謝っておけ……』
「すみませんでしたーーーーっ!!」
突然爆発する殺気っ!?
狼さん達が一斉に怯え出し、背筋が一瞬で凍りつきそうな程の殺気を放つタマモちゃんに向け、私は反射レベルで深々と頭を下げた。
しかも、そのあまりの迫力に、念話に対して思わず声を出してしまったし……
しかし、そんな私を更に鋭い視線で見据えるタマモちゃん。
『うむ……以後、池田先生の作品を――特に、マリー・アントワネットを愚弄する事はワシが許さぬ。場合によっては人間共との全面戦争も辞さぬゆえ、努々忘れぬよう、肝に銘じておくがよい』
「イエス、マムッ!!」
意外な所にいた『ベル◯ら』の熱烈ファンに敬礼を返し、私はその視線から逃げる様にクルリと踵を返した。
そしてその視線の先にいるのは、念話と実会話という意味不明なモノを見せられ、不思議顔で戸惑っている男達――
「こ、こほん……」
私は、気を取り直すように一つ咳払いをしてから、その男性諸君に向け安綱の切っ先を突き付けた。
そう、お仕置きしなくてはいけない人は、まだ残っているのだ。
なにやら庭の方も少々騒がしくなって来たし、こっちもチャッチャと終わらせますか。