第13章 領主さまの素顔 01
出迎えに来ていた、伯爵家の豪華な馬車に揺られる事30分。辿り着いた伯爵邸の豪華な門を前に、玉藻前は苦笑いを浮かべた。
「(これはまた……よほど悪どく儲けておるようじゃのう……)」
正装を纏った初老の使用人に案内されて、邸宅に足を踏み入れると、更に眉を顰める玉藻前。
「(なんとまあ……成金を絵に描いたような、虚栄心丸出しの下品な内装だこと……)」
とはいえ、地方の木っ端領主にしては、随分と溜め込んでおるようじゃし、媚を売って損はないかのう。
なにより金に――欲望に忠実である者ほど、御しやすいしの。
そんなことを考えながら、初老の使用人に続いて歩く玉藻前。
「コチラでございます――ハート伯爵様。タマモ様をご案内致しました」
そう言って、初老の使用人は軽く頭下げながら扉を開いた。
案内されたのは、ちょっとした晩餐会なら開けそうなくらいの、大きなダイニングルーム。
そして、そこに居たのは、片側20人は座れそうな、長いテーブルの上座で食事を摂る領主様……
「お初にお目にかかります、ハート伯爵様。此度はお招き頂き、恐悦至極に存じます」
玉藻前は持ち前の猫かぶりを存分に発揮して、上品な笑みを浮かべなら仰々しく頭を下げた。
「おおっ、これはこれは、タマモ殿。よくぞ参られた。ささっ、遠慮なさらず、お座りなさい」
「はい、では失礼致します」
立ち上がる事もなく、分厚い肉の刺さったフォークを持ったままで出迎える伯爵に、玉藻前は内心で肩を竦めた。
それでも、そんな態度はおくびにも出さず、初老の使用人が引いた椅子に腰を下ろす、玉藻前。
「セバスチャン。お前はもう下がりなさい」
「かしこまりました」
よくある執事の名を持つ使用人は、主人の言いつけに従い深く一礼をしてダイニングを後にした。
これで、この部屋に残されたのは二人――いや、三人だけとなる。
玉藻前は、横目にその三人目の男の方へと目をやった。
伯爵の座る席の後方。セバスチャンの出て行った扉とは別の扉の隣りに、気配を消す様に佇む男。
おそらく、伯爵の護衛なのであろう。ローブを纏い、顔を隠す様に深くフードを被って静かに立つ男……
しかし、玉藻前は、不気味な様相で立つ男よりも、その男が立つ隣りの扉の先が気になっていた。
「(随分と獣臭い部屋じゃのう……またぞろ、下劣なペットでも飼っておるのか?)」
闘技場では下劣なオークと闘わせられ、更には成金丸出しの下品な装飾品に囲まれて……
下劣で下品なモノは、もう食傷気味だとばかりに内心でげんなりとため息をつく玉藻前。
「それにしても、闘技場で闘う姿も美しかったが、こうして間近で見ると、この世の物とは思えぬほどの美しさですな。ほっほっほっ」
「もったいないお言葉、大変に恐縮です。伯爵様」
人の良い、ほがらかな笑みを浮かべるハート伯爵。
しかし、化かし合いでは、一日どころか、数千年の長がある玉藻前。彼女には、その笑顔の下の下卑た笑みなど簡単に見て取れていた。
それでも表情一つ崩す事なく、玉藻前は猫をかぶり続け、上品微笑んでみせる。
「さて、遠慮なさらず、たんと召し上がってくだされ」
テーブルに並ぶ豪華な食事。どれもこれも、一般家庭はおろか、高級レストランでしかお目にかかれない、美味しそうな料理ではある。
しかし……
「(食べろと言われてものう……)」
綺羅びやかに居並ぶ料理達。ただ、玉藻前が事前に予想していた通り、全ての料理に薬が仕込まれているのだ。
属性で言えば犬神に属する、妖狐の玉藻前。その嗅覚は、人の一万倍という犬の嗅覚をも超えているのである。
「(ふむ……薬と言うても人を殺す毒ではなく、身体の自由を奪う物か……大方、自由を奪い、手籠めにでもするつもりなのじゃろが…………さて、どうしたものか?)」
魔力が完全な状態であれば、玉藻前にとってこの程度の薬などどうと言う事もない。何より、毒や薬に対する免疫力も高い。
ただ、魔力が全盛期の五分の一しかない今の状態では、どこまで耐えられるか、彼女自身でも想像出来ないのだ。
「(仕方ないのう……)」
玉藻前は、申し訳なさそうな表情を作り、唯一、薬の盛られていないワイングラスを手に取った。
「申し訳ありません、伯爵様。わたくし、宗教上の戒律で一切の肉食を禁じられているです」
咄嗟に、菜食主義に成りすまし、状況の回避をはかる玉藻前。
「なんとっ! そのような戒律が……しかし、肉が食べられぬとは、人生の半分以上は損をしておりますぞ」
「(そのような事を申しておるから、そんな醜い腹になるのじゃ。まっ、食欲と性欲しか持たぬ、オークが如き醜いブタであれば、然もありなんか)」
内心で毒づきながらも、それを表に出す事なく玉藻前は、誤魔化す様に妖艶な笑みを浮かべた。
数多の男達を虜にしてきた微笑。
その微笑みを向けらたれハート伯爵も、ご多分に漏れずにだらしなく鼻の下を伸ばしたのだった。
「ですので、わたくしはこちらだけで――」
そう言って、艶っぽい唇へとワイングラスを運ぶ、玉藻前。
そして、その無色透明な液体を口に含んだ瞬間、玉藻前は驚きに目を丸くした。
「こ、これは――」
鼻孔をくすぐる芳醇な香り。そして、口の中に広がる、懐かしい故郷を思わせる味。
これは、まさか――
「その酒は、南のサウラント王国から取り寄せた物でしてな。最近編み出された手法で造られた、米を原料とする酒ですぞ」
そう、米を原料とする酒――まさにそれは日本酒そのものであった。
『(多少、米以外の物も入っているようではあるが、異世界であればそれも詮無きこと。しかし、味は日本酒そのものじゃな)』
あまりにも懐かし味に、玉藻前はあっという間にグラスを空にする。
「どうですかな、もう一杯?」
そう言って、傍らにあった酒瓶を手にするハート伯爵。
人の良さそうな笑み――ただ、玉藻前には、その人の良さそうな笑みの下にある下卑た笑みがハッキリと見て取れる。
が、しかし……
「(薬がダメならば、酒で酔い潰そうという魂胆か。じゃがな、ワシを酔い潰そうと思おたら、樽で用意しても足りんぞ、伯爵よ)」
心の中で、ハート伯爵の浅知恵を嘲笑いながら、静かにグラスを差し出す玉藻前。
「是非に……」
透明度の高いグラスに注がれる、透明度の高い酒――
故郷の懐かしい味に舞い上がってしまったのか? それとも、己の嗅覚を過信してしまったのか?
玉藻前は、人の良い笑顔に隠された下卑た笑みの意味を取り違えてしまっていたのだ……