第6章 逃げ込んだ先―― 03
「それが……日本に帰りたい理由なの……?」
「まあ、そうじゃな。数千年のあいだ、様々な国を転々としておったが――殺生石の中にいた千年は争いもなく、静かで穏やかな時間じゃったからのう。特にこの五十年は、新たな趣味も出来たし、誰に邪魔されるでもなく没頭する事が出来たわ」
「じ、じゃあ……日本に戻って、もう一度世界征服をするとか、そんな気は……?」
「何度も言わすな。ワシは神輿として担がれていただけで、元々、人と争う気はないのじゃ」
「ホントに……?」
疑いの眼差しを向ける私に、肩を竦めるタマモちゃん。
「なあ、和沙よ……ワシが時の権力者に近づき、侍っておった事は知っておるか?」
「えっ? ええ、まあ……」
授業でやったうろ覚えの知識だけど、九尾の狐の伝承と言えば、始まりは紀元前十一世紀の中国――殷王朝時代の末期。帝辛と言う王様に寵愛された妲己が始まりと言われている。
その後、玉藻前として日本の鳥羽上皇の寵愛を受け、那須野ヶ原で討たれるまでの間、九尾の狐伝説はアジアの至る地域で見られていた。
そんな事から九尾の狐は、常に時の権力者達の影に存在していたとまで言われているのだ。
「では、何故にワシが、時の権力者達に擦り寄り、侍っておったか分かるか?」
「そ、それは……やっぱり、自分が権力を握るためじゃないの?」
「違う……あの場所が、一番安全だったからじゃ」
「安全……?」
「ああ、安全じゃ。権力者の側というのは、戦場から一番遠い場所じゃからな」
確かに、そう言う意味では、権力者のそばというのは安全なのだろう。ましてや、その権力者から寵愛を受けていたなら、周りから危害を加えられる事なんてないのかもしれない。
まあその分、権力者の一夫多妻、多側室が当たり前の時代。ドロドロの愛憎劇はありそうだけど……
「まあ、それも侵略と内戦の絶えぬ時代の話。今の平和ボケした日の本なら、わざわざ権力者に擦り寄らんでもさしたる危険はあるまい。なれば、適当な成金爺ィの後妻にでも収まり、身の周りの事は使用人に任せ、のんびり趣味に耽るのも悪くはないと思おておる。和沙よ――お主は、そんな生き方も許さんと言うのかえ?」
いや、ホントにそんな生き方をしてくれるなら、別に止めるつもりはない。てゆーか、そんな生き方なら、私も少しも惹かれ――って、なに考えてんだ私っ!
「ふむ……和沙が望むのであれば、お主が正室でワシは妾に収まっても良いぞ。ワシの妖術を持ってすれば、成金爺ィを誑かす事なぞ造作もない」
「ホントにっ!?」
「まあ、爺ぃの遺産は、ワシと折半という事で良ければな」
「ぜひ、おねが――じゃなくてっ!!」
危ねぇ危ねぇ……
危うく、使用人付き公認引きこもりと、高額財産分与に目が眩む所だったわ……
さすが、甘言で人を惑わす妖狐、玉藻前。侮れねぇ……
で、でもまあ、三十年後くらい――
年収一千万以上のイケメンと結婚。ラブラブ新婚生活の後一男一女に恵まれて、更にその子供達が手を離れたのをキッカケに熟年離婚したあとでなら考えてもいいけど。
『カ、カズサ……あまりにも突っ込み所が多過ぎて、何処から突っ込んでよいのか分かりません……』
「ふむ……とても、十五の小娘が抱く将来設計とは思えんのう」
私の描く未来予想図に、揃って難癖を付ける思金とタマモちゃん。
てか、揃って人の思考を読んでるんじゃないよっ!
でも……
帰る事なんて全く考えていなかったけど、帰れるとなったら私はどうするだろうか?
日本でタマモちゃんと対峙した時――いや、その前から、私は死ぬ事を覚悟していた。愛希が生きる世界も守れるのなら、それでいいと思い、全てを捨てて最後の戦いに挑んだのだ。
なら、未練が全くないのかと言われれば、そうでもない。
タマモちゃんじゃないけど、海賊王や小学生探偵VS黒の組織の最終回はやはり気になるし――
「やりかけの、淫らなゲームも、エンディング手前で止まっておるしのう」
「そうそう、ちょうどプレイ中に最後の出撃が――――――って、何でアンタがそんなこと知ってんのよっ!!」
突然、私しか知らないはずの重要機密を暴露され、思わず声を張り上げた。
「和沙の事は、よく千里眼で覗いておったかからのう。お主はワシら妖かしに対抗する者の筆頭じゃたのじゃ。当然であろう?」
「当然じゃないよっ、このストーカーギツネッ! プライバシーの侵害だしっ!!」
「だいたい……最後まで終わらんのは、エンディング直前の濡れ場で自慰などしてお――」
「ぎゃあああぁぁぁぁぁーーーーっ!!」
私は慌てて立ち上がり、とんでもない事を口走り始めたタマモちゃんの口を両手でガッチリと塞ぐ。
が、しかし……
慌てる風もなく、真っ赤に染まった私の顔を見上げ、ニヤリと笑うタマモちゃん。
『知っておるか? あの後、誠はアホ毛娘に頸を斬ら――』
「わざわざ念話を使ってまで、ネタバレするなーっ!」
物理的に口を塞いでも、このおしゃべりキツネを黙らせる事が出来ない事を知り、私は頬を膨らませながら再びベッドへと腰をおろした。
「そう睨むな……それに、ワシとて鬼ではないからのう。最後の戦は、お主の一人遊びが終わるのを待ってから出張ってやったのじゃぞ。礼くらい言ったらどうじゃ?」
「ぐぬぬ……それは余計なお気使い、どうもありがとうございました……」
「ふむふむ。素直な娘は嫌いではないぞ」
あまりの羞恥心に、怒るに怒れず奥歯を噛み締め、声を絞り出す私。
べ、別に、アンダなんかに好かれたくなんてないんだからねっ!
「『ツンデレ……』」
「ツンデレ言うなしっ! てか、声を揃えるなっ!」
もうやだ、この人たち……
揃って、人の思考を読んでくれちゃって……いや、二人とも人じゃないんけどさぁ……
「それはさておき、お主が一人遊んでおったかゲームな――」
「一人遊んでとか言うな。そして、それ以上その話題を続ける気なら、アンタを殺して私も死ぬよ」
もう、この諸悪の根源を滅せるのなら、この世界がどうなろうと知ったこっちゃないわ。喜んで、その生首抱えながらナイスなボートに乗ってやるわよ、ふふふ……
「まあ、ワシはやめても良いのじゃが……ただ、一つ気になる事があってのう」
「な、何よ、気になることって……?」
「ふむ……和沙よ。お主のパソコンに入っておる淫らなゲームのう――ちゃんと消して来たのか?」
「えっ……?」
「ワシが出張ってすぐにお主も来おったが……お主、ちゃんと身の周りの整理はしてきたのか?」
「………………」
「お主、先ほど死を覚悟して――などと考えておったろう? なればハードディスクの破壊とSNSのアカウト削除は、引きこもりとして最低限のマナーじゃぞ。いや、それだけじゃない。クローゼットに隠している、薄い男色本が入った大量のダンボールもそのままではないのか?」
「……………………」
「日の本の宮仕え――お役所仕事は無駄にキッチリしておるでのう。仮にもお主は、九尾の狐を退治した英雄じゃ。このまま行方が知れずに殉職と認定されれば、国を上げての大々的な葬儀に追悼式か行われるじゃろう。その時に行方不明で遺体がないとなれば、代わりにお主の遺品が棺に詰め込まれる事になる。棺一杯に詰め込まれた男色本に淫らなゲーム。更には、その様子がテレビで生中継――」
「いやあああぁぁぁぁぁああああぁぁ~~~~~~っ!!」
タマモちゃんの語る、あまりにリアルな状況分析に私は勢いよく立ち上がると、雄叫びを上げながら壁に何度も頭を叩きつけた。