第6章 逃げ込んだ先―― 01
「で? アンタの目的は何なの?」
クリスちゃん達との食事を終え、部屋へと戻って来た私。
ドカッとベッドへ腰をおろすと、招かれざる客にジト目を向けた。
「せっかちじゃのぉ……余裕のないオナゴは、男にモテんぞ」
「大きなお世話よっ、色ボケギツネッ!!」
そう、招かれざる客とは、言わずと知れた玉藻前。
私の罵声を軽く受け流し、艶っぽい唇に笑みを浮かべながら指をパチンっと鳴らした。
と同時に、一瞬だけ浮遊感に似た感覚に身体が包まれる……
「何したの?」
「ただの人除け、それと防音の結界じゃ」
「そう……じゃあ、ここで私がアナタを殺しても、誰にも気付かれないってワケね」
「お~おっ、怖い怖い」
私的には半分くらい本気の言葉だったけど、玉藻前は軽く聞き流しながら、肌蹴た着物から伸びる白い足を組み、備え付けの安っぽい椅子に腰をおろした。
あの後、日本に古くから伝わる伝統技『スライディング土下座』で、このキツネ女の分の食費と宿代を願い出た私。
無理を承知でのお願いだったけど、クリスチーナお嬢さまは快く了承してくれたのだった。
「後で絶対に取り立てて、クリスちゃんに返金してやるんだから……」
「ふっ、出世払いで払うてやるから、気長に待っておれ」
「ラスボスが何を言ってんのよ。出世も何も、日本じゃ魔物の頂点――魔王みたいなもんじゃない」
まあ、世の中にはファーストフードでバイトしている貧乏な魔王もいるけど。
「魔王のう……あれは、そんな良いものではないわ。あれはそう……神輿じゃな」
窓から外を眺め、漆黒の空に浮かぶ月を見つめながら独り言の様に話す玉藻前。
ただ、その悲しげな瞳に映るのは、夜空に浮かぶ月ではなくもっと違うモノ……その憂いに満ちた瞳はまるで、遠い故郷、そして遠い昔に思いを馳せている様に見えた。
「み、神輿って……どういう事……?」
「そのままの意味じゃ。ワシは担がれていただけ……元々、ワシは人間と争う気など無かったのじゃよ」
「はあぁあ~っ!?」
玉藻前から出た思いがけない言葉に、私は訝しげに声を上げた。
「そんなウソを信じる訳ないでしょう! だって、アンタの手下の妖怪に、どれだけの人間が殺されたと思っているのよっ!!」
「手下のう……では聞くが、その妖かし共がワシの手下で、ワシの命で動いていたと、何故言い切れる?」
「えっ……?」
「そも、彼奴らは、ワシが目覚める前から人を襲い始めたのではないか?」
「そ、それは……そうだけど……」
た、確かに……玉藻前の復活の予兆自体はかなり前から確認されていたけど、実際に復活が確認されたのは半年前だ。
しかし、妖怪や魔物が活発に人を襲い始めたのは、その一年以上前……
『では、魔の者が人を襲い出したのと、貴女の復活には何の因果関係も無いと言うのですか?』
ここまで、黙って話を聞いていた思金。ヘッドセット越しではなく直接、目の前にいる玉藻前へと問い掛けた。
「そうは言うておらん。だから、神輿として担がれたと言うておるのじゃ」
『なるほど……神輿ですか』
玉藻前の言葉に、なにやら納得している様子の思金。
って、理解出来てないのは、私だけ?
そんな私の様子に一つ肩を竦め、やれやれと言った感じで話を進めるキツネ女。
「人間共に虐げられ、住処をどんどんと奪われていった妖かしの者。そのような者の中で、いわゆるタカ派の者共がワシの眠りが近く覚める事を知り、一斉に蜂起したのじゃよ」
『霊都、東京の北北東――鬼門に当たる那須野の地で、千年ものあいだ力を蓄えていた傾国の妖怪、九尾の狐こと玉藻前。その蜂起の旗頭――神輿として、これほど最適な存在はいないでしょう』
「そして、ワシが目を覚ました時にはもう、人と妖かしの対立は手のつけられん様になっておった。それに、ワシとて妖かしの者。静かに座していておっても、討たれるのを待つだけじゃ。なれば、立つしかあるまい?」
つまり……妖怪達の蜂起は、玉藻前とは無関係……? いや、玉藻前の名前を勝手に使って、旗頭にしたって事……
「それならそうと言ってくれれば――」
「言ったとして、どうなる?」
私の言葉を遮って、鋭い視線を向けて来る玉藻前。
どうなるって……
「そ、そうすれば……む、無駄な戦いはしなくても済んだんじゃ……」
「はんっ……」
詰まらせながら出た私の言葉を、玉藻前は鼻で笑った。
「小娘よ……先ほどの酒場で、天然小娘共がした話を聞いても、まだ同じ事が言えのるか……?」
「うっ……」
先ほどの話――
あの後、このキツネさんを加えて、この国の情勢――特に交戦しているという、イーステリアの話を詳しく教えて貰った私達。
イーステリアと言う国は、玉藻前が予想した通り魔物の国らしい。
住民の殆どが亜人と呼ばれる人ならざる者。獣人やゴブリン、オークやリザードマンと言った種族で、それを統治しているのが魔族と呼ばれる強大な魔力を持つ者達だという。
「先ほども申したであろう? ヒトという種は、己と違う者、己よりも強い力を持つ者を容認し、受け入れる事の出来ぬ、臆病で傲慢な種族じゃ。この国の者が、自分達より強大な能力を持つもの共を攻め滅ぼしたいと思う様に、日の本の民も己より強大な能力を持つ妖かしを容認などはせんじゃろ?」
「そ、それは……」
「共存が出来ぬ以上、どちらかが滅ぶまで戦うか、弱き方が隠れて生きるしかあるまい……」
弱き方……? 弱い方は、人間の方なんじゃ……
そんな考えが頭を過る。
しかし、玉藻前は、そんな考えを見透かした様に苦笑いを浮かべた。
「ただ、厄介な事にヒトと言う種は、個として脆弱であっても群としては強大じゃ。そして、小賢しく知恵も回る。こちらの力がいくら強大でも、科学でそれを上回るものを作りよる」
私の首に掛かるペンダント――思金に目をやって、肩を竦める玉藻前。
確かに思金なしでは、人として飛び抜けた霊力を持つ私でも、魔力の大半を失っている状態の彼女にすら対抗する事が出来ないだろう。
「じゃからワシらは、古より闇に生きる事を選んだのじゃ……」
玉藻前の、独り言の様な呟き。その呟きに、何も返せる言葉が見つからず、部屋中が静寂に包まれる。
そんな、重苦しい空気の中。玉藻前のため息みたいな、ゆっくりと息をはく音が、とても大きく聞こえて来た。