第5章 再会 03
な、なんで……?
いや、予感はあった。あったけど、あえて考えないようにしていた……逃避していた現実。
そう、不敵に笑う見覚えのある妖艶な女性は、私と一瞬に次元の歪みに飲まれた傾国の美女。
「た、玉藻……の……前……」
私は掠れた声を絞り出す。
その声に、玉藻前は更に口角を釣り上げる。その切れ長の瞳に見据えられ、蛇に睨まれたカエルの様に身じろぎも出来ず立ちすくむ私……
『良い所で逢うたな、小娘よ。おかげで、無益な殺生をせずに済んだわ』
ゆっくりとした足取りで、コチラへと歩みを進める着崩した白い着物の玉藻前。
鼓膜ではなく、頭の中に直接届く妖艶な声……
その、微笑を崩さずに発した念話の物騒なワードと、ついでに大きく揺れる二つの塊の不快さに、私は咄嗟にペンダントを――
『良いのか? ここでワシとお主が殺り合えばどうなるか……少なくとも、後ろの二人は確実に死ぬぞ』
「くっ……」
チラッと後ろを振り返る私。
キョトンとした顔で私を見上げる女騎士さまと、愛希似の女の子。出逢ってまだ数時間しか経ってないけど、ぼっちの私を友達と呼んでくれた女の子……
簡単に見捨てるわけにはいかない。
いえ、彼女達だけじゃない。もし、私と玉藻前が本気で戦えば、こんなちっぽけな酒場など簡単に吹き飛んでしまう。
どうすれば……
『そう警戒するでない。そちらが仕掛けぬのであれば、こちらに争う意志はない。何なら、約束もしてやろう』
軽い約束ぅ。
キツネ妖怪さんの、そんな戯言を信じるとでも思ってるの?
『信じる信じんは自由じゃ。確かに妖かしは、人を騙すし嘘もつく。キツネであれば尚の事。じゃがな、妖かしは契った約束を破りはせん。古今東西、平気で約束を破るのは人間だけじゃ』
うっ……た、確かに……
虚言で人を惑わせる西洋の悪魔さんなんかも、契った契約は絶対に守るって授業で習った気がする。
『それに正直な話し、今のワシは力の大半を失っておる。正面切ってお主と戦った所で、ワシに勝ち目はない』
ホ、ホントに……?
すでに、目前まで迫りつつある、肩と谷間を露わにした白い着物へ訝しげな視線を向ける私。
『はい。確かに玉藻前の魔力は、前回に対峙した時より80%はダウンしています』
思金のサーチ報告。そう言われると、前回対峙した時ほどの圧倒的な威圧感はない様な気も――
『まっ、それでも、この酒場を消し炭にするくらいは出来るがのう』
うっ……
でも確かに、20%もあれば、この酒場くらいなら灰燼に帰すくらいは出来そう……
じ、じゃあ、何しに来たの? 正面切って戦えないなら、逃げるなり、姿を隠すなりするもんじゃないの、ふつー?
『じゃから、言うたであろう。無益な殺生をせん為じゃ』
そ、それって……?
言葉の意味が理解出来ない私に、玉藻前は一度立ち止まると自分が座っていた席へと目を向けた。
なん……だと……
そのテーブルの上の惨状に、目を見開き絶句する私……
『実はのう。たらふく食ったは良いが、金子の持ち合わせがないのじゃ』
そう、玉藻前のいたテーブルの上には、かなりハイペースで空のお皿を積み上げていた私の、軽く倍を超えるお皿が積み上げていたのだ。
『とりあえず、店の者を殺して逃げるつもりでおったが、お主のおかげで無益な殺生をせずに済んだ。ここの支払、お主に任せたぞ』
なんでやねぇぇぇ~~~んっ!!
心の中で盛大なツッコミを入れる私。
しかし、私のそんなツッコミなど華麗にスルーして、正に眼前まで迫り寄る玉藻前。
「カ、カズサさん? そちらの方は……?」
「え、え~~と……なんと言いますか、その……」
背後から聞こえるクリスちゃんの戸惑う様な問いに、私は言葉を詰まらせる。
『ふむ、カズサ……そう言えばお主、和沙とか言う名であったな――ふふっ』
だ、たったらな――うぷっ!?
「おおっ! 和沙よ、無事であったか? 会えてホンに良かったぞ」
ぎゃあああぁぁぁぁぁ~~~っ!! な、生乳がぁ~っ! 生乳がぁぁぁ~~っ!!
身長差的に、ちょうど目の前にあった不快で巨大な脂肪の塊の間に出来た谷間へ、すっぽりと顔を挟まれて抱きしめられる私。
しかも、半乳丸出しに着物を着崩しているものだから、フニフニに柔らかい素肌の谷間へと埋もれてしまっている。
う、うううぅぅ……サ、SAN値がぁ……SAN値がゴリゴリと削られて行くぅぅぅ~……
てか、男の子って、何でこんなのが好きなの?
こんな無駄な脂肪の塊に挟まれたいとかバカじゃないのっ! ホントバカッ! とゆーかバカッ!!
「え、え~と……失礼ですが、貴女は……?」
「おおっ、これは大変にお見苦しい所をお見せしてしまいました……」
谷間に私を挟んだまま、席を立ったティアナさんの方へと向き直る玉藻前。
てゆーか、お見苦しいと言うか、息苦しい……
そんな、窒息死寸前の私を谷間にぶら下げたまま、玉藻前はクリスちゃん達に向けて一つ頭を下げた。
「わたくしは和沙の従姉、タマモと申します」
「まあ、カズサさんのご親族の方ですの♪」
「おおっ!? これはご丁寧な挨拶、痛み入ります」
騙されないでぇ~っ! そして、もっと人を疑う事を覚えてぇぇ~~っ!!
って、何でそんな嘘ついてんのよっ、この嘘つきキツネッ!?
『何故とは異な事を申す。昨日の今日じゃ、お主が文無しなのは百も承知』
文無し言うなぁ! 間違ってないけどっ!!
『その文無しが飯を食うておるのじゃ。なれば、金子の出処はその二人であろう? 媚びを売っておいて損はあるまい』
くっ……どこまでも計算高い女狐さんめ……
『キツネは人を騙してなんぼじゃ。ほれ、この場を修羅場にしたくはあるまい? なればやる事は分かっておろう?』
忌々しい、巨乳キツネのπ固めから開放された私は、若干頬を引きつらせた笑顔でスポンサーたる二人へと振り返った。
「え、え~と……こちら、一緒に船に乗っていて、竜巻に襲われた時にはぐれた、従姉妹の玉藻のま――タ、タマモちゃんです」
「よしなに」
「こちらこそ、よろしくお願い致しますわ」
「カズサ殿には、危ない所を助けて頂きました」
私の紹介に、揃って優雅に頭を下げる三人。
な、なんだろう……この三人の洗練された様な立ち振る舞いに、なにやら疎外感があるぞ……
まあ、お貴族さまに騎士さまの二人は言うに及ばす、このキツネ女も元は朝廷に仕えていた女官。更には、鳥羽上皇に寵愛されていた訳だし。
やはり庶民の私とは滲み出るモノが違のか、ちくせう……
「でも、カズサさん。はぐれていたご親族の方に巡り合えて、本当に良かったですわね」
「ソウデスネ……(棒)」
自分の事の様に喜ぶクリスちゃんに若干の後ろめたさを感じつつも、ちょー棒読みで相槌を打つ私。
「あら、嬉しくないのですか……?」
「い、いや、そんな事は――」
「照れているのですよ。この子は、昔から私を姉の様に慕い、懐いておりましたから」
後ろからハグという、思春期女子憧れのシチュエーションで適当な事をほざきやがるキツネ女。
てゆーか、年増女にハグされても、全然嬉しくねぇーしっ! 後頭部に『当ててんのよ』的に当たっている脂肪の塊が不快だしっ! ってか、当てつけかっ!? 当たるほどの高さもなければ、当てる男もいない私にケンカ売ってんのかっ!? いつでも買うったんぞ、ちくしょーっ!!
『ほんに口の悪い娘じゃのう……』
『ウチのカズサが、ホントに申し訳ありません……』
って、思金っ!! アンタはどっちの味方よっ!?
『カズサの味方であるから、カズサに代わって謝罪をしているのですが』
アンタは私のオカンかっ!?
『おい、小娘……逆ギレはその辺にしておけ。話が進まん』
誰が逆ギレして――うっ!?
私達だけにしか聞こえない念話。穏やかな口調で話す玉藻前。しかし、その口調とは裏腹に、背後から回した手に魔力をにじませる玉藻前……
私だけならAWSを起動しなくても、霊力を防御に集中すれば充分にやり過ごせるだろう。しかし、目の前の二人は――
くっ……後で覚えてなさいよ。
観念した私は、正面に立つクリスちゃんを真顔で見据えた。
「クリスちゃんっ!!」
「は、はいっ!?」
突然、真剣な表情で名前を呼ばれ、目を丸くするクリスちゃん。
そんなスポンサーたるお嬢さまに向かって、私は古より日本に伝わる伝統技を披露した。