プロローグ
「ふふふ……もう、終わりかえ、人間?」
栃木県那須郡那須町――
かつて中国、インド、そして日本と渡り歩いた妖怪『白面金毛九尾の狐』の終焉の地。
赤く染まった月明かりを受け、怪しく浮かび上がる大岩を前に横たわる私……
締め縄が斬られ、真っ二つに割れた大岩――九尾の狐を封じた岩と言われる『殺生石』である。
「ならば、幕を引くとしようかのう……いや、幕開けか? 人間共の歴史が終焉を迎え、ワシら妖かし歴史の始まるのじゃからな」
鼻を突く硫黄の匂いと、寒気がする程の濃密な魔力。
そして、うつ伏せに倒れる私の虚ろな目に映る、着崩した白い着物を纏う綺麗なお姉さん……
黒い艷やかな髪を靡かせ、切れ長の瞳で私を見据える美女。
そう、かつて鳥羽上皇から寵愛を受け、この地に封じられた九尾の狐。およそ一千年の眠りから目覚めた玉藻前である。
足元に転がる折れた御神刀の刃を蹴り飛ばし、ゆっくりと近づいて来る玉藻前……
『玉藻前、依然健在っ! 和沙ちゃんのバイタルが、どんどん低下していきますっ!』
『常広くんっ! 作戦は失敗だっ、すぐに撤退しろっ!』
『和沙ぁーっ! 和沙ぁぁーっ!! 起きてよっ、和沙ぁぁぁぁーーーっ!!』
ヘッドセットから、聞こえるノイズ混じり声。
オペレーターの麻沙美さんの声……安倍司令の声……そして、親友の三浦愛希の声……
ただ、必死に叫ぶその声が、とても遠くに聞こえてくる……
ゴメン、愛希……やっぱ、私みたいな逃げてばかりだった臆病者に、世界を救うなんて無理だったよ……
そう、私みたいな不登校の引きこもりに、世界を救う魔法少女なんて荷が重過ぎたのだ。
「ハハハ……どこで選択肢をまちがえたんだろ……? セーブポイントからやり直したいわ……」
『カズサ。ゲームじゃないのですから、人の生はやり直しなど出来ませんよ』
勾玉の形をしたペンダントから聞こえて来る、機械的な女性の声に苦笑いを浮かべる私。
「分かってるよ、思金……でも、愚痴くらい言わせてよ……私のバッド――いや、デッドエンドは回避出来そうにないし……そうなれば、あのお姉さんを止める手はなくなる訳だし……」
『前半には条件付きで同意。しかし、後半は同意しかねます』
「え……?」
思慮の知有る神『常世思金神』。その能力を宿す深緑の勾玉から出た否定の言葉。
その言葉に、私は眉を顰めた。
「あのお姉さんを止める手が、まだあるの……?」
『はい。先ほど受けた攻撃で、玉藻前を守るフィールドの魔力構成の解析が完了しました。草薙の剣に蓄えられた霊力を弾き返すほど強力な、玉藻前の魔力フィールド。そこへ、全くの同質にして同等量の魔力を生成し衝突させれば、次元に歪みが生じる程の衝撃が発生します』
「次元に……歪み……?」
『はい。最強の楯と最強の矛の衝突というパラドクスによる次元の歪み。僅か数秒ですが、その歪みはブラックホール並の吸引力で半径数百メートルの物質全てを飲み込みます。歪みの中心にいる玉藻前が回避する事はまず不可能』
「という事は、最強の矛をぶつけた私も回避不可能って事ね……」
『はい。カズサも回避出来る可能性は〇%です』
「はっきりと言ってくれるわ……」
まあ、AIみたいな存在の思金に、空気を読めと言うのは無理な相談なのだろう。
とはいえ、このまま寝ていても殺されるのを待つだけだし……
まあ、私が殺されるという事実に関して……死ぬという現実に関して、私は自身は正直なんの感慨もない。
でも愛希には……愛希だけには、生きていて欲しい。そして、幸せになって欲しい……
「とは言ってもね……」
私はうつ伏せのまま、右手に握る刃の折れた剣に目を向けた。
人類の切り札――『草薙の剣』。
三種の神器として、長年の信仰により蓄えられた霊力を持つ御神刀。
玉藻前へ対抗する手段として託された刀。しかし、僅かに力およばす、折れてしまった刀……
「草薙の剣の蓄えた霊力は使い切ったし、私の霊力も限界に近いよ……」
この状況で、同質の魔力はともかく、同等の魔力量――次元に歪みを開けるだけの霊力が何処にあるというのだろうか?
『蓄えた霊力がないのであれば、神刀自体の霊力を使えば問題ありません』
「御神刀の……?」
『はい。草薙の剣は、神代の時代より伝わる神器。その本体を元素分解すれば霊力量的に玉藻前の魔力と拮抗することが可能。そして、その霊力をAWSへと吸収し、玉藻前の魔力と同質魔力へと変換』
「なるほど……あとはその魔力で、あのお姉さんを守る魔力フィールドをぶん殴ってやればいいと……」
私は口元に笑みを浮かべながら、なけなしの気力を振り絞り、言う事を聞かない両足へと喝を入れた。
「ほおう。まだ立ち上がるか? 勝ち目などないと分かっておろう?」
妖艶な微笑み――絶対的な勝利を確信した笑顔で、歩みを止める玉藻前。
ヘッドセットからは撤退を指示する司令達の声、そして愛希の私を呼ぶ声が聞こえて来る。
けど……
「ごめんね……」
私は、ふらつきながらもどうにか立ち上がると、本部との通信をカットした。
さて、どこをぶん殴ってやろうか……?
個人的には、あの『これでもかっ!』と谷間を見せつけてくれる、不快な二つの肉塊をぶん殴ってやりたいけど――
『カズサ――誠に言い出しにくいのですが……作戦実行の前に一つ良いですか?』
「な、なに、思金……?」
AIに近い存在の思金にしては、歯切れの悪い口調。
も、もしかして、この作戦に何か致命的な――
『先のダメージでAWSが破損し、カズサの左乳房が丸出しになってます』
「そう言う事は、早く言えぇぇぇ~っ!!」
私は慌てて胸を隠しながら、右手で胸のペンダント――思金を掴んだ。
「AWS再構築っ、急々如律令っ!」
ウェア、そしてプロテクターの破損部が、青白い発光と共に再構築され修復されて行く。
AWS――オーラウェアシステム。
思金を介し、霊力を物質変換した戦闘用のウェアを装着するシステムであって、間違っても某大手通販会社のウェブサービスではない。
とはいえ、見た目でだけで言うと戦闘服とは完全な名ばかりで、実際は開発者であるDr杉田さんの趣味が全開した、妙に露出の高い衣装。
いわゆる、昨今の戦う魔法少女の様な戦闘ウェアなのだ……
「そう言えば、あの変態セクハラ博士……いつか思い切りぶん殴ってやろうと、割りと本気で思っていたのになぁ……」
ただそれも、この期に及んでは夢のまた夢……
「まっ、代わりと言っては何だけど――あの目障りな二つの肉塊を思い切りぶん殴ってあげましょうか……」
私は、正面に立つ玉藻前を見据え、刃の折れた草薙の剣を突き出した。
ゆっくりと光の粒子と化していく草薙の剣。その粒子が両肩にある真紅の水晶に吸収され、思金を通じ魔力へと変換、私の右手へと収束して行く。
「ところで、思金。さっき、私のデッドエンドは条件付きで同意って言ってよね? それってどういう意味?」
『カズサの死が、必ずしも確定しているという訳では無いという意味です』
「え?」
『カズサが次元の歪みに飲まれるのは確定事項。しかし、その出口がカズサの生命を維持出来る環境である可能性もあるという事です』
次元の歪みの先にある世界。こことは違う世界……
なるほど。いわゆる、かの有名な『異世界転生』ってやつね。
「ちなみに、その可能性ってどのくらいあるの?」
『0.000000001%』
「どこの人型決戦兵器の起動確率よ、それは……」
私は、そのあまりにも絶望的な数字に苦笑いを浮かべた。
とはいえ、この世界に大した未練がある訳じゃない。強いて上げれば、海賊王になる話と小学生探偵VS黒の組織の最終回が見れない事くらいだ。
なら、異世界に行って、人生をやり直すというのも面白いかもしれないけど――
「まあ、行けたら超ラッキーという事で……じゃあ、やるよ、思金っ!」
「御意」
「うおりゃぁぁぁぁああぁぁーーーっ!!」
掛け声と共に、数十メートルの距離を一足飛びにして一気に間合いを詰める私。
そして、未だ勝利を確信し、見下す様な笑みを浮かべて立つお姉さん目掛けて渾身の一撃を叩き込んだ。