第二十章 エピローグ? 01
昨夜の雪が嘘の様に晴れ渡り、晴天の中で迎えた『第一回、ラフェスタ桜祭り』。
タイムスケジュールは、正午にエルフ達を中心とした精霊使いによる桜の木の一斉開花。それを合図として桜並木を一般開放、B級グルメコンテストの開幕となる。
その開幕を目前に控え、一般参加者の皆様方は河川敷に集まって、実行委員会長であるシルビアのありがたいお話を聞きながら祭りが始まるのを待っている。
対するコンテスト参加者達も、屋台の用意を準備万端整えて、お客さんが来るのを今か今かと待ち構えている状況だ。
「凄い人数ですねぇ。わたし、少し緊張してきました……」
屋台を挟んだ正面。緊張に顔を強張らせて立つ、白い和ゴス服を着たステラ。
ラーシュアとのタッグでクレープの屋台を出す彼女は、桜の開花をさせるエルフ達の班長でもある。
当初はステラ一人で行うはずだった、精霊魔術を使う桜の開花。
しかし、そんな大掛かりな魔術のあとに屋台をやるのでは負担になるだろうと、レビンが近隣の街から精霊魔術を使えるエルフ達を募ってくれたのだ。
これで、ステラの負担は大幅に軽減されるだろう。
正直、あのイケメンの手腕と機転には頭が下がる。ホント、これで幼少趣味さえなければ……
そんな事を思いながら、オレは苦笑いを浮べた。
「でも……コロナちゃんは、残念でしたね。あんなに準備を頑張っていたのに……」
ステラの独り言みたいな呟き……
オレはその言葉に、苦笑いを浮かべていた頬を一瞬だけひきつらせる……が、それでも平静を装い、何事もない様に言葉を返した。
「家庭の事情だ。仕方ないさ」
そう、家庭の事情……
彼女には――いや、彼女達には真実を伏せ、家庭の事情。『コロナの母親が急病で倒れ、急遽ウェーテリードに帰った』と説明していた。
今回の一件、決して耳に入れていけないのは、シルビアの耳である。もし、真実を知れば、彼女は必要以上に責任を感じてしまうだろう。
しかし、シルビアがコロナの死を背負う必要などない。その死を背負うのは、オレ一人で充分だ。
今回の件は、全面的にオレの判断ミスなのだから……
とはいえ、シルビアにだけ真実を伏せると言う訳には行かない。
ステラは性格上、嘘や隠し事が出来るとは思えんし、近衛騎士であるトレノっちが、主を騙すなどという事は出来ないだろう。
結局、昨日の関係者以外には『家庭の事情』で、押し通す事にしたのだ。
正直、後ろめたさや罪悪感はあるけど仕方ない……
「ところで、小姑さん――」
後ろめたさに罪悪感……
オレのそんな心情を察してか? 隣にいたアルトさんが話題を変える様に、ステラへと声をかけた。
「だから、小姑と書いてステラと読まないで下さいっ!」
「いえ、そんな事より……そろそろ時間なのではないですか?」
「えっ……? ああっ、そうでしたっ!」
屋台の準備を終え、エルフ開花班へ向かう途中で立ち寄ったステラ。
その事をすっかりと忘れ、のんびりと話し込んでしまっていたステラは、慌てて踵を返す。
「それじゃあ、行ってきますね」
「おう、頑張ってな」
少しずつ小さくなって行く、小走りで走るステラの背中を見送り、オレは隣に立つアルトさんへと目を向けた。
「ありがとうございました、アルトさん」
「はてさて。なんの事やら……?」
細やかな気遣いを見せつつも、とぼける様に微笑み、大人の女の余裕を見せるアルトさん。
その柔らかな笑みへ釣られる様に、オレも口元をほころばせた。
「まあ、それでも……感謝の気持ちがあると言うのでしたら、一つお願いを聞いて下さいまし」
「お願い……ですか?」
大人の笑みから眉尻を少し下げ、少々困り顔に変わったアルトさんに向けて、オレは首を傾げる。
「はい……お願いですから、ご主人様はご自身をもう少しご自愛下さいませ」
「えっ……?」
「今朝方も、血の涙を流して帰って来た姿を見た時には、正直、肝を冷やしました……伯爵のお屋敷で、さぞ辛い事があったのでしょうし、きっとご主人様も思い出したくなどないでしょう。なので、何があったかなど聞きはしませんし詮索も致しません。しかし、お身体にだけは、気を付けて下さいまし」
「アハハハハハ……」
アルトさんの言葉に、オレは引きつった笑いを浮かべた。
あの血の涙は名誉の負傷ではあるけど、功績というのはひけらかす物じゃないからな。詮索されないのは、大変にありがたい。
そう、名誉の負傷……
あの流した血は、王国巨乳騎士さまの妖艶かつ扇情的な寝姿という強大な誘惑と戦い、そして紙一重で勝利したその代償。
誰一人幸せになれず、後には深い悲しみしか残らない凄惨な戦いの代償である……
「笑い事ではありませんっ! ここはもう、ニホンという国でもなければ、ご主人様は執行人でもないのです。ご自身の命を軽んじるのは止めて下さい」
「いやいやいや、軽んじてないって。生き汚さに関しては、あの三バカに負けてないし、オレは生き延びる為なら土下座だってするし靴だって舐める男だぞ」
オレの反論に、ジト目で返すアルトさん。
あっ、知ってる。その目は、オレの言った事をまったく信じてない目だ。
その疑いの眼差しからそっと視線を外すオレに、アルトさんは大きなため息をついた。
そして――
「万山重からず、君命重し。一髪軽からず、我が命軽し……」
アルトさんの口から出だ詩に、オレは思い切り顔を顰めた。
子供の頃から幾百……いや、幾千回と説かれた詩……
執行人の心構えであり、一条橋家の家訓とも言える詩だ。
いったい、誰が――
などと考えるまでもないな。まったく、あのお喋りロリっ娘が……
いつか、あの分不相応な黒ヒモパンを全部、クマさんのプリントパンツにすり替えてやる。そして、すり替えたヒモパンは、どこぞの伯爵公子に売り付けて家計の足しにしてやるからな。覚悟しておけっ!
そんな、壮大なリベンジ計画を立てるオレに向けるアルトさんのジト目が、次第に真剣な眼差しへと変わっていった。
「幼少の頃より、その様に説かれて来たご主人様へ、わたし如きの言葉が届かないのは、仕方のない事なのかもしれませんが……」
「いやいや! 『如き』って……アルトさんの言葉には含蓄もあるし、元宮廷魔道士さまの貴重なご意見として、ちゃんと聞いて……」
「………………」
「…………ますよ」
まったく信じてない目、再び……
まるで、ヘビに睨まれたカエルの如く溢れた冷や汗が、頬を伝わり地面に黒い染みを作って行く。
そんなオレ達の周りでは、屋台の準備をしていた料理人達がざわざわとざわめき出していた。
どうやら、ステラ達エルフ組みが精霊魔術の詠唱に入った様だ。
集まった者達の目が、期待と興奮で桜の木々へと注がれる中、まるで隔離された別空間の中にいる様なオレ達。
アルトさんは、ゆっくりと右手を上げて行くと、その人差し指をオレの鼻先へと突き付けた。
「しかし、言葉が届かないのであれば、仕方ありません。ここは、元宮廷魔道士らしく魔法を使いましょう」
「ま、魔法……?」
「はい、ご主人様の命が、少しでも重くなる様な魔法の言葉です」
そんな魔法があるのか? スゲーな、さすが異世界だ。
でも……言葉? 呪文じゃなくて?
言葉って事は、日本で言うところの『言霊』みたいなもんかな? でも、アルトさんの専門は、四元素を操る四大元素魔法だったはずじゃ……
首を傾げるオレを前に、アルトさんは大きく息を吸い込むと、真剣な眼差しでオレの目を見据えた。
「我が祖国ウェーテリードと親愛なる父母の名において、ここに誓おう。もし、汝の命が失われたのなら、我はその理由の如何を問わず、即座にその跡を追う事を――」
なっ……!?
アルトさんの発した言葉……その魔法の言葉に、オレは目を見開き言葉を失った。
一斉に咲き始める桜の花。湧き上がる歓声と拍手。開会を宣言するシルビアのよく通る声。晩秋から初冬に差し掛かる中で起きた春の一コマ。
そして、見開いた目に映る、柔らかで慈愛に満ちた笑顔……
オレは、目に映る全てのモノが、まるで別世界での出来事のであるかの様に呆然と立ち竦んだ。
「生き恥を晒す、敗軍の将のちっぽけな命ではありますが、これでご主人様の命が少しでも重くなれば幸いです」
一気に視界が霞んだ……
身じろぎも出来ずに立ち竦んでいたオレの頬を、今度は冷や汗ではなく、溢れた涙が伝っては落ちて行く。
「あらあら……」
桜の花びらが舞い散る中、アルトさんは棒立ちに立つオレの手を掴むと、自分の方へそっと引き寄せた。
「わたしのご主人様たる人が、人前でやすやすと涙など見せないで下さいな」
オレの涙を隠す様に、その大きな胸へとオレの顔を抱え込むと、そっと頭を撫でるアルトさん。
「泣きたい時には、いつでも胸をお貸しします。ご主人様に命を救われたあの日より、わたしの身も心もご主人様の物なのですから……」
コロナを失った悲しみ。人に必要とされる喜び。頭を撫でる優しい手のやすらぎ……
様々な感情が湧き上がり、せめぎ合い、そしてとめどなく流れる涙。
自分自身でももう、この涙がどの感情から流れているのかすらも分からなくなっていた。
「しかし、ご主人様。わたしは、こう見えて欲深い人間。この世にまだ未練がたらたらですので――」
「ああ、分かってる。アルトさんは、絶対に早死させないよ」
アルトさん言葉へ、少々被り気味に返事を返すオレ。
頬に感じる柔な感触。そして、全身を包む様なやすらぎ……
このやすらぎを守る為なら、オレは何だってするだろう。
潔さのない無様な死に際を、あれほど見苦しいと嫌悪していたはずなのに、今のオレはこの人を生かす為なら、どんなに無様で見苦しい行為も厭わなと思っていた。
そう……アルトさんの魔法の言葉で、オレの命は信じられないくらい重くなっているのだ。
「そう願いたいものです。せめて、ご主人様との間に子を成し、その子が独り立ちするまでは」
「ハハハ……それは、気の長い話だな……」
「そんな事はありませんよ。時が経つのは、年をとると共に早くなるもの。それに、子を成すだけなら今夜にでも――」
「って、コラーッ!! そこは何をしてるかぁーっ!!」
みんなの目が満開の桜に向けられる中、完全に二人だけの世界を形成していたオレとアルトさん。
しかし、その『何人にも侵されざる聖なる領域』をやすやすと引き裂く怒声が、オレ達の耳を劈いた。