第十九章 事後処理 02
「それに今回の件――旦那様は、間違いなく依頼を取り下げるでしょう。暗殺組織とは依頼を受け、報酬を得、その上で初めて動くモノです。私怨や私情で動いていては、組織が成り立ちません。ましてや――」
セレナは、そこで一度言葉を区切ると半歩ほど横にズレて、窓の外へと目を向けた。
「シズト様は首領の一人を手玉に取ったばかりか、先の一件ではウェーテリードの敗残兵を、ラーシュア様とたった二人で制圧した程の手練。更には、そのシズト様の能力を危惧した王室が、第四王女殿下と公爵家のご令嬢を輿入れさせてでも懐柔しようとする程のお方……その様な方を無報酬で敵に回す愚行、組織として確立しているアイサイツが行う訳がありません」
不敵な笑みの入り混じった笑顔。
オレにではなく、まるで窓の外へと話す様なセレナ――
いや、事実そうなのだろう。
アイサイツ、そして伯爵ですら知らなかったオレの正体。その情報を与える事によって、オレを敵に回す事のリスクを知らせ、アイサイツに警告をしているのだ。
「仮にもアイサイツの諜報役。声は届かずとも、唇を読む事くらいは出来るでしょう」
頬を綻ばせ、いたずらっぽい目でオレの方に視線を送るセレナ。
ただ、外の諜報員には声が届かなくても、声が届く所にいた伯爵さまは、顔を青ざめさせてるけどな。
「さてっ。あとは、夜が開けて皆様が目を覚ます前に、この惨状をどうにか致しませんと……」
「…………お、お任せ致します」
セレナの暗に何かを訴える様な目から、そっと視線を逸らすオレ。
しかし、セレナはその逸した先へ素早く回り込むと、逃さんとばかりに身体を貼り付かせ、上目遣いでジト目を向けて来る。
こうなって来ると、『暗に何か』ではなく『明確に手伝って行け』と言う意図がひしひしと伝わって来るな……
「す、すまん……厨房の清掃というなら手伝うのもやぶさかではないのだが――」
肘の辺り伝わる、二つの柔らかな膨らみから離れるのは断腸の思いであるが、オレは再度視線を逸らしながら半歩ほど後ずさった。
「拙者のいた内調と言う組織は、役割分担が無駄にキッチリしておってな、後始末の方は全くの素人なのでござるよ、セレナ氏」
「何なのですか、その口調は?」
ため息混じりに、あきれ気味な声で問うセレナから視線を逸したまま、更にもう半歩ほど後ずさるオレ。
「拙者達の前身である諜報、暗殺組織が使っていた口調でござるよ。にんともかんとも……」
忍者と陰陽師――
全く別物と思われがちであるが、忍者が使う忍術というは九字護身法を始め、密教や陰陽道を源流としたものも多い。
また、逆に一条橋家みたく、陰陽師でありながら忍者の様に諜報だ暗殺だと暗躍している家系もある。
まっ、それは少々レアケースであるけど……
と、そんな事を考えながら、ジッと審判を待っていたオレの耳に届いたのは、セレナ最高裁裁判長の大きなため息――
「分かりました……一つ貸しですよ」
「ほっ……」
そして下された、執行猶予付きの温情判決。
ホッと胸をなでおろすオレを尻目に、セレナはスタスタと執務室へと足を踏み入れて行った。
「旦那様、お召し物を洗濯致しますので脱いで下さいまし。それと湯浴みの準備も出来ていますゆえ、早く入浴をなさって下さい」
執務室から聞こえるセレナの声を背に、玄関に向かって歩き始めるオレ。
さて、もうすぐ夜明け。そして日が登れば、桜祭りだ。
今から急いで帰れば、少しくらいは仮眠できるだろう。睡眠不足は思考と判断力を鈍らせる。
B級グルメコンテストという戦場に於いて、料理人は正にいくさ人。
そして、いくさ人が戦場へ赴く以上、身命を賭して戦うのが礼儀だ。
その為にも体調を万全とすべく、少しでも仮眠を――
「そうそう、シズト様。スペリント嬢のお部屋は、西棟二階の一番手前のお部屋でございます」
――――えっ?
執務室からひょっこりと顔を出したセレナ。その彼女からもたらされた最高機密に、思わず立ち止まって振り返るオレ――
って、いやいやいやいやっ! 今はそんな事をしている場合ではないっ!
体調を万全とすべく、少しでも仮眠を――
「スペリント嬢が寝衣になさっている浴衣とは、シズト様の国のモノなのですよね? 見廻りでお部屋を覗かせて頂きましたが、浴衣で就寝なされているスペリント嬢のお姿は中々に妖艶で扇情的でございました」
よ、妖艶で扇情的……だと?
後ろ髪が引かれる思いを断ち切り、再びロビーへと足を進めようとしたオレ。
しかし、そんなオレの後ろ髪を、セレナが日本最速新幹線E5系『はやぶさ』並み馬力と速度で再び引っぱり直す。
ご、ごくり……
そ、そっか……トレノっちは、浴衣で寝てるのか……
浴衣といえば思い起こすのは、オレの人生で正にトップクラスのラッキースケベハプニング。
目を閉じれば昨日の事の様に思い浮かぶ、桃源郷の如き光景。肌蹴た浴衣から飛び出した二つの大きな山脈と、そして決して見えてはいけない――
って、そうじゃなくてぇぇぇーーっ!!
「クスッ、シズト様ぁ~。これで貸し二つ、でございます」
からかう様な笑みを浮べながら、執務室へと引っ込むセレナ。
ふざけるなっ! これ以上、借りなどを作ってたまるかっ!!
いくら祭りの余興とはいえ、料理に対しては真摯な気持ちで臨むのが、料理人としての心構え。
しかるに今は、体調を万全とすべく、少しでも仮眠を――
って、勝手に階段を登って二階に行くなっ、オレの足っ! オレは帰るのだっ!
帰って、仮眠をっ! 仮眠をっ!! 仮眠を~~~~っ!!
「あっ! それとシズト様。スペリント嬢は薬で眠っておりますゆえ、夜明けまでは少々揉んだりさすったりしたくらいで目を覚ます事はありませんよ」
やめろぉ~! これ以上、オレのピュアな心を惑わせるなぁぁぁぁぁ~~~~っ!!