第十八章 決着 03
「な、何を……飲ませたのだ……?」
どうにか乱れた呼吸を調え、涙とヨダレでクシャクシャになった顔を上げる伯爵。
「何って――」
懐から先程の呪符と同じ物を五枚程取り出すと、膝を着く伯爵の横を素通り。そのまます部屋の中央へ――抱き首で息絶えるじいさんの元へと足を向けた。
「これと同じ物だよ……急々如律令」
そう言って、オレはじいさんの上へと呪符を落として行く。
青白い小さな発光と共に、ヒラヒラと舞い落ちる呪符――
いや、呪符には違いないが、正確には呪符ではなく式札。式神を封じ込めた札である。
その式札がじいさんの身体に触れた瞬間。小さな発光が、青白く燃える炎の様に輝きながら形を変えていった。
「な……なんだ、それは……?」
背後から聞こえる、呟く様な伯爵の声。
そして、その視線の先――じいさんの身体へまとわり着く様に現れたのは、ソフトボールより一回り大きい程度の小鬼達。
目がギョロっと大きく、皮と骨だけの痩せこけたドクロみたいな顔と痩せこけた手足。反対に、腹部だけは大きく張り出しており、まるで飢餓状態の子供の様な姿。
そして、大きく裂けた口から発するのは『ひもじい~ひもじい~』という、地獄の底から呻く様な声……
伯爵は初めて見るその生物に目を見張り、不気味な姿に顔を青ざめさせる。
「コイツらは餓鬼って言ってな。どんなに食べても決して満たされる事のない飢えと渇きに苦しみながら、常に食べ物を求めて彷徨い迷い歩き、時には仲間内で殺し合って共食いし合う地獄――餓鬼道と呼ばれる地獄の亡者達だ」
オレの言葉と重なる様に、肉を食い千切り、咀嚼し、血を啜る音が耳に届く。
人の身体が子鬼達に食われて行くという凄惨な光景――
正に茫然自失といった感じで、身じろぎすらも出来ずに固まっている伯爵。身体の痛みも忘れ、放心したかの様に呆然とその光景に目を向けていた。
この世の物すべてを喰らい尽くすとも言われている餓鬼道の亡者。実はオレが身に着けている仕事着――この藍色の装束にも、その餓鬼の呪術が施されているのだ。
いや、オレだけではない。内調に所属する執行人すべての装束に、餓鬼の呪術が施されていた。
もし、役目の最中に命を落とした時や敵の手に落ちた時。自動で呪術が発動し、餓鬼達が証拠もろとも存在自体を喰らい尽くしてくれるのだ。
事実、一緒に役目にあたっていた者が途中で命を落とし、餓鬼に食われていく光景を、オレは何度も目の当たりにして来ている。
どこぞの時代劇の謳い文句ではないが、執行人とは正に『死して屍拾う者なし』なのだ。
そう言う意味では、この光景もオレには見慣れた光景ではある。
しかし、初めて見るお貴族さまには、かなりショッキングな光景であろう。
餓鬼達の食事が進むにつれて、伯爵は青ざめた顔を更に蒼白に染めていき、そして――
限界を迎えた……
「うおっ、おっ、うぇぇぇ……かはっ、けほぉぉぁ……」
骨を噛み砕き、脳漿を啜り、内臓を貪る餓鬼達とは逆に、伯爵は胃の中の物をぶちまけ始める。
そして、食べた物を吐き尽くしても吐き気は止まらず、胃液を吐き出し続けている伯爵……
オレは、その嘔吐物に目を向け、口元に笑みを浮べた。
と、言っても、おっさんの悶え苦しむ姿を嘲笑っている訳ではないし、そこまで底意地が悪くもない。
オレが笑ったのは――
「久しぶりに使った術だからな。少し不安だったけど、ちゃんと掛かったみたいだな」
「な、なに……を、うくっ……」
「さっき飲ませた札だよ。それだけ吐いて、出て来ないのであれば、ちゃんとアンタの身体に同化したって事だろ」
そう、オレが笑ったのは、嘔吐物の中に飲ませた式札が見当たらなかったからだ。
「ど、同化……だと?」
「ああ。アンタに飲ませた札は、これと同じ物だって言ったろ? その札はアンタの身体に吸収され同化したんだ。こうなればもう、上からも下からも排泄される事は絶対にない」
そう言って、足元へと視線を落とすオレ。
そして、そこにあったのは、ものの数分でじいさんの屍を喰らい尽くし、ついには共食いを始めた餓鬼達の姿……
「そ……そんな……」
オレの視線を追い、生きたままでお互いを捕食し合う餓鬼達へと目を向ける伯爵。腹部を押さえながら、今にも泣き出しそうなほどクシャクシャに顔を歪め、掠れた声を漏らした。
そんな伯爵を焦らす様に間を開け、餓鬼達の争いをジッと見つめるオレ。そして、五匹いた餓鬼が残り一匹になったのを確認すると、その餓鬼を踏み潰して伯爵へと目を向けた。
「まっ、そんな不安そうな顔するな。その札は、今すぐにどうこうなるってもんじゃない。それは、アンタが約束を破ると、それに反応する様になっている物だからな」
「約束……だと……?」
「ああ。アンタが約束を破ると、札は腹の中で餓鬼に変わり、生きたままアンタを喰らい始める」
「ひいっ……ちょ、ちょっと待てっ! や、やや約束って、何の話だっ!?」
「ああんっ!?」
縋る様な目を向けて問う伯爵に、オレは眉尻を上げ殺気の混じりの睨む様な視線を返す。
が、しかし、当の伯爵さまは、約束という言葉に『本当に思い当たる事などない』という表情を浮かべていた。
ったく、このおっさんは……認知症か?
「コロナの家族に対する永続的な賠償。そして、レビンへの家督と領主の移譲……まっ、直後にオレを殺そうとしたんだ。端から守る気なんてサラサラなかったんだろうけど――」
「うっ……」
図星を突かれて口籠る伯爵。
まあ、分かってはいた事だが、それでもあまりの分かりやすさに思わずため息が漏れる。
最初から守る気などない口約束。
しかも、直後にあれだけショッキングな光景を見せ付けられたんだ。忘却の彼方へ吹き飛ばされていたとても、仕方ないのかもしれんが――
「それでも約束は約束だ。アンタが約束を破った時。ついでに、餓鬼の使役者であるオレへ敵意を持った時。アンタは餓鬼に食われ、髪の毛一本残さずにこの世から消滅する」
「………………」
「まあ、オレが言うのも何だけど……生きたまま臓腑から食われるなんて、あまりオススメ出来る死に方じゃないからな。子供と孫に見守られ、ベッドの上で安らかに死にたかったら、せいぜい大人しく余生を過ごすこった」
あのペド紳士に子供が出来るかまでは、保証出来んけど。
そんな事を思い、苦笑いを浮べるオレ。
言葉を失い呆ける様にヘタリ込む伯爵を尻目に、ゆっくりと踵を返した。