第十八章 決着 02
「くくくっ……小僧の分際で粋がりおって」
くぐもった声で笑う伯爵。その声を背中にききながら、オレは全身の力が抜けた様に、ゆっくりとうつ伏せで倒れ込んだ。
矢が貫通したのは左胸。つまり心臓の位置――背後から姉さんに刺された場所と同じ場所だ。
「国家直属の暗殺者とはいえ、所詮は小僧。簡単に人の言う事を信じ、無防備に背中を晒すとはな。くくくっ」
護身用にと、机の引き出しにでも隠していたのであろう。
伯爵が、狂気に満ちた笑みを浮かべながら構えているのは、微かな月明かりに照らされ妖しく光る、漆黒のT字型をした道具。
木と鉄を組み合わせて作られた、本来ならコチラの世界には存在していないはずの武器……
構えていたその武器に、伯爵は血走った目を向け悦しそうに口角を吊り上げた。
「フフッ。確か『くろすぼう』と言ったか? 初めて撃ってみたが、中々の威力じゃないか」
そう、伯爵が使ったモノ――オレの身体を貫通した武器は、全体を黒く塗られたクロスボウだった。
少々簡易化されたモノではあるけど、猟師のおっちゃん達が狩りをする時、少しでも安全に、そして少しでも成功率が上がる様にとオレが考案した物なのだが……
「殺し屋の分際で、伯爵である私に無礼な口を利きおってっ!」
新たな矢をクロスボウへ番えると、うつ伏せに倒れるオレの背に向けて引き金を引く伯爵。
腰の辺りから侵入した短い矢は、オレの身体をやすやすと貫通し、板張りの床へと突き刺さった。
「くくくっ……この『くろすぼう』とらや。確か貴様が伝えたそうではないか?」
更に矢を番えながら伯爵は、ぴくりとも動かなくなったオレの背中に言葉を投げかける。
「どうだね? 自分の伝えた武器で殺された気分は?」
当然、返事など返って来るはずがないと分かった上での問い。そして、腹いせの死体蹴りとばかりに、ぴくりとも動かないオレの背へ再度クロスボウを向ける伯爵。
しかし……
「どうって聞かれても……とりあえず、いくら普通の弓より威力があるつっても人間の身体を、っんな簡単に貫通するわけねぇじゃん」
「!?」
返って来るはずがないと思っていた返事……
その返事が自身の背後から返され、伯爵はビクンッと身を震わせた。
「つーかさっ。そのクロスボウ買う時に『絶対に人へは向けるな!』って、鍛冶屋のじいさんから言われなかったか? まっ、それは人じゃないんだけど」
オレは伯爵の背後から、うつ伏せで倒れる『オレ』へと目を向け、指をパチンッと鳴らす。
「!!」
驚愕に息を呑む伯爵。
その伯爵の眼前で倒れていた『オレ』は、青白い光を帯びながら消えていき、最後には矢の刺さった人型の呪符だけが残る。
「………………」
驚きからか、それとも恐怖からなのか……?
いや、恐らくその両方だろう。伯爵は言葉を失い、振り返る事も出来ずに固まってしまった。
「………………」
「………………」
「………………い、いつから?」
長い様で短い沈黙……
身体を硬直させていた伯爵は、一つ息を飲んでから、ようやく震えた声を絞り出す。
だがしかし、その少々間の抜けた問いに、オレは肩を竦めながら軽くため息をついた。
「いつからって…………アンタが、殺気丸出しで土下座してる時からだよ」
そう、この伯爵さまは、あれだけ怯えていたにも拘わらず、身の安全が確保出来た途端に殺気を向けて来たのだ。
殺気を向け、飛び道具を使い、背後からの不意打ちでオレを殺そうとした――
それは、オレとの約束などその場しのぎで、守る気などなかつたという事だろう。
まっ、コッチも為政者との口約束なんて、端から信じちゃいなかったけど。
「てゆうか、伯爵さまさぁ……ついさっき見せたのと同じ手に引っかかるとか、バカじゃねぇの? それに、殺気についても、さっき教えたろ……? あっ、これダジャレな」
軽薄な口調――
王国貴族である伯爵が今まで掛けられた事の無い煽る様な言葉を、目の前で震える背中へと浴びせて行く。
「だいたい、殺気が読める相手に、殺気丸出しで土下座したところで意味ねぇんだよ。じいさんとのやり取りを見ていたんだろ? 少しは学習し――」
「うるさいっ、黙れーっ!!」
「!!」
そんな煽りに耐えかねた伯爵は、激昂して荒げた声を張り上げる。そして、振り向き様にクロスボウを構え、その引き金を引いた。
オレと伯爵との距離は、およそ二メートル弱。一歩踏み込みさえすれば、その顔面へ拳が充分に届く距離である。
その距離からクロスボウを撃たれれば、まず躱す事は出来ないだろう。
が、しかし……
そのクロスボウから、矢が放たれる事はなかった……
「なっ!?」
驚きに見開いたその双眸に映るのは、クロスボウの銃身を握る様に掴むオレの右手。そして、その右手の親指で銃身へと押し付ける様にして抑え込まれている、鉄の鏃を付けた木製の矢……
「くっ!? こ、このっ! この、この、このっ!!」
狂った様に、何度も引き金を低く伯爵。
しかし、いくら引き金を引き、弦がストッパーから外れていても、肝心の矢を抑え付けられていては、その矢が発射される事はない。
冷静さを失い、引き金を引き続ける伯爵の姿に肩を竦めるオレ。
そして、ゆっくりと踏み出しながら掴んでいたクロスボウを下へと向けていき、その先端が真下を向くと同時に、オレは矢を抑えていた親指を離した。
「がああぁぁぁああぁーーっ!!」
間近で聞こえる耳を劈く様な悲鳴。オレはクロスボウから手を離し、その指で耳を塞いだ。
そう、引き金を引き、ストッパーから外れていた弦。
当然、矢を抑えていた指を離せば、その矢は勢いよく発射される。そして、真下に向けられていたクロスボウから放たれた矢は、その先にあった伯爵の足の甲へと突き刺さったのだ。
うら若き乙女の悲鳴ならともかく、聞くに耐えないおっさんの野太い悲鳴にオレは眉を顰めながら、懐から数枚の呪符を取り出した。
「いい歳した大の男が、この程度でぎゃあぎゃあ騒ぐな……よっと」
「がはっ!?」
オレは、その呪符を握り潰す様にクシャりと丸め、伯爵の大きく開いていた口の中へとネジ込んだ。
「がががぁぁ……」
口を塞がれて息をするのもままならならず、目の端に涙を浮かべ、口の端からはヨダレを垂れ流す伯爵。
そんな見苦しさ全開の伯爵さまのドテっ腹に、オレは空いている左の拳を勢いよくメリ込ませる。
「ぐふっ!? ゴッ、ゴホッ! ゴホッ! ゴホッ! あがが……」
口を塞がれたままで、腹に受けた衝撃。その弾みで口の中にあった呪符を飲み込み、咳き込みながら崩れる様に蹲る伯爵……
オレは足元で蹲る伯爵へ、冷ややかな目を落とした。
領主として、そして王国貴族として生きて来た伯爵にとって、これ程の苦痛と屈辱は初めての経験だろう。
しかし、この領主さまの苦痛と屈辱は、これで終わりではない。
いや、寧ろ、これからが本番――これからコイツには、不安と後悔を抱えさせ、コロナの死を一生かけて償ってもらうのだから……