第十七章 格の違い 04
「ちっ!」
オレは咄嗟に振り返り、右手で懐から呪符を取り出しながら、左手に持つ鞘に収まったままの刀を盾の様に突き出した。
「くっ!?」
ガツンッという衝突音と共に、左手に伝わる衝撃。
突き出した剣が押し戻されそうになるのを、オレは鐺――鞘の尖端に右手を充てて何とか押し留める。
「…………」
「ほお……今のを止めるとは、なかなか……」
フードを深めに被った黒ずくめのローブに、老人の様な嗄れた声。
いや、実際にかなり高齢なのだろう。
短身瘦躯で華奢な身体つき。そしてフードから覗く口元には、深く刻まれた皺が見て取れる。
「とはいえ、その受け止め方は良くないのう。それでは死に体じゃ」
その皺の深い口元へ不敵な笑みを浮かべる、黒ずくめのじいさん。
受け止め方……ね。
そう、オレが剣で受け止めているのは、拳にガントレットの様な手甲をはめた、じいさんの右ストレート。
ただ問題なのは、この手甲には30センチ程の鉤爪が三本程付いており、その尖端がオレの左胸の手前、ギリギリで止まっている事。
そして、じいさんの言う受け止め方が悪いというのは、左手で鞘の鍔側を握り、右手で反対側の尖端を掴んでいるという体勢の事だ。
今なお、その鉤爪をオレの左胸に突き立てようと、老人とは思えぬ力でグイグイと押し込んで来るじいさん。恐らく、筋力増強の魔法か、何らかの魔道具を使っているのだろう。
この状態では、刀を抜こうと右手を離した瞬間に、じいさんの鉤爪がオレの左胸を貫いてしまうだろうし、魔法やマジックアイテムを使っているのだとしたら、力比べや根比べもオレに分が悪い。
現状では、ギリギリの所で何とか均衡を保っているオレとじいさんの力比べ。しかし、この状況はオレにとって、確かに死に体だ……
「まったく……レヴォーグよ。居るなら居るで、もっと早く出で来てもよかろう」
オレの背後に立つ伯爵の声。乱れた襟元を直しながら、眉間に皺を寄せ不満の声を上げた。
「申し訳ありませんな。少々、この者の技量を確かめておりましたゆえ」
「技量だと……?」
仮にも暗殺組織のトップが、しがない雇われ料理人の若造を警戒する様な発言に、伯爵は怪訝そうな顔を見せた。
「はい……この部屋に入って来た時の気配の消し方。一瞬にして間合いを詰め、呼び鈴を斬り落とした剣捌き。何よりもこの者の目――」
「目……?」
「はい、この小僧の目は、己の手で人を殺めた事のある者特有の目をしております」
ほお……さすが暗殺組織のトップ。そこまで見抜くとは、さすがだな。
「そして、微かながら血の臭いを漂わせてもおりますな。となると、ワタシが放った手の者も、もうこの世にはおりますまい」
どうなのだ? とばかりに、フードの淵から視線を覗かせるじいさん。
その、射抜く様な視線を受けながらも、オレは表情を崩す事なくその問いに淡々と答える。
「ああ。ボーズの大男と茶髪の男、そしてアゴヒゲのオッサンなら死んだよ」
「なん……だと……」
背後から感じる、伯爵の息を呑む気配。
しかし、オレはそんな気配などスルーして、暗い淵から視線を向けるじいさんを睨み返した。
「オレからも質問だ。コロナを――あの女ドワーフを刺したのは、じいさんだな?」
そう、コロナの腹部にあった致命傷といえる刺し傷。その形状は、今まさに、オレの心臓を貫かんとするこの鉤爪と一致するのだ。
「アレは背後から、不意を付いての刺し傷だ。口封じなら、ひと思いに急所を刺して楽に殺す事も出来ただろう? なぜ、あんな苦しんで死ぬ様な場所を刺した?」
「ほっほっほっ。確かにひと思いに殺してやる事も出来たのう。じゃが、部下に失態を挽回させる機会を与えるのも、上に立つ者の務め。ただでさえ人手不足で、若手の質が落ちておるのからのう。何でもかんでも、ワシら上役が出張ってやっては部下が育たんでな」
神経を逆なでする様な、物言いと口調。はたして、それが地なのか、オレを怒らせる為にわざと煽るような事を言っているのか……?
ただ、そんな誘いには乗らんとばかりに、オレは口元へ笑みを浮べた。
「へっ! 部下がマヌケだと管理職も大変だなぁ、じいさん。まっ、その努力も全部無駄になったけどな」
左胸に鉤爪を突き付けられ、ちょっとでも気を抜けば心臓を貫かれる状況で、虚勢とも取れるオレの言葉。その軽口に、じいさんは大袈裟に肩を竦めた。
「まったくじゃ……代わりと言っては何じゃが、ワシからも一つ問わせて貰おうかの。小僧よ――お主、元はワシ等と同業じゃな?」
「!?」
じいさんの指摘に、無言で眉を釣り上げるオレ。
「お、おいっ、レヴォーグッ!! 同業って、まさかっ!?」
そんなオレの代わりに、後ろにいる伯爵から驚きの声が上がる。
「此奴の気配の消し方、足運び、そして死を目前にしても全く動じぬ、その精神力と胆力。そして末端とはいえ、我が組織の者を返り討ちにする技量……間違いなく裏の世界の人間。それも、恐らくは暗殺を生業とする者……」
「な、なんと……」
中々に鋭い洞察力を発揮するじいさんの推理に、顔を青くして言葉を失う伯爵。
「大した推理だな、じいさん。小説家にでもなって、静かに余生を過ごしたらどうだ?」
「ほっほっほっ。まだ減らず口をきく元気があるとはのう。結構、結構、ワシの部下に欲しいくらいじゃ」
余裕の笑みを浮べながら、更に突き出した右手へと力を込めるじいさん。拳を受け止めている刀が押され、妖しく光る鉤爪の尖端が左胸へと触れた。
ただ、それでもオレは表情を変える事なく、淡々と言葉を返して行く。
「ワリーなじいさん。小僧一人殺すのに大の大人を三人も使った上、それでも足りずに一般人の女を利用するような三流暗殺組織。コッチは願い下げだ」
「くくく……中々に痛い所を突いてくるわ。まあ、確かに組織も大きくなり、末端の者の力量不足は否めんがの。ホントに、近頃の若い者は……」
「ふっ、変わんねぇよ――」
苦笑いを浮かべながら、肩を竦めるじいさんの言い訳。
オレは、その年寄り臭い言い訳を鼻で笑い飛ばした。
「オレから見りゃあ、じいさんもあの三バカと大して変わらん。あの三人組みが三流なら、じいさんはいいトコ、二.五流だ。二流にも届いてねぇよ」
「………………」
オレの言葉に、さすがのじいさんも顔色が変わった。
まっ、仮にも国内最大の暗殺組織のトップが、こんな小僧に二流以下の扱いされたのだ。そりゃあ、カチンっと来るだろう。
「面白い事を言うな、小僧。じゃが、そこまで言うからには、何かしらの根拠があるんじゃろうな?」
根拠ねぇ……
色々有り過ぎて困るが、差し当たっては二つか。
「そうだな……まず一点。オレに気付かれずに背後を取った動きは中々だった。ただ、その気配の消し方じゃあ、諜報員になら及第点をやってもいいけど、暗殺者としては駆け出しレベル――いや、駆け出し以下だ」
「………………」
「それともう一点。背後からオレを刺そうとした時、殺気を隠しきれず、僅かだが殺気が漏れた――いや、殺気を隠す云々の前に、人を殺す時、いちいち殺気を出しているようじゃあ、暗殺者として三流もいい所だ」
「………………ふっ」
完全に上から目線で指摘するオレの言葉。
最初は苛立ちを隠しきれずに聞いていたじいさんだったが、最後の最後で、吹き出す様に不敵な笑みを浮べた。
「ふふ……ふふふっ。ハッハッハッ! ホンに面白い事を言う小僧じゃ。じゃが、いかに修練を積もうと、殺気など完全に消せるモノではなかろうよ。ましてや、人を殺そうという時に、殺気が出んはずが……なか……ろう…………よ」
意気揚々と楽しげに語り出したじいさん。
ただ、その語り口も最後には言葉を詰まらせ、絞り出す様に声に代わり、そして口角からは赤い雫が一筋の線を描きながら零れ落ちて行った。