第十七章 格の違い 03
右手通路の突き当り――
セレナに言われた通りに進んだオレは、豪華な木製の扉の前で立ち止まった。
ここに着くまでのあいだ、いくつかの扉の前を通過したが、中で人が活動している気配は全く見受けられない。
レビンが言うように、薬で眠らされているのだろう。
シルビアやトレノっちも、今夜はこの屋敷に泊まっているようだが……
暗殺組織の首領との対面を控え、今生の別れになるかもしれないこの状況。出来る事なら最後に、トレノっち辺りの『あられもない寝姿』を目に焼き付けておきたかったが……あいにくと泊まっている部屋が分からない。
試しに、適当な部屋の扉を開けてみようかとも思ったけど……
そこで万が一、醜く肥えた中年貴族の『あられもない寝姿』を目に焼き付けてしまった場合、その後に控えた殺し合いのモチベーションに大きく関わってくるので、泣く泣く断念せざるを得なかった。
「くそ……こんな事なら、セレナに二人の部屋の場所を聞いておくんだった……」
そんな事を思いながら、オレは扉越しに中の気配を探った。
部屋の中の気配は一人……入って左手の壁際に立っているようだ……
他の部屋と違い、扉の向こうからは起きて活動している一人分の気配が確認できる。
ただ、一人分と言っても、それはあくまで気配だ。
そして、裏の人間なら気配を消す事くらい、新人でも容易にやってのけるだろう。むしろ、暗殺者が気配を消せないなどといったら、落第点もいいところだ。
さて、どうするか………………などと、考えていても仕方ない。
オレは気配を消してシークレットモードに入ると、音を立てないよう目の前の扉を静かに開いて行く。
豪華な造りの執務室。
若干暗めの室内には予想通り、左手の大きな本棚の前に立つ初老の男が一人。
いや、あれは本棚というよりも、資料なんかのファイリング棚だな。
オレの登場にも気付かず、熱心に棚のファイルを漁っている中年の男。
こんな夜遅くまで、仕事熱心だこと……
まっ、その熱心な仕事ぶりが、領民の為だけに向いていれば言う事はないし、オレがここに来る事もなかったんだけどな。
オレは開いていた扉を閉じ、そこへ寄りかかると、後ろ手にその扉をノックした。
「こんばんは、伯爵。夜遅くまで精がでますなぁ」
フレンドリーな口調で話すオレの声に、伯爵はビクンッと身を震わせ、慌ててコチラへと振り返った。
「なっ!? だ、だだ誰だキサマッ!? 何者だっ!?」
驚きと怯えの色を見せながらも、虚勢を張るように荒げた声を上げる伯爵。
まっ、当たり前か。
藍色一色の忍び装束みたいな格好した見知らぬ男が……しかも、こんな夜中にいきなり部屋へ現れたら、オレだってビビるわな。
そんな事を思いながら、オレはフレンドリーな笑みを浮かべ、ゆっくりとした足取りで歩きだした。
「ああ、そういえば自己紹介をしてませんでしたか? 桜花亭という店で料理人をしている、一条橋静刀――と言えば分かりますかね?」
「!!」
オレの名を聞き、伯爵の目に驚愕の色が宿る。
が、しかし……
「おおっ、イチジョウバシ卿でしたか? これは、お初にお目にかかる」
その色も一瞬の事。瞬く間に驚愕の色を作り笑いで塗り替え、善政の領主と呼ばれた皮を被るカルーラ伯爵。
為政者特有の、嘘で塗り固められた人の良い笑顔。狐と狸が化かし合いをする時に使う外面……
日本にいる時に、イヤというほど見せられた顔だ。
ホント。為政者ってぇのは、どこの世界でも変わらんなぁ……
オレはげんなりとしながらも、それを表には出さず歩みを止めた。
「そういえば今宵の晩餐会、姿を見かけませんでしたな。招待状は届きませんでしたか?」
「いや、届いてましたよ――」
シルビア達の分と一緒に、レビンがわざわざ届けに来てくれたしな。
まっ、オレは行く気はなかったし、レビンも「お義兄様は、いらっしゃらないとは思いますけど、一応形式ですので」とか言ってたし。
とはいえ、この伯爵さまはオレの為政者嫌いなんて知らんだろうから――
「ただ、ちょっと命を狙われていてね。外出は控えていたのですよ」
と、遠回しに『お前のせいだ』という皮肉を込めて、カマをかけてみる。
「命を狙われているとは……穏やかではありませんな」
歩みを止めたオレに背を向け、不自然さを隠す様、話しながら距離を取る伯爵。
「しかし、何かの間違いではありませんかな? サウラント国内でも一、ニを争うほど治安の良いと言われるこのラフェスタの街に、卿の命を狙う者がおるとは思えません」
いけしゃあしゃあと、まあ……
無防備に背中を晒し、入り口の正面にある大きな机へと向かう伯爵へ、左手にある長船康光の刃を突き立てたい衝動が湧き上がって来る。
「まあ、立ち話も何でしょう。今、使用人にお茶を淹れされます。いや、お酒の方がよろしいか……なっ?」
「不要だ。長居も長話もする気はない……」
使用人を呼ぶ時に使っていると思われる、小さなハンドベル。
伯爵がそのベルの柄に手をかけた瞬間、オレは居合抜きに刀を抜きながら一気に間合いを詰め、そして即座に刀を鞘へと収めた。
何が起こったのか理解出来ず、驚きの表情を浮かべ立ち竦むカルーラ伯爵。
おそらく――いや、間違いなく、オレが刀を抜いた事も、いつ移動したのかも理解出来ていないだろう。
伯爵は手の中にあるベルから切り離された木製の柄へ、ただ呆然と目を向けていた。
「なあ、伯爵――」
オレは言葉を失っている伯爵へ向け、射抜く様な視線を送りながら静かに口を開いていく。
「さっき、アンタが雇った殺し屋にオレの弟子が殺された……」
「!?」
低く、そして平坦な口調で話すオレの言葉を受け、伯爵は一瞬ビクンっと身を震わせると、額に汗を浮かび上がらせながら怯えた目を向けて来た。
「な、なんの事やら、さっぱり……」
「とぼけるなら、それでもいい。それと暗殺という行為自体も否定はしない――」
個人的に暗殺を嫌い、憎む気持ちはあるが、その行為自体は否定出来ない。
日本の長い歴史に置いて、愚かな主君が暗殺され、結果的に領地が安定したケースなど珍しくもないし。
また近年に置いても、東側諸国と繋がりが強い特定野党の圧力により、他国よりも警察権力が弱くスパイ天国とまで呼ばれる日本。
そんな中で、他国の非合法な諜報員や工作員、そしてテロ組織などを、オレ達が秘密裏に始末する事で国家の安寧が保たれているのも紛れもない事実なのだ。
「暗殺って言うのは、ある意味『必要悪』だ――確かにオレが死ぬ事でシルビアとレビンがくっつけば、この街がもっと発展する可能性だってある。そう言う意味じゃあ、オレを殺そうとしたアンタの判断は正しい。だがな……」
オレはそこで一歩踏み込んで、怯える伯爵の高級そうなスカーフの巻かれた胸倉を掴み上げた。
「だがなっ! 命を狙うなら、オレだけを狙わせろっ!! 他人を使わなけりゃあ殺しも出来ない様な三流殺し屋を雇った事。そして、他国の人間とはいえ、その罪を擦り付けようとした事……コレは、許される事じゃねぇ。キッチリとケジメは付けさせて貰うぜ、伯爵さま」
オレは、胸倉を掴んだ腕へ更に力を込めた。
苦痛に顔を歪めながらも、伯爵は懸命に口を開き言葉を絞り出そうとする。
「ま、待ってくれ……本当に……な、なんの事なのか……」
「だから……とぼけるなら、それでも構わないって言ったろ? コッチは最初から為政者の言葉なんて、信じてねぇんだ」
オレは、言い訳がましい言葉を遮ると、これみよがしに殺気を放ちながら、正面から伯爵の怯えた目を睨み付け――
「っ!?」
恐怖に引きつった顔。しかし、その引きつった口元に、一瞬だけ歪んだ笑みが溢れる。
そしてその直後、全く気配の感じられなかった背後から、微かな殺気がオレの背筋を撫でた――