第十六章 一本の髪の毛よりも…… 01
「良いのか……? 主はお主の父親を殺めるやもしれんのじゃぞ」
両手にコロナの身体を抱える伯爵公子の隣まで歩みよるラーシュア。闇の中へと消えて行く己が主の背を見送りながら、横に並ぶレビンへと低い声で問い掛けた。
「構いません――と、本当なら胸を張って言えれば良いのですけど……」
ラーシュアの問いに、苦笑いで――いや、怯え悲しむ顔へ、ムリヤリ笑みを貼り付けて答えるレビン。
「この様な事を仕出かしたとはいえ、私の父上ですからね。庇い立てしたい気持ちが、全くないと言えば嘘になります。しかし今回の一件――王国に名を預ける貴族としても、民の生活を守るべき領主としても、決して許されるモノではありません。ですので、父上をどうするかの判断は、イチジョウバシ卿に全てお任せしたいと思っております」
「そうか……」
そう、今回の一件。国王に告発すれば、カルーラ伯爵の失脚は免れない。ましてや屋敷には今、第四王女であるシルビアが滞在しているのだ。彼女を通じての告発であれば、揉み消す事も出来ないであろう。
しかし、レビンは敢えてそれをせず、全てを当事者である静刀に託したのだ。
静刀がどの様な判断をしても、その全てを受け入れるという覚悟の元に……
「まっ、私の希望と致しましては、カルーラ家は爵位と領主の地位を返上。そして父上に代わり、イチジョウバシ卿に新しい領主としてこのラフェスタの街を取り仕切って頂きたいと思っているのですがね」
「はんっ! あの面倒くさがりな主が、領主などという面倒な事、引き受けるワケがなかろうよ」
「でしょうな……」
レビンの口にした希望を、鼻で笑って一蹴するラーシュア。
当のレビンも、そんな希望が通るワケがないと分かってはいたが、それでもラーシュアの一刀両断っぷりに苦笑いを浮べた。
「ただ……」
「………………」
「………………」
「……ただ、なんじゃ?」
『ただ』という接続詞を口にして、言葉を止めるレビン……いや、実際には言葉を止めた訳ではなく、慎重に次の言葉を選んでいたのだ。
しかし、ラーシュアから、普段の彼に対しては絶対に見せない穏やかな表情、そして穏やかな声で促され、レビンはゆっくりと口を開いていく。
「ただ、イチジョウバシ卿が父上にどんな審判を下したとしても、来年の春までには領主、そして伯爵の地位より退いて頂きます」
「来年の春のう……領主の交代とならば、色々とする事もあろうが――それでも少々、気の長い話じゃな」
晩秋の冷たい風が吹き抜け、そこまで迫った冬の訪れをその身に感じさせる季節。
そう、彼の言う春までは、もうひと季節あるのだ。
「確かに……もし、イチジョウバシ卿が領主を引き受けてくれるというのであれば、父上にはすぐにでも領主の座を明け渡してもらうのですけど――」
しかし、レビンは自分で口にしながらも、その可能性が限りなく〇に近い事など承知していたし、傍で聞いているラーシュアやアルトも、そんな事は天地がひっくり返っても起こらないと分かっている。
そんな、自分で発した言葉に、自ら困り笑顔を浮かべ肩を竦めるレビン。
「イチジョウバシ卿に立ってもらえない現状、住民の生活を第一に考えるのなら、父上の跡をそのまま私自身が継ぐのが一番でしょうし、混乱も少ないでしょう」
「じゃろうな」
「ただ、私にはその前に、やるべき事がありますので」
「やるべき事じゃと……?」
疑問の言葉を漏らすラーシュアの視線を受け、レビンは自分の腕の中で、二度と目覚めぬ眠りについたコロナの寝顔へと目を落とした。
「はい、彼女の……コロナさんの遺体と遺品を、私自身の手でウェーテリードにいる家族の元へと帰し、謝罪と出来る限りの賠償をしたいと思っております」
「………………」
予想の遥か上を行く答えに、言葉を失うラーシュア。そして、二人の会話へ口を挟む事なく、静かに話を聞いていたアルトですら、驚きに目を丸くしていた。
貴族の家に生まれた者が下層民の元へ直接遺品を届けに行くなど、選民意識の強いウェーテリードでは、まずあり得ない。
いや、そんな事は、比較的に人道的とも言われているサウラントでもあり得ないだろう。
ましてや伯爵公子が直接、謝罪や賠償を行うなど、そのような発想が出て来ること自体、アルトには信じられなかった。
二の句が継げずにいる二人に、柔らかな笑みを浮かべるレビン。そして、ゆっくりと静刀の背中が消えて行った方へと目を向けて行った。
「イチジョウバシ卿は、父上の元へ向かいました……ケジメを付けると言って。ならば身内として、父上の犯した蛮行の後始末に尽力するのが、私なりのケジメです」
「…………そうか」
レビンの笑みに釣られる様に、柔らかな微笑みを見せるラーシュア。
そして、その笑みを少しずつ翳らせながら、レビンと同じ様に静刀の消えた先へと目を向けて行った。
「辛い役目を押し付ける形になってしまうな」
「………………」
ラーシュアの言葉に、目を閉じて静かに首を振るレビン。
その首をゆっくりと後ろに向けて、今にも芽吹きそうな桜並木へと目を向けた。
「ただ、心残りと言えば、この桜が咲く姿を見る事が叶わないことですけど……それは、コロナさんも同じだったはず。私ばかり、わがままを言う訳には参りませんからね」
「ちょっ、ちょっとお待ちをっ、レビン殿っ! まさか、今夜、すぐに出立するおつもりかっ!?」
今の今まで口を挟む事のなかったアルトが、レビンの言葉を受け慌てて声を上げた。
「そのつもりです。詫びて詫び切れるものではないですけど――それでも、一日でも早く家族の元へ帰すのが、せめてもの罪滅ぼしになると思いますから」
「し、しかしっ! 貴公は、この催しにおける責任者の一人なのですよ」
「そちらは、シルビア殿下にお任せ致します。むしろ、船頭が多いより、殿下一人で取り仕切って頂いた方が上手く回ると思いますし」
「で、ですが……」
「もう、その辺にしておけ。泣きぼくろよ」
まだ、何か言いた気なアルトを困り顔で制するラーシュア。
静刀が企画立案した、この桜まつり。彼女としては、万に一つも失敗させたくはないのであろう。
とはいえ、ラーシュアから見て、レビンの言うことは至極正論であった。
ああ見えても、シルビアの実務手腕はとても優秀だし、補佐には王国近衛騎士のトレノもいるのだ。
シルビアにしてもレビンにしても、実務手腕に不足はないし、お互い空気を読み合う事にも長けている。
この二人なら、船頭を多くしても、船が山に登る事はないだろう。
それでも、責任者というモノは一人に絞った方が、不要なトラブルを避けられるというのも事実である。
「レビンよ……悔やまずとも、桜なら春にもう一度咲きよる。それまでには帰るのであろう?」
「必ずや――」
「なら、その折には、桜花亭に顔を出すがよい。ワシが昼メシを奢ってやろう」
「はい、ありがたく」
ラーシュアの言葉に、レビンは深く一礼をして踵を返した。
「それとコロナさんの遺品は、人目に付かぬよう夜が明ける前に、私の手の者を桜花亭の方へ向かわせます」
そう言い残し、桜並木へ向けて足を踏み出すレビン。それと同時に、月を遮る厚い雲の空から、無数の白い結晶体がフワフワと舞い降りて来た。
その純白の結晶体へ導かれるように、自分の胸の前へと手のひらを差出すラーシュア。
そして、その舞い降りた結晶体は、ラーシュアの小さな手へ触れると同時にスッーと姿を消していき、後には透明な水の雫だけが残った。
「雪……? 初雪ですか……」
「ふっ……戦狂いのワシと違うて、異世界の神は、中々に粋な事をしよるわ……」
寂しげに天を仰ぐアルトの隣で、ラーシュアは口元を緩めながら、桜並木の中へ消えて行くレビンの背中を見送った。
そう、まるで桜吹雪のように、大粒の雪が風に舞う中を歩く伯爵公子の後ろ姿を……