第十五章 反撃の狼煙 02
「な……なな……な……」
目の前に突き付けられた信じられない光景に、腰を抜かして尻もちを着くアゴヒゲの男。
オレは、そんな腰抜け男に向けて一歩踏み出すと、その怯えきった顔に康光の切っ先を突き付けた。
「な、何なんだよ……? 何者だよアンタ……?」
鼻先に突き付けられた妖しく光る切っ先に今にも泣き出しそうな目を向けながら、アゴヒゲの男はなんとか言葉を絞り出す。
何者だ……か?
「知ったところで、誰に語れるわけもなし……これから死ぬお前が、知る必要もないだろ? 誰彼構わず、冥土へ土産を持たせてやるほど、オレは気前良くないんでな」
それに、
『冥土の土産に教えてやろう』
などと言って、盛大な負けフラグを立てるほど愚かなでもない。
そして、オレの口から出た『死』という言葉。明確な死の宣言に怯え、奥歯をカタカタと震わせながらも、なけなしの生存本能が男に剣を握らせた。
しかし……
「えっ……?」
恐怖に身を震わせる男の顔に、戸惑いの色が浮かぶ。
腰に下げた剣の柄を握ったまでは良かったが、その幅広の剣が鞘から抜ける事はなかった。
「なっ、ななな、なんだコレはっ!?」
己の腰へと目を落とし、驚愕に目を見開くアゴヒゲの男。
そう、男が剣の柄を握った瞬間、二の腕からその柄までが一瞬にして凍り付いてしまったのだ。
「ご主人様――この様な下っ端の後始末に、いつまでもご主人様の手を煩わせている訳には参りません。以降は、わたしにお任せ下さい」
そう言ってオレの傍らまで歩み寄るアルトさん。オレの答えを待つまでもなく、冷やかな視線で男を見下ろしながら、手にしていた杖を男へと向けた。
「それに――この男達への意趣があるのは、わたしも同じですから」
「ぐぎゃあぁぁぁぁーーっ!?」
響き渡る、アゴヒゲの野太い悲鳴――
そして、背後からはレビンの「無詠唱で、そのように高度な魔法を……」と、唸る様な呟きが聞こえて来る。
そう、無詠唱呪文……
アルトさんが杖を男へ向けた瞬間、その背後に現れた二本の氷の刃が、勢い良く男の両肩を貫いたのだ。
なるほど、意趣か……
口では自分の手で頸を――などと言ってはいたが、アレでもコロナはアルトさんの同郷だ。そして、宮廷魔道士だった彼女にとっては、守るべき民でもある。
それが、あのような嬲り殺しにされたのだ。当然、心中穏やかではないのだろう。
「分かりました……あとはお任せします」
「感謝致します」
オレは、後の事をアルトさんに託し、静に後ろへと下がった。
「あっ……ああ……がああぁーーーっ!!」
激痛にのたうち、地面を転げ回るアゴヒゲの男。
おいおい……そんなに激しく動いたら……
「あらあら……そんなに激しく動いたら――」
オレの心の言葉に、セリフを被らせるアルトさん。恐らく、オレと同じ考えに至ったのだろう――いや、冷静な判断が出来なくなっているアゴヒゲ以外、みんな同じ考えに至っているはずだ。
そう、二の腕から先が完全に凍り付いている右腕。激しく動いて、そこに衝撃が加われば――
「ぎあぁぁぁああぁぁーーっ!?」
案の定……
のたうち回り、その凍り付いた腕が地面へとぶつかった瞬間、剣の柄を握る手首から先を残し、肘から先が砕け散った。
「う、腕がっ!? 腕がぁーーっ!! うぐっ……」
「見苦しい……」
利き腕を失い、パニックに陥るアゴヒゲの男。アルトさんは、嫌悪、そして不快感を全面に出して、その横っ面を踏み付けた。
「あが……あ、ああ……」
両の頬を地面と靴底に挟まれ悶え苦しむ男を、冷やかな目で見下ろすアルトさん。
「おい、泣きぼくろよ――手足の二、三本は構わぬが、其奴にはまだ聞きたい事が山ほどあるでな。口は残しておけよ」
「はい、心得ておりま――」
「いえ、その必要はありませんよ」
ラーシュアの言葉に、同意を返すアルトさんの返事。しかし、その返事は、よく通る澄んだイケメンボイスによって遮られた。
純白のフードへと一斉に向けられる視線。イケメンボイスの主は、コロナの小柄な身体を抱えたまま、深く被ったフードから覗く唇をゆっくりと開いて行く。
「その者達の事は、全て調査済です。そして私は今宵、それをお話しすべく参った次第。然るに、その者の口をムリに割らさずとも、私が全てお話し致しますれば」
慇懃な言葉使いで話す伯爵公子。そして、その言葉を受け、アルトさんは口元に不敵な笑みを浮べた。
「なるほど……では、この口には利用価値などないという事です――ねっ!」
「があぁぁぁああぁぁーーっ!!」
強く踏み付けられた頬――顎関節の砕ける音と共に、男の悲鳴がこだまする。
耳障りな野太い悲鳴に眉を顰めたアルトさんは、まるで道端の汚物でも踏み付けたような不快感を顕に、三歩ほど後ろへ下がった。
「たしゅ……たしゅけ……も、もう、ゆりゅして……」
利き腕を失い、両肩を貫かれ、更にアゴを砕かれた、正に満身創痍の男。
それでも、泥と血、そして涙と涎に汚れた顔をくしゃくしゃに歪ませながら、無様に命乞いするアゴヒゲの男……
今まで、日本政府のお抱え執行人として幾百という死に際を見て来たが、この小悪党特有の生き汚さというのは、何度見ても嫌悪感しか湧いて来ない。
そして、この感情はアルトさんも同じであろう。
「俗物が……」
身に纏う殺気を隠す事なく、冷やかに言い捨てるアルトさん。
その元宮廷魔道士が手にしていた杖を高々と掲げると、背後に無数のファンネ――ではなく、無数の氷の刃か現れる。
目算で三桁にも届こうかという、氷の刃。その鋭い尖端が全て、アゴヒゲの男へと向けられていた。
息を大きく吸い込み、掲げていた杖をゆっくりとアゴヒゲの男へ向けるアルトさん。
「こんな所で朽ち果てる、己の身を呪うがいいっ!!」
その叫びを引き金に、怯え切った表情を見せる男へ向けて一斉に飛ぶ氷の刃。
百にも及ぶ凶刃を一身に受け、男は悲鳴を上げる間もなく一瞬にして物言わぬ肉塊に――いや、肉片へと姿を変えた。
「我が同郷の者が受けた痛みと苦しみを思い知りなさい……」
原型を留めぬ男の亡骸に向けそう呟くと、アルトさんはゆっくりと振り返り伯爵公子の腕で眠る同郷の娘へと目を向けた。
そう、悲しみに満ちた隻眼の瞳を……