第十四章 消えかける灯火 04
「…………」
「…………」
「…………っ!?」
短い沈黙の中、コロナの霞む視界がラーシュアの後ろで動く影を捉えた。
「ラ、ラーシュア……あぶ……な……」
「死ねやっ! クソガキィィーーッ!!」
コロナの掠れる声を塗り潰す様な怒声が響くと同時に、茶髪の振り下ろす凶刃がラーシュアの脳天へと襲い掛かかる。
「えっ?」
「なっ!?」
揃って驚きの声を出すコロナと茶髪の男。
幼女の小さな身体くらいなら、両断されていてもおかしくはない程の勢いで振り下ろされた剣。
しかし、茶髪の剣は、ラーシュアに当たったところでピタリと止まっていたのだ。
「ふう……」
ラーシュアは一つ息を吐き、ゆっくりと男の方へ振り返る。そして、男を見上げながら、頭の上に乗る刃を無造作に握り締めた。
男の持つ剣は、鍛え上げられた鋼の剣――
しかし、ラーシュアに鷲掴みにされたその鋭い刃は、あっと言う間に真っ赤に焼かれ、溶け出したバターの様にグニャリと変形していった。
そのありえない光景に、残った右の眼を見開いて、絶句している茶髪の男……
ラーシュアは、掴んでいた刃をグシャリと握り潰し、背筋が凍り付く程の冷ややかな視線を向けながら、静かに口を開いていく。
「おい、小僧――」
「…………」
「今のワシは、心底機嫌が悪い……楽に死ねると思うなよ」
「…………っ!?」
そして告げられた死の宣告。
とても幼女のものとは思えない殺気と、身を竦ませる程の圧倒的な死の香り……
男は恐怖のあまり失禁し、股間を濡らしながら腰を抜かした様に尻もちを着いた。
「た、たしゅ……たた……たしゅけ……」
過呼吸でも起こしたように口をパクパクさせながら、言葉にならない声を出し、後ずさる茶髪の男。
硬直し、上手く動かない身体での、遅々として進まぬ後退劇。その、あまりにも不様な男の姿を前にて、ラーシュアは湧き上がる嫌悪感を抑えきれず眉を顰めた。
「見苦しいのう……手練という訳ではなさそうじゃが、お主とて素人ではあるまい? 人を殺めるというは、己が殺められる覚悟も持って成す所業じゃ――」
ラーシュアは冷ややか瞳で茶髪の男を見下ろしながら、無様に腰を抜かして投げ出された男の左足首を踏み付けた。
そして――
「その覚悟もない者が、人に刃を向けるでないわっ!!」
「ぎゃあぁぁぁぁあああぁぁーーっ!!」
一喝と共に、男の足首を踏み潰すラーシュア。
肉がひしゃげ骨が砕ける音と同時に、流れる川音をかき消す様な悲鳴が響き渡った。
「ぐがぁっ! な、なんだ、コレっ!? 熱いっ! 熱いぃぃーっ!! あがっがぁぁぁーーっ!!」
足首が引き千切られて、苦しみ、のたうち回る茶髪の男。
その失われた足首の切断面からは、深紅の鮮血が流れる代わりに、真っ赤な炎が上がっていた。
そして、徐々に己の身体を焼失させていく炎に、狂った様に叫びを上げ、大地を転がり回る茶髪の男。
「肉体はおろか、魂すらも焼き尽くす煉獄の業火じゃ……その炎に焼かれながら、己の罪を悔いるがよい」
天龍八部衆にして、万物全てを焼き尽くし浄化すると言われる戦乱の鬼神、阿修羅の炎――
その気になれば、一瞬で全てを焼き尽くし骨まで灰にする事も簡単に出来るであろう。
しかし……
『今のワシは、心底機嫌が悪い……楽に死ねると思うなよ』
その言葉通り紅蓮の炎は、叫び、のたうつ男の全身に、ゆっくり広がっていく……
肉が焼け、髪が焦げる嫌な臭いが辺りに立ち込めていく中、ラーシュアは静かに、そして冷たい視線で焼けただれいく男を見下ろしている。
そして、全身が炎に包まれた身体は、次第に動きが小さくなっていき、叫び声も消え、最後には物言わぬ白い灰となり、風に舞って消えていった……
その光景に――いや、一連の光景に、驚きのあまり焦点の合わぬ目を丸くするコロナ。
「ラ、ラーシュアは……もしかして……人間じゃ……ないん……ッスか?」
絞り出す様なコロナの問いへ静かに振り返ると、慈愛にも似た優しい笑みを浮べるラーシュア。
「うむ、まあのぅ……じゃから、お主が作った、一風変わったトンカツも、美味しくいただけたわ」
「気付いて……いたッス……か? し、ししょーも?」
「当然じゃ。中々に刺激的な味じゃったぞ」
無邪気に笑顔でニカッと笑うラーシュアから、コロナはバツの悪そうに視線を逸した。
「ホント……ごめんなさいッス……アイツらに……騙……されて……ウチ……」
「謝らずともよいわ。あのような子供じみた悪戯に腹を立てるほど、ワシも子供ではないでな」
「で、でも……でも……知らな……かったとはいえ……ウチはししょーを……ししょーを……」
「…………」
絞り出す声に嗚咽が混ざり、虚ろな瞳からは涙が溢れ出すコロナ。
「ホントに……ホントに、ごめんなさいッス……そして、し……ししょーにも、ごめんなさいって伝えて欲しいッス……」
「…………お断りじゃ」
「えっ……?」
「じゃから、謝る必要などないと言うておるのじゃ。アレは、仮にもワシの主じゃぞ。毒を盛られた事に気づかんほどマヌケではない。じゃから、お主が気に病む必要などないのじゃ――まっ、それでも謝りたいと言うのであらば、自分の口で謝れば良いわ」
そう言って顔を上げ、自分がやって来た方へと目を向けるラーシュア。
そして、コロナはその視線を追うように、顔を反対の方へと向けた。
「えっ……? し、ししょー……?」
涙に霞む視界……今際の際に瀕したドワーフのぼやけた目に映ったのは、彼女の師匠にして桜花亭の料理人、一条橋静刀が呆然と立ち竦む姿だった……