第三章 陰膳 02
陰膳に思うところ……か。
オレは、ラーシュアの言葉に苦笑いを浮かべた。
東京にいた頃には、何度も作った陰膳だ。確かに思うところはある。
初めて一人で作ったのは、十三歳の時――
何の感慨をなく、ただ機械のように手を動かして作った六つの陰膳と、それと同じ献立の御膳が一つ。
そして、その一つの御膳を食べたのは、日本政府の関係者だった。
離れのお座敷に片側三つずつ、向かい合うように並べられた六つ陰膳。それを前に、上座の席で静かに箸を動かす痩身の男……
内閣調査室特別諜報部の部長を名乗る、倉雲という男だ。
ちなみに内閣調査室とは、日本政府直属の諜報機関で、アメリカの中央調査室やイギリスの秘密情報部に相当する機関だ。
その中でも、特別諜報部とは一般には公表されていない特殊な部署である。
その日は調理の担当者として、オヤジと一緒にオレも挨拶のため座敷へと上がっていた。
広い座敷の襖の前。
倉雲と対面に位置する場所に、正座で座るオレとオヤジ。
「今日の料理は、この静刀が全て担当致しました」
「ほおぉ……○○党の工作員六人の陰膳を一人で作るとは……まだ若いのに、たいしたものだ」
淡々と話すその言葉に、オレは軽く頭を下げた。
この男…………嫌いだ。
何を食べても、顔色ひとつ変えない無機質な表情。そして、平坦で感情が全く感じられない口調。
まるで、出来の悪い機械人形の様だ。
さっきの賞賛の言葉だって、料理に対してなどでは決してない。 それがハッキリと伝わって来て、余計にオレをイライラとさせた。
いや、この男だけじゃない……
永田町という店の場所柄。政治家やその秘書、政府関係者がよく訪れるが、その客すべてが嫌いだった。
なにより、何の感情も込めずに、ただ形だけを綺麗に整えた料理が美味い訳がないのだ。そんな事は、作った本人が一番よく分かっている。
「まあ、その若さで、これだけの料理が作れるのだ。この店も安泰だな」
「ええ。親バカと言われそうですが、静刀は刃物の扱いに関して天賦の才があります。なので、近いウチに康光を譲るつもりでおりまして」
「ほおぉ。あの、鋼をも切ると言われる康光を……」
「はい。よい料理を作るには、よい刃物が必要ですから」
康光――
数百年前からウチの店に伝わる家宝の一つだ。
そして、コレを受け継いだ者が次期の板長――料理長となり、ゆくゆくは家督を継ぐ事になっている。
「まあ、この話を致しましたら姉の静姫が大層ヤキモチを焼き、難儀しておるところでして――」
静姫。オレの二つ歳上の姉さん……
そう、康光はオレではなく姉さんが継ぐべきだっだのだ。そうすればあんな事は起きなかった。
それに、オレはただ普通に料理を作って、それを喜んで食べてくれる人がいれば、それで良かったのだ。
こんな店を継ぐ事も、こんな仕事も望んでいない。
『静刀……』
ふとっ、心臓が痛いくらいに大きく脈打った。
そしてフラッシュバックを起こしたかのように、姉さんの静かに語り掛けるような声が頭の中に響く。
『静刀……あなたがイケないのよ……』
背後から聞こえる姉さんの声……
同時に背中からスーッと冷たいモノか入って来て、その先端である刀の切っ先が、ゆっくりと左胸から現れる。
ああぁ……やはりこうなったか……
『あなたさえ居なければ、わたしが……』
姉さんの声を聞きながら、胸を貫いた刀の切っ先を漠然と見つめるオレ――
「くっ!」
激しく頭を振って、フラッシュバックを振り切るオレ。
何を今更こんな事を思い出してんだ、オレはっ! もう、オレとは関係のない世界――思い出したくもない過去の話だ。
それにコッチの世界に来て、ようやく純粋な気持ちで料理をし、故人の冥福を祈る気持ちで陰膳を作れるようになったのだ。イヤな思い出など、とっとと忘れてしまおう。
気持ちを切り替えるように自分の両頬をパンッと叩いて踵を返し、オレはステラ達の待つテーブルへと向かった。
「………………」
四人掛けのテーブル。
食事をようやく半分ほど終えたステラ。相変わらず上品で、ゆったりとした食事だ。
オレはそのステラの向かいの席――二つ重ねた空のドンブリの前で、お腹を擦りながら爪楊枝を咥えているラーシュアへと問いかける。
「おい……オレの分は……?」
「なんじゃ? 食いたかったのか? なかなか来んし、冷めたらもったいないと思おてワシが食っといたわ」
オレの問いにシレッと答えるラーシュア。
てゆうか……
「ネギトロ丼が冷めるかぁーーっ!!」
「にょぉぉぉ、おぉぉお~~」
座るラーシュアの背後から、頭の上に拳をグリグリと押し付けるオレ。
「つ、つむじはっ、つむじは、らめぇじゃ~~!! 背が縮むぅぅ……」
「うるせぇーっ! それ以上縮むかっ!」
苦笑いで『まあまあ~』と止めに入るステラをスルーして、今度は両拳での『こめかみグリグリ』へと移行する。
食べ物の怨みは恐ろしいのだ。
「だいたいっ! 人一倍メシ食ってんだから、腹じゃなくて少しは胸でも膨らませてみせろっ!」
「ナニを言うっ! 腹など出とらんわっ! それにワシの乳をデカくするのは、主の役目であろうっ!!」
ラーシュアの反論に呼応するように、『ダンッ!!』とテーブルを叩く大きな音が狭い店内に響いた。
その、突然聞こえた大音量の打撃音に、ラーシュアを責め立てていたオレの拳が緩む。
背筋の凍る様な殺気に身を震わせながら、打撃音の発生源を確認すべく恐る恐ると顔を上げるオレ……
そこにいたのは、不自然なまでにニコやかな笑みを浮かべる美少女ハーフエルフ。
て、てゆうか、ステラちゃん? なんだかその笑顔、凄く怖いよ……
「ラーシュアちゃん……いま、何って言ったのかなぁ?」
ラーシュアに問いかけながらも、なぜか笑顔でオレに視線を送るステラ――いや、ステラ様。
「うむっ、ワシの乳をデカくするのは、主の役目と言ったのじゃ。まあぁ正確には、ワシを大人の女子の身体にするのが、主の役目なのじゃが」
「って、お前っ! ナニ言ってくれちゃってんのぉーーっ!?」
笑顔を全く崩さないステラの額に青筋が浮かぶ。
そして、言いたい事を言い切ったラーシュアは、そそくさと厨房の中へと退避して行った。
「どうゆう事ですかぁ、シズトさん……?」
燃えるような闘気をまとい、ゆっくりと間合いを詰めるステラ……
「ま、まて、ステラ! ラーシュアの言った事は、あながち間違いじゃないけど、オマエの考えているような事とは違う意味でだなぁ……」
慌てて弁解をするが、どうやらオレの言葉はステラの耳には届いていないようだ。
その証拠に、ステラの全身を覆っていた熱い闘気はドンドンと右の拳へと集中していった。
「い、いや、たがら……ま、まずは冷静に話し合おう……なっ、ステラちゃん。いやステラ様っ!」
「シズトさんの……」
ユラリと一歩踏み込んで、更に間合いを詰めるステラ。
そして、全ての闘気が右拳に集中した瞬間――
「バカァァァーーーッ!!」
ステラの絶叫と共に、伝説のスーパーブロー『ブーメ◯ン・フック』が唸りを上げた。
左の頬に激痛が走ると同時に、真横へと吹っ飛ばされるオレ。
そのまま店の扉を突き破り、道を転がりながら向かいの家の壁に激突する。
てかナニ? この物凄い既視感を感じさせる展開は……?
ま、まあ、今回は全裸じゃない分だけ、少しはマシかな……ガクッ。