第十四章 消えかける灯火 03
「ハァ……ハァ……ハァ……」
冷たい川の中を流され、辿りついたのは桜祭り会場の終点付近。もう少し流されていれば、そのまま海へと辿り着いてしまっていただろう。
這いつくばりながらも、どうにか岸へと辿りついたコロナ。
息も絶え絶えに仰向けに倒れ込むと、月の隠れた真っ黒な空を見上げた。
血が流れ、更に川の水で体温が奪われた身体は、まるで氷の様に冷え切っていて、手足の感覚どころか痛みの感覚すらない。
「ハハハ……コレは、人間だったら即死ッスね……」
自分の傷口に目をやり、コロナはまるで他人事のように笑った。
人間よりも生命力が強く、身体も頑丈なドワーフ。
しかし、この傷は完全に致命傷……助かる道はなく、生命の灯火が消えるのもあと僅か……
齢百歳を超え、戦乱の中で数多の死を見てきたドワーフは、その現実を理解し、受け入れ、その上で笑って見せた。
「とはいえ、まだ死ねないッスよ……あの事をししょーに伝えないと……そして……ししょーに……謝ら……ないと……」
感覚のなくなった手足を必死に動かし、這う様に土手を登って行くコロナ。
その、焦点の定まらない虚ろな瞳には、今にも花を咲かせそうな桜の木が、幾重にも重なって映っていた。
それでも、どうにかこうにか土手を登り切り、まず目に飛び込んで来たのは、桜の木の裏へと隠す様に置かれた木材や木箱。祭りの準備に使用していた資材の残りや、大工道具なんかの置き場になっているようだ。
「誰のか知らないッスけど……ちょっと、お借りするッスね……」
まっ、返せるかどうかは分からないッスけど……
苦笑いでそんな事を思いながら、コロナは小さめの手斧を手に取った。そして、自分の背丈程の角材を杖代わりにして、どうにか立ち上がるコロナ。
「は、早く……ししょーに……ししょー……に……」
感覚もあやふやなで、力の入らない自分の足に喝を入れ、なんとか一歩を踏み出した時だった――
「ようやく見つけたぜ、このアマ~!」
剣を片手にして目の前へ立ちふさがる、見覚えのある男――三人組みの中で、最初に声をかけて来た茶髪の男だ。
ここまで走って来たのであろう。茶髪の男は息をはずませながら、ゆっくりと近づいて来る。
「へっ、随分と苦しそうじゃねぇか? まっ、いま楽にしてやっからよ」
薄ら笑いを浮かべ、まるで獲物を漁るハイエナの様な卑しい目を向ける茶髪の男――
コロナはその卑しい目を、精一杯の虚勢を張りながら睨み返す。
「そこをどくッスよ……」
「ああんっ?」
「どけぇぇぇーーっ!!」
消え行く蝋燭の灯火。その最後の瞬きの如く、コロナは残った全て力を込めて斧を振り上げた。
しかし……
「しゃらくせぇーっ!!」
素人相手ならいざしらず、末端とはいえ暗殺を生業とする闇の組織の構成員。
コロナの放った渾身の一撃を軽く回避すると、手にしていた剣を横薙に走らせた。
「くっ!?」
どうにか、その剣と自身の間に角材を滑り込ませガードしたコロナ。しかし、剣の勢いまでは殺しきれず、軽量級のその身体は後方へと大きく吹き飛ばされた。
「…………かはっ!!」
背中から地面へと叩きつけられ、肺から強制的に排出された酸素と一緒に口から吐き出される、緋色の鮮血……
まともに呼吸する事もままならず、咳き込む様にして吐き出された吐血が、仰向けで横たわる己の顔を汚していく。
「へっ! 楽にしてやるつってんだ、大人しく逝っとけや」
横たわるコロナの傍らまで歩み寄った茶髪の男は、剣を真下へ向けて構え、その腕を大きく振りかぶった。
暗がりの中で妖しく光る剣の切っ先……
手足どころか指先一つ満足に動かす事の出来ないコロナは、その切っ先を漠然と見つめる事しか出来なかった。
そして、全てを覚悟したドワーフの、その虚ろな瞳がゆっくりと閉じられていく。
『ししょー、ホントにごめんなさいッス……でも、どうか……どうか、無事に逃げて下さいッス……ししょー……ししょー、ししょーっ!!』
「ぎゃあぁぁぁぁーーっ!?」
突如、暗闇の中で上がった男の悲鳴が、コロナの耳を劈いた。
『え? な、なにが……』
コロナは、開く事を拒む様に固く閉じられた瞼を、どうにかこじ開けていく。
「カ、カラス……さん?」
焦点の定まり切らない視界……
その虚ろな瞳には、どこか見覚えのある光景が映し出されていた。
そう、三本足で傍らに立つ烏と、目を押さえてのたうち回る男の光景が……
「えっ……?」
ゆっくりとコロナの方へと振り返る、血に染まった眼球を咥えた烏――
そして、お互いの視線が交差すると、烏は青白い発光と共にその姿を人へと変えていった。
咥えていた眼球を吐き捨て踏み潰しながら、袖で口元に着いた血を拭う幼女――
「ラ、ラーシュア……? あのカラスさんは……ラーシュアだった……ッスか?」
横たわりながら声を絞り出すコロナを、どこか呆れ気味に見下ろしているのは、黒い和ゴスに身を包んだラーシュアである。
「まったく……せっかくワシが助けた命を、こんなトコで無駄にしおって……」
「ハハハ……面目ないッス……」
力なく笑うコロナに、やれやれとばかりに肩を竦めると、ラーシュアは一度顔を伏せて、申し訳なさそうな表情を浮べながら、その顔を上げた。
「すまなんだな……今回は間に合わなんだ……」
「ラー……シュア……」
その、幼女とは思えない大人びた顔へ返す言葉が見つからず、少々困惑気味にその顔を見上げるコロナ。