第十三章 急展開 07
「いったい、どうなってんだよ、ありゃーっ!?」
「ひっ!?」
小屋の中に消えた三人組みを追い、古ぼけた木製の扉へと手を掛けようとしたコロナ。
しかし、扉越しに聞こえて来た怒声に、思わず身が縮まり、反射的にその手を引っ込めた。
「こ、これは、そうとう御冠のようッスね……」
コロナは、小声で呟きながら頬を引きつらせる。
――この分なら、昨日の出来事は既に知っているようッスね。ならば、わざわざ報告などしなくてもいいッスか……
そう思い直して、コロナは静かに踵を返した。
「触らぬ神になんとやらッス――」
「だいたいっ! 何であのガキッ、リュードの種食ってピンピンしてんだよっ!?」
「えっ?」
戦術的撤退を決め込み、その場を立ち去ろうとしていたコロナ。
しかし、ドア越しに聞こえて来た怒声の中にあった聞き捨てならないワードに、その身が固まり、歩みが止まった。
『リ、リュードの種って……?
それって、あの一粒で大人五人は即死させるっていう、猛毒のリュードの種の事ッスか……?』
突然出て来た物騒な物の名前に困惑する気持ちと、何かの聞き間違いである事を祈る様な気持ちが同時に溢れ出し、コロナの顔から一気に血の気が引いて行く。
そして、まるで見えない何かに押し戻されるように再び踵を返すと、小さい身体で精一杯背伸びをして、小窓からこっそりと中の様子を覗き込んだ。
「おいっ、少し落ち着けよ――」
「これが、落ち着いていられるかっ!!」
薄暗い室内。まず目に入って来たのは、苛立ちを顕に怒声を上げるスキンヘッドと、それを宥める茶髪の青年の姿。
そして、そんな二人を前にして、アゴヒゲの男は何かを思案する様に、腕を組んで静かに木箱へと腰を下ろしていた。
「つーかっ、あのドワーフの小娘っ! ちゃんとリュードの種を飯に入れたのかよっ!」
「そ、それは間違いないだろ。あのドワーフが、肉に種を入れているところ、お前だって確認したじゃねぇか?」
再度聞こえて来たリュードの種と言う言葉に、コロナの背筋が一気に凍り付いた。
『聞き間違いじゃなかったッスか……じゃあ、もしししょーが食べていたら――いや、食べたラーシュアが、もし種を噛み砕いていたら……』
コロナは目の前が真っ暗になり、その場へ力なくヘタリ込んだ。
しかし、そんなコロナへ追い打ちをかける様な会話が、更に男達の間で続いて行く。
「だいたいっ! 毒殺なんて回りくどいやり方、オレは最初から反対だったんだよっ!」
「まあ、確かに。それに結局、あのイチジョウバシは毒を口にしなかったしな……やっぱ当初の予定通り、あのドワーフ娘を殺してよ――」
殺す……? ウチを……
壁越しに聞こえて来る声が、どこか遠くの――まるで他人事の様に頭の中を通り抜けていった。
『知らなかったとはいえ、ししょーを殺そうとしたんッス。殺されたって文句は言えないッスよね……』
コロナは、男達の言葉に抵抗するだけの気力すら失い、死という運命にすらも、抗う事すらせず受け入れてしまっていた。
しかし……
「その躯を、寝込みを襲って殺したイチジョウバシの寝所に放り込むって作戦でいいんじゃねぇか?」
『なっ……!? ね、寝込みを襲って殺す? ししょーをっ!?』
茶髪の男が綴った言葉続きに、コロナは現実へと一気に引き戻された。
「まあ、あの貧相な身体じゃ説得力がねぇが――褥の中で、しかも裸で折り重なってりゃあ、どうにか心中に見えんだろう」
『――――――!?』
そして、自分が死んだら、その死体が静刀殺しの偽装に使われる事を知り、慌てて立ち上がるコロナ。
『ジョーダンじゃないッスよ。生きてる内なら、ししょーと裸で折り重なるのは大歓迎ッスけど、死んでからそんな事になっても全然嬉しくないッス!
コイツらが、何でししょーの生命を狙うかは、知らないッスけど、ししょーは絶対に殺させないッスよっ!!』
込み上げる怒りに眉を釣り上げながら、薄汚れた小屋の壁に耳を張り付け、男達の計画を一言一句聞き漏らすまいと耳をそばだてる。
「まあ、待て……その計画は、最後の手段だ」
今まで、ずっと押し黙っていたリーダー格のアゴヒゲが、ここに来てようやく口を開いた。
「なんでだよ、アニキ?」
「この街の検死役の役人は買収してるが、向こうには王女殿下がいる。王室御用達の検死役など呼ばれれば、偽装がバレるかもしれん。その手を使うなら、綿密な計画を立てた偽装が必要だ」
「うっ……」
「色々と考えてみたが、今から王室御用達検死役の目を完全に誤魔化せる方法は見つからん」
「くっ……じゃ、じゃあ、どうすんだよ? レヴォーグ様からは、今日明日中には、片をつけろって言われてんだぞ」
アゴヒゲの返答に一瞬言葉を詰まらせながらも、一歩踏み出して詰め寄るように問い直す茶髪の男。
しかし、その問いにアゴヒゲの男は、口元へ怪しい笑みを浮べた。
「実は昼間に、レヴォーグ様から面白い情報が入ってな……王女殿下とスペリント家のご令嬢は今宵、伯爵邸に泊まるそうだ」
「なにっ? それは本当かっ!?」
「ああ……一応、裏を取ってみたら、殿下達のほか、あの黒髪のガキとエルフの娘も今夜は不在だそうだ」
「じ、じゃあ……今夜、あの店に居るのは三人だけなのか?」
「そう……つまり、今夜あの店が火事になっても、王女殿下やスペリント家のご令嬢には、何ら危害は加わらんって事だ。くくくっ……」
小屋の壁越しに聞こえてくる不快な笑いに、コロナ目を見開いて、息を飲んだ……
『か、火事……? それって、桜花亭に火を着けるって事ッスか? 何でそんな事を……』
そんな、コロナの疑問に答えるよう、愉快そうに話す不愉快な声が耳に届く。
「ハッハハハッ! そりゃいいや。三人を始末したあと、あの店に火を放つって事か? 確かに、死体が丸焦げになってりゃあ、検死役もお手上げだ」
「それに火元があの店なら、他に疑いの目が向く事もねぇわな」
日本の科学捜査をもってすれば、出火の原因――放火かどうかの特定など、さして難しくない。
それに、焼死体であっても、よほど損傷が酷くなければ死因の特定だって出来る。
とはいえ、この世界にそんな技術があるわけもなし……
火事の中から出た遺体であれば、そのまま焼死として処理されるであろう。
「そうゆう事なら、まずは一人一殺――オレは、あの片目の女を貰った。へへへっ……殺す前に、せいぜい悦しませてもらおうか」
「あっ! テメッ、汚えぞコラッ! あの女は、オレが目ぇ着けてたんだよっ!」
「汚えのはテメーだっ! オマエ、前の仕事っん時にゃあ、情報収集に拐った使用人の女と犯りまくってたて話しじゃねえかっ!」
「それとこれとは、話が別だっ! あんな上玉、テメーにはもったいねぇーんだよっ。女はもう一人いたろ? オマエはそっちで我慢しとけっ!」
「あんなちんちくりんじゃあ、勃つモンも勃たねぇーよっ!!」
「いい加減にしねぇーかっ!!」
馬鹿な口喧嘩を始めたスキンヘッドと茶髪へ、アゴヒゲの怒声が飛んだ。
その、あまりの迫力に、言葉を飲み込んで竦み上がるスキンヘッド達―、
「こりゃあ、遊びじゃねぇーんだ。つまんねぇ事で喧嘩してんじゃねぇっよ。だいたい、あの女っんトコに行くのは、オレだ」
「うわっ! アニキ、汚えぇ……」
「いつも、美味しいトコ持っていくしよ……」
「うるさい、黙れ――とにかく、もう一人の女の方には、ジャンケンでもして決めろ」
「いや、別に、あのちんちくりんとは、犯りたくもねぇ~し……」
言いたい放題の男達に、頬を引きつらせ、握った拳をぷるぷると震わせるコロナ……
『くっ、コ、コイツら……今すぐ乗り込んで、全員ブチのめしてやりたいッス……』
しかし、そうは思っても、所詮は多勢に無勢。しかも、話を聞くに、どうやら素人ではないようだ。乗り込んだところで、返り討ちにあうのがオチである。
そう思い、コロナは込み上げる怒りをグッと堪える。
『とにかく、あのバカ共がケンカしている内に、今の話をししょー達に知らせない――えっ?』
壁から耳を離し、踵を返そうとした瞬間だった。
突然、腰の辺りが燃えるように熱くなったと思ったら、そこからお腹の中へ、スーッと冷たい何かが入って来た。
そして、次に感じたのは、腹部へ温かいミルクでもこぼしたような感覚……
その、腹部へ感じていた温もりは、重力に引かれ両の足へと広がって行った。
『な……なに……が?』
全身の力が抜けて行く感覚に襲われながらも、恐る恐る視線を下げるコロナ。
『えっ……?』
咄嗟にはとても理解が出来ない光景……
呆然と立ち竦むコロナの目に映るのは、純白のミルクとは似ても似つかぬ深紅の色。そして腹部からは、セーラー服を突き破り、三本の鉤爪の先端が覗いている。
「なっ……なんなんッスか……これは、かはっ!?」
直後、口の中へ広がる鉄の味。
咽る様にそれを吐き出すと、コロナは膝から崩れ落ちるように蹲った。