第十三章 急展開 06
本題って……?
そう尋ねたオレに対して、妖しい笑みを浮かべるアルトさん。ゆっくりとした歩みでオレとの距離を詰めながら、艷やかな唇を開いた。
「フフフ……ソレを聞くのは野暮ですよ、ご主人様。惚れた殿方の部屋にこの様な時間、この様な格好で来たのです。となれば、する事など一つではないではありませんか?」
「………………」
「まさか、女に恥をかかせたりは、いたしませんよね? ご主人様」
まさかの急展開に狼狽して、言葉も発せず口をパクパクさせるオレ。
アルトさんは、そんなオレへ妖艶な笑み向けながら首の後ろの紐をスーっと引き解いた。
スルリと落ちる、薄手のネグリジェ――
下着姿となったアルトさん白い肌が、陰った月明かりに照らされ神秘的に浮かび上がる。
神の造形とも言うべき、完璧なボディライン。神々しいまでに美しいその姿に、オレの鼓動は激しく高鳴り、心臓が痛いくらいに脈打っ……って、あれ?
痛いくらいに……
「うぐっ!?」
左胸を押さえ、その場へと蹲るように膝を突くオレ……
痛い『くらい』なんてモノではない。実際に、高鳴る心臓へ激しい激痛が走ったのだ。
「ご、ご主人様っ!?」
慌てて駆け寄るアルトさん。傍らに膝を突き、心配そうな顔でオレの肩を抱いた。
「ぐぐぐ……」
「ご主人様っ、大丈夫ですかっ!? ご主人様っ!!」
鼻孔をくすぐる甘い香りと肩に伝わる温もり……
しかし、今のオレには、ソレを感じるだけの余裕など微塵もない。
この痛み――まさかっ!?
「臨、兵、闘、者……皆、陳、列、在……ぜ、前……」
「ご、ご主人様……?」
呼気をするのもままならない激痛を堪えながら指印を切り、九字と呼ばれる真言を唱えて精神を集中する。そして、身体にめぐる霊気を高め、オレは痛みの元を遮断した。
その途端、嘘のようにピタリと止まる胸の痛み……
オレは気を落ち着かせるように大きく息をはいてから、ゆっくりと立ち上がった。
「ありがとう……もう、大丈夫だから」
「ご、ご主人様……今のは……?」
心配そうな表情を見せるアルトさんに、オレは困り顔で苦笑いを浮かべた。
実は先程の痛み、肉体の痛みでもなければ、本当に痛かった訳でもないのだ。
あの痛みは、実際に身体の痛覚が刺激された訳ではなく、外部から直接オレの脳へ、
『痛覚を刺激されている』
という信号が送られて来た事で起きた錯覚である。
とはいえ、今はそれを説明している時間などない。
「アルトさん、ちょっとごめん」
オレは、不安げなアルトさんに背を向けて、窓へと駆け寄った。
静かに寝静まった街並み……
その彼方に見えるのは、ゆっくりと点滅を繰り返す霊気を帯びた小さな光――霊能者だけが視える三つの光球。
そう、オレの脳へ信号を送って来たのは、オレの放った式神達。そして、それは緊急事態を知らせるサインなのだ。
「ちっ……」
オレは舌打ちをして、痛みを感じていた左胸に手を当てた。
ホタルから送られて来る信号。痛む場所と痛みの強さは、事態の緊急度に比例しているのだが……
『心臓に対する激痛――』
それは、一刻の猶予もない危険な状態を示している。
オレは勢い良く窓を開け放ち、窓枠へと片足を掛けた。
「すみません、アルトさんっ! 続きはまた今度にっ!!」
そう言い残すと、オレ霊力を込めた足で窓枠を蹴り、一気に向かいの屋根へと跳んだ。
「ち、ちょっ!? ご、ご主人様ぁーっ!?」
開け放れた窓から、大きな声を上げるアルトさん。その戸惑いの声を振り切り、オレは屋根の上を最短ルートで走り抜けて行った。
月明かりの中、全身を切り裂くような初冬の冷たい風が吹き抜けて行く。
そんな中を逸る気持ちを抑えながら、屋根の上をホタルの光に導かれ全力で疾走するオレ。
ホタルが示す地点は、祭り会場である桜並木――いや、その先の河原か?
赤い屋根から伸びるレンガ造りの煙突に飛び乗り、そこから通りの反対側の屋根へと飛び移るオレ。
そして、目的地の約半分まで来た頃だろうか? 背後から黒い疾風が、勢い良くオレを追い越して行った。
「主っ! 先に行くぞっ!」
オレの進行方向へと、真っ直ぐ飛んでいく黒い疾風――
そう、その黒い疾風の正体は、三本足の烏――八咫烏の姿をしたラーシュアである。
タイプは違えど、ラーシュアもオレの式神だ。オレを通じて、式神達の状況を把握したのであろう。普通の烏とは、比べ物にならないほどの速さで飛んで行くラーシュア。
どんな状況なのかはわからないけど……頼む、間に合ってくれよ……