第三章 陰膳 01
お昼もピークを過ぎて、太陽も真南から少し傾いた時間。
一応コチラの世界でも時計は有るらしいが、とても高級品で貴族や王族くらいしか所有していないそうだ。
なので正確な時間は分からないけど、オレの腹時計ではだいたい午後二時を少し回ったところだと思う。
「ありがとうございましたぁ~」
ステラは最後のお客さんを見送りつつ、扉に準備中の札をかけた。
さて、コレからオレ達の少し遅い昼食の時間だ。
店の掃除をステラに、洗い物をラーシュアに任せて、オレは四人分の賄いを作り始める。
ちなみに今日の昼飯のメニューは、昨日の夜から決めていた。
オレはドンブリを四つ用意して酢飯をよそると、そこへ軽く刻み海苔を散らして、マグロのタタキを乗せていった。
そして、その上から刻みネギをかけ、ワサビとガリ――スライスした生姜の甘酢漬けを添えて完成。
そう、いわゆるネギトロ丼である。
コチラの世界でもマグロは捕れるが、日本の江戸時代同様、下魚として扱われているので凄く安く仕入れられるのだ。
ちなみに、今でこそ世界的な和食ブームの寿司ブームでマグロやトロは人気があり、特に大トロなどは高級品として扱われている。
だがしかし、そんな大トロも江戸時代にはネコも食べない「ネコまたぎ」など呼ばれ、畑に肥やしとして撒かれていたそうだ。
なんてもったいない……
オレは正方形の御膳を四枚用意して、まずはその内の三枚に完成したネギトロ丼と味噌汁、そして箸を置いた。
「ステラァ~、ラーシュア~。これよろしく」
「は~い。わあぁ、美味しそう」
「うむ、久方ぶりにまともな賄いじゃな」
カウンター越しに三つの御膳を手渡すと、それを嬉しそうにテーブル席へと運ぶ二人。
さて、もう一つは……
オレは残った御膳にドンブリと味噌汁のお椀を乗せ、箸をそのドンブリに突き立てた。
「えっ?」
それを見て、目を丸くするステラ。
オレが来るまで、箸など存在していなかったこの世界。最初に箸の使い方を覚えたのはステラである。
そして、それを見たお客さん達の間で箸が少しずつ広まり、今ではウチに来るお客さんの半数以上が箸で食事をしていた。
ただ、今まで箸が無かったのだから、当然のように箸に対するマナーなども存在していない。
ゆえに、オレは箸の使い方と、その箸を使うにあたってのマナーを店の壁へ図解入りで張り出したのだ。
そして、その張り紙に絶対禁止として書かれているのが、この立て箸である。
オレは戸惑うようなステラの視線をスルーしてフロアに出ると、その御膳をカウンター席の右端に置いた。
「え、え~と、シズトさん? お箸は絶対に、ご飯へ立てちゃダメだって――」
「よいのじゃ。アレは陰膳じゃからな」
オレの背に向け、おずおずと声をかけるステラの問いへ、ラーシュアが被り気味に口を挟む。
「かげぜん?」
その、初めて聞く言葉に、ちょこんと首を傾げるステラ。オレは不思議顔のステラに笑顔で振り返り、その言葉の意味を説明する。
「そっ、陰膳――もしくは仏膳と言って、亡くなった人に供えるための食事で、立て箸はそのための作法なんだ」
「えっ? 亡くなった人って……デリカお婆さんの……?」
ステラの言葉に頷くオレ。
そう、この御膳はウチの常連で、昨夜亡くなったデリカ婆さんに供えるために作ったモノなのだ。
オレとラーシュアは並んで目を閉じて、その御膳に手を合わせる。
そして、それを見たステラもラーシュアの隣に立ち、見様見真似で同じように手を合わせた。
毎日のようにウチに来てネギトロ丼を食べていた婆さん。
なんでも数年前に他界した旦那さんが漁師をしていて、その旦那さんが獲って来た魚を捌くのが婆さんの仕事だったらしい。
初めてネギトロ丼を食べた時に、『こんな美味しいマグロは食べた事がない』と喜んでいた婆さん。
その婆さんに、これはマグロを捌いたときに出る皮の裏側に残った身をスプーンで掻き集めたモノだと説明したら、物凄く驚き、そして悔しそうにしていた。
今まで何度もマグロを捌いていたが、皮の部分など捨ててしまっていたそうだ。
まあ、日本でも昔はそうだったし、何よりこの世界の調味料といえば塩と砂糖くらいしかない。
ネギトロのような部分は脂が強くて、若干だが臭みもあるからな。正直、塩で食べてもあまり美味しくないので、これは仕方ないだろう。
『これは、今まで捨てた分を食べ尽くすまで死ねないねぇ』なんて事を、冗談めかして楽しそうに話していた。
婆さん、どうか安らかに眠ってくれ……
ひと仕切り故人の冥福を祈ったところで、オレは目を開いて両手を下ろした。
「さて、では我らも昼飯にしようかのう」
同じように祈りを終えて踵を返すラーシュア。ステラもそれに続いて踵を返したけど、動かないオレを見て、その足を止めた。
「シズトさん……?」
祈りを終えても動かず、ジッと陰膳を眺めているオレの背に声をかけるステラ……
「主は陰膳に、何か思うところでもあるのじゃろ。ワシらは邪魔せず、先にメシを食っていよう」
「う、うん……」