異界の魔女と冒険者組合 後編
遅くなって申し訳ありません!
まったりと書いてから更新するのでストックが無いのです!遅いのはご了承下さると助かります。
そして、今回の遅かった理由ですが......突如として書いていた数万文字が消えると涙目ですね(笑)
奥の部屋へと入ると、そこは足の低いテーブルが部屋の中心に置かれ、その左右に対象となるようソファーが二つ並ぶ。
更にテーブルの奥にはここが執務室であることを表すかの様に、大柄な組合長に合わせた大きな執務机が鎮座している。その机の上には書類の束が乱雑に置かれ、組合長が外見通りの性格だと理解できる状況が広がっていた。
アリスはリリアを連れてソファーに座る。その後ろには鋼竜の剣が護衛らしく立ち並ぶ。
アリスがソファーに座ると同時に、反対側のソファーにも組合長と三人組の冒険者達が座った。
アリスは組合長の横に座る白銀の聖騎士に視線を向けると、両腕を胸の下で豊満な膨らみを持ち上げるようして、右足を左足の上に乗せて組むとふんぞり返るような姿勢になってから話し掛ける。
「それで、私に何が聞きたいのかしら? 私は組合長に呼ばれたと思っていたのだけれど」
「あぁ、組合長が呼んだのは君が渡したこれが原因だね。これは、数千年前の冒険者が使っていた旧式、いや、古代の組合証だ。何故そんな物が此処にあるのか。そして、その人物が僕が此処に来る切っ掛けとなった莫大な魔力の持ち主ではないか、とね?」
白銀の聖騎士がアリスの問いに答えると、懐から受付嬢にアリスが渡した筈の古い組合証を出して、テーブルの上に皆が見えるように置く。
アリスはテーブルに置かれた自分の組合証を一瞥すると、問い掛ける白銀の聖騎士を無視して組合長へと視線を向ける。
「......ふゥん? そォ、それで? 組合長はどうしたいのかしら?」
組合長は問いに対して、膝に両手を置いて猜疑を孕む表情を作り、アリスを睨み返す。
「お主、調べた組合証の通りならば魔女一族の者であるな?」
「ええ、そうよ。それが何か問題でもあるのかしら?」
「いや、種族と言うよりも、お主がこの街で何を目的とするのかが重要なんじゃよ」
アリスは片眉を軽く上げて驚いた表情を態とらしく作ると、愉しげな笑みを浮かべながら組合長に答える。
組合長はそれに首を横に振った。
手を顎に軽く当てながら、アリスは少しだけ思案して答える。
「別に、特に何かしたい訳でも無いわよ? 只、この街に来たばかりだし、何が出来るのかも確認しながらの手探り生活かしらね? ......で、危険かもしれない魔女一族の私を、組合長や貴方達冒険者はこの街から出て行って欲しいと、そういうわけかしらね?」
アリスの追い出される発言に、横で真剣に話を聞いていたリリアが目を見開き、組合長の方に眉をハの字に吊り上げながら睨む。
睨み付けてくるリリアに組合長は苦笑いで答えると、アリスに視線を戻して言った。
「ふむ。正確には、この街でお主レベルの怪物が暴れたら、跡形も残らぬ程に儂等の住む場所は破壊されて失われる。何千何万の死者と共にのぅ。で、冒険者組合の長としては、危険かどうかの確認がてら話してみようと思っての」
「そ。なら、言っておくけれど。私からこの街に対して敵対する行為はしないわよ。敵対する者には情け容赦なく相手するけどね?」
「はは、それは先の冒険者に対する言葉かな? 一本とられたね、組合長?」
白銀の聖騎士がアリスの言葉に、先程の組合内での争いを言っていると気付いて、組合長に微笑みながら言った。
組合長は顔を顰めると、うるさいわっと白銀の聖騎士に突っ込みを入れてから話を促す。
「それで、話を聞いた限りではお主が特に危険な思想が無いようじゃな。これで安心して儂等も枕を高くして眠れるというものじゃ。......しかしのぉ、儂等が認めても、それを真に認めるのはこの街のトップでの? あの方に話を通さんといかんのじゃよ」
「あァ、確か商王って呼ばれてる大商人だったかしら?」
「うむ、そうじゃ。この街の統治者にして王の一角。あの方と敵対すれば、この街が全て敵になるぞ」
威圧を含む物言いに、アリスは愉悦を込めた笑みで返す。
「......ふゥん? 中々に愉しめそうねェ、その王様気取りの商人って。そう言えば、商合貴族の一人が私に刃向かったから利用してやったんだけれど、それも話が上に行ってるのかしら?」
既にこの街の商合貴族と敵対した上に争っていた事実に、眼前に座る組合長達が驚愕のあまり呆然とした。
それだけでなく、既にことを終わらせて利用したとまで言いのける彼女に、微かな畏怖を感じる彼等であった。
だが、組合長はそれに何とか立ち直ると、叫ぶようにアリスへと問い掛ける。
「......お主っ、それをどう解決したのじゃ! 一歩でも間違えれば、この街の全兵力が総出となって、お主等と戦争をすることになるぞ!? どう対処したんじゃ!?」
「別に、突っ掛かって来た馬鹿な男の父親が居る、貴族街の屋敷に襲撃を仕掛けて、対等な取引して解決したのよ? どこにも問題はないでしょう?」
何を当たり前なことを聞くのか、という表情で組合長を馬鹿にして答えるアリス。
組合長は解決方法に呆気に取られ、調べていた情報を思い出す。
「......そうか、昨夜の貴族街城壁門周辺で起きた、衛兵駐屯所の不可解な事件はお主が起こしたんじゃな? 何とまぁ、大胆なことをするのぉ。気付かれたら不法侵入罪で死刑だろうに。なんと恐れ知らずか」
「そうだったの? 兵士は烏合の衆の集まりで、城壁門の防衛術式も簡易な物だったから簡単に解除出来たわよ? 金掛けるなら、こういう所に使わないと駄目よ? まァ、貴族は私腹を凝らすのが好きなようだけどね。それで死んでちゃ世話無いけど、そこまでは知らないわよ」
組合長と横に座る三人組の冒険者、それからアリスの後ろに立つ鋼竜の剣のメンバーも、皆が思ったことは同じことである。
......普通はそんなこと出来ないだろう! と、同時に一言一句同じ言葉を頭に浮かべた。しかし、それを口に出す者は一人も居なかった。
リリアは変な空気に気付かないまま、きょとんと首を傾げて、アリスを見上げる。
そんな可愛らしいリリアの頭を撫でるアリス。少しだけ空気が和んだのは、言うまでもなかった。
それに合わせた様なタイミングで、猫耳受付嬢のエカーリアが扉の外から数度、コンコンッと扉を叩いてから執務室に入室する。
その手には丸い御盆にティーカップが六人分とお菓子の入ったお皿が乗せられていた。
テーブルの横にスッと移動したエカーリアは、順にティーカップを置いていく。
組合長、三人組の冒険者、アリスとリリアの六人の前に、良い香りを匂わせた温かな湯気を少し立たせる紅茶が注がれたティーカップが六つ置かれた。
最後に、リリアの前にお菓子の入ったお皿をコトリと置くとリリアの頭を優しく一撫でしてウインクする彼女。それにリリアは、ニコリと微笑みで返す。
満足気にやることを終えたエカーリアは、組合長に頼まれていたアリスの組合証を渡すと、一礼してから退室していく。
カチャリと音が鳴って扉が閉まると、リセットされた空気の中で、組合長が言葉を一番に出した。
「リリアちゃん。そのお菓子を食べても良んじゃよ! 儂が許すそう!」
「開口一番それかよ!」
つい、『鋼竜の剣』リーダーのバルキオが突っ込んだ。
組合長はだらしなく緩んだ気味の悪い笑みでリリアを眺めている。
そんな脳筋爺にアリスは呆れた表情をしてから、横で食べても良いのか迷っているリリアに食べるよう促してから、リリアが焼き菓子を一つ摘まんでから食べるのを見て、満足気な笑みを見せる。
「いや、アンタも同じじゃねぇか! たく、組合長もアリスの姐さんも同類だぞ」
バルキオは、組合長と同じことをして喜んでいるアリスに、どっちもどっちだと呆れて溜め息を吐いていた。
アリスはバルキオの言葉にムッとなり眉をつり上げて怒り出す。
「......バルキオ、主の私も許す言葉と許さない言葉があるのよ? 貴方のその発言は殊更、気に食わないわね。何でこんな脳筋爺とこの私が同類なのかしら。......ねェ、バルキオ?」
「そうじゃ、そうじゃ! こんな見た目だけ取り繕った腹黒魔女と、穏和で好々爺なお爺ちゃんの儂が、同じなわけがないぞ! 言葉には気ぃ付けんかい、小童!」
二人して怒り出した上に、殺気を滲ませて同時にバルキオへと文句を叩き付ける。
完全に同族嫌悪な二人だったが、殺気に対して何も言えなくなるバルキオ。
二人の放つ殺気と文句に半泣きで、助けを求めて原因のリリアに視線を向けるが、そこにいた救いの女神さまはお菓子に夢中なようだ。
諦めて項垂れていると、白銀の聖騎士風な青年が苦笑して、睨み合う同族嫌悪な二人を宥めながら、優しげな口調で話し掛ける。
「さて、そろそろ二人とも落ち着いてくれるかな? 僕等としても、長々と居れる訳ではないからね」
「こっちとしては、別に話すことなんて無いんだけれどね?」
辛辣に返すアリスに、聖騎士の青年は苦笑して謝り、それでも聞かなければいけないと真剣な眼差しでアリスと眼を合わせる。
「僕等はS級冒険者パーティーで、今は修行の旅路を歩む途中なんだ」
「......へェ、貴方達がS級、ね。風格はそれなりだとは思ったけれど」
「......お、おいおいっ! アリスの姐さんよ! S級って言えば、人類最強の最上位冒険者だぞ!? 俺達人間の英雄様だぜ!? スゲェだろぅぐへぁっ!?」
青年が語る肩書きに、驚愕と畏敬の念を混ぜてアリスに叫びながら伝えようとするバルキオ。
それをアリスは五月蝿いと、言葉と同時にバルキオの顔面へと風塊を魔力で構築して放ち、黙らせる。
強打した顔面をバルキオは押さえながら痛みに呻く。
周りからは同じ反応をして顔を赤らめる女性冒険者や、照れて横を向くその他の仲間達が、バルキオの惨状を見て戦々恐々としていた。
これで静かになったと、ふんっと鼻を鳴らしてから前を向くアリス。
聖騎士は苦笑しつつ自分達を尊敬してくれた、顔面の痛みで呻く同業者の彼に心の内で謝ると、話を続けた。
「それで、僕等はつい昨日のことなんだけれど、この街の中に突然だが巨大な魔力反応を感知してね? それが気になって来たんだ。そしたら、貴女が居た」
「そォ、で? 疑問は解消できたのかしら?」
「ああ、できた。君が放った魔力だったんだろう? 何の為にそれだけの魔力消費をして、魔術を使ったかは知らないけれど。この街に住まう罪無き民を傷付けないなら、僕等は不干渉を貫こう」
聖騎士は優しげな微笑で魔女へと語る。
暗にそれは、この街を破壊する行為や殺戮をした場合はそれを自分達が防ぎ、また倒してみせると言っているのである。
最上位種族である魔女一族の彼女に、英雄とはいえ下位種族でしかない人間の三人組が勝てるとは思えないが、彼等は負けると知っていてなお、挑む意思を感じさせた。
その聖騎士の青年が見せる面差しは、アリスにとって懐かしさを感じさせる物があった。それでか、ついと答えてしまった。
「そうね。それなら大丈夫よ。私はここの地で平穏でありながら刺激的な日常を過ごしたいだけ、だからね。......それに、貴方とは何だか敵対したくないしね」
「......えっ」
「おぉ! アリスの姐さん!? 聖騎士様に惚れたのか!」
「ち、ちがっ! バルキオ、貴方また顔面に喰らいたいのね! そこになおりなさい! もう一発撃ち込んであげるわよ!!」
リリアがアリスの反応にビクリと肩を震わせ、バルキオがそれを痛む鼻を押さえつつ茶化そうとする。
アリスは羞恥で頬を朱に染めながら目尻をつり上げて、バルキオに振り向いてそれを隠すかのように片手に魔力弾を形成しつつ叫ぶ。
聖騎士も美人の羞恥に感じ入る物があったのか、少しだけ照れて笑みを溢す。
「えぇっと、すみません。アリスさん」
「いえ、貴方が謝ることではないわ」
青年の謝罪に体勢を戻しながら、バルキオに弾丸を撃ち込んで満足したアリスは答える。
「それと、別に貴方に見惚れたわけではないわ」
「あ、そうでしたか」
「お兄さん、何だか残念そうですね?」
少しだけ落ち込む青年に、リリアはアリスの腕を両手で抱えながら睨み、声音に棘を含ませて言う。
「あ、いえいえ、別に違いますよ? そういう意味ではないですよ! 安心してください、リリアさん」
「むぅ、ならいいです」
「......リリア? だから、そんな意味じゃないわよ? ただ、彼にあの人の面影が少しだけ重なったから......それで思い出したから、ついね」
「そうなんですか? アリスさん」
「ええ、そうよ」
アリスは青年の雰囲気に、今は亡き愛する夫の面影を見た。
否、それは感傷が見せる幻でしかないが、確かに彼女は見えたのだ。
目の前に座り、優しげな微笑みを作る青年に、彼の笑顔が重なって。
差し伸べる彼の手と、笑顔。
―――ほら、アリス。
声が聞こえた気がした。
刹那。
すぅっ、と。
無意識だった。
アリスの瞳から、一筋の涙滴が流れ頬を伝い零れる。
あ、と。
誰かが口にした。
アリスは頬が赤くなるのを、顔が熱くなることで感じ取る。
だが、それでも、数千年前の失った悲しみは涙と共に溢れ出し、痛みと一緒になって心を埋め尽くしていく。
その想いが碧眼を潤ませて溢れ出すと涙滴となって頬を伝い、ポロポロと零れ落ちていく。
「ご、ごめんなさいっ、涙が勝手に溢れて......」
アリスは突然泣き出したことを謝り、両手で目元を押さえながら、零れ落ちる涙を袖の裾で拭う。
止まらない悲しみの滴。
拭っても、押さえても、止まらない。
悲しみは乗り越えたと思ってた。
それでも、彼女が味わった大切な者達の喪失と、悲しみや痛みは深く、深く根付いていた。
久しく感じたあの人の面影が、越えたと思っていた哀しみの顔を覗かせる。
「うぁ、っ。......ご、ごめんなさ、い。......止まらな、なくて......っ」
涙を流して喘ぐアリス。
止まらない哀しみを、押さえても、隠そうとしても無理で、皆に晒してしまう。
アリスは呆然とする周囲に気付き、俯いて泣き顔を隠そうとする。
だが、横から少女の小さな両手が彼女に伸びて、隠そうとする手を掴む。
触れた少女の両手は、アリスにとって優しい温もりを想起させる。
そのまま、少女の両手に引っ張られながら促されて、アリスは横に座る少女の胸元に抱え込まれる。
ぎゅぅっと抱き締めてくれる。
懐かしさと温かさを混ぜた、優しげな抱擁。
それは、一人となってから、初めての他者と触れ合う、温もりだった。
子供や孫も彼との宝物。
けれど、彼を失ってから直ぐに彼女は半身を失った哀しみに、彼を思い出す子供達から逃げ出して旅立った。
それから、初めての触れ合い。
温もり。
少女は、嘆き悲しむ大切な人へと、囁き掛ける。
「ねぇ、アリスさん。アリスさんも、私と同じで一人、だったんだね? だって、私に向けるその碧い瞳は、昔の私みたいな、孤独で染まっていたから。だから......気付けたんだ。......でも、言ってくれるまで、待とうと思ってた。でも、でもね? それでも、今、言葉や温もりが必要なんだとしたら、なら、私があげる。少しでも貴女への恩返しになればいいなって、そう思うから」
たとたどしい、でも、本心をリリアは告げる。
大切な人や者達を失う哀しみに、喪失の痛みにずっと耐えてきた。
それが、孤独なら無理だった。
でも、アリスは独りじゃない。だから、ずっと失っては得ることを繰り返す。
それでも、と。
リリアはそんな悲しい生を続けた彼女を抱き止めて、言う。
「アリスさんは言ってくれました。もう、独りじゃないって。一緒にいてくれるんだって。だって、私達はもう家族、なんですよね? だったら、その家族になら、その悲しみや痛みを分けてください。分かち合ってください。それで、少しでも貴女の痛みと悲しみが減るのなら、私は嬉しいです、アリスさん」
語る言葉に、彼の声が重なる。
―――アリス、僕らは最初は独りだよ。......でもね、友達や家族が、この世界で出会いと一緒に増えていくんだ。
それが僕らの別れを、たとえ悲しくても、支えてくれる。
悲しみも痛みも、分かち合っていけるんだ!
......ね? だから。
泣かないで、僕の大好きなアリス。
世界で一番、愛する人―――
彼の言葉は、今でも思い出せる。
それだけの想いが、彼との出会いと軌跡に刻まれている。残っているのだと、再確認できた。
アリスは、涙を拭い少しだけ頭を上に向けて、リリアに聞こえるように呟いた。
「......っ。............ぁ、ありがとう。リリア」
泣き声は収まり、囁くように小さく、アリスはリリアへとお礼を告げる。
それでも、リリアはにこにこと微笑みながら、アリスの綺麗でさらさらとした撫で心地の良い金糸の長髪を、細く小さな自分の指で撫ですくう。
「ふふふ。アリスさん、もう大丈夫ですか?」
「......え、ええ。ありがと、リリア。もう、大丈夫よ」
「なら、良かったです」
顔を上げると、満面の笑みを見せてくれるリリア。
その横には生暖かな微笑みで立ち並ぶ鋼竜の剣のメンバーに、視線を前に戻せばあの組合長すらも三人組のS級冒険者達と共に優しげに微笑んでいた。
気まずさを感じたアリスは、ごほんっと軽く咳払いをして話していた聖騎士の青年に謝る。
「えっと、ごめんなさいね。突然泣いてしまって。涙も止まらなくて、ね」
目元を赤らめるアリス。それは、涙の跡であると分かる。
青年は大丈夫ですよ、と笑みで返す。
「ですが、アリスさんはそれほどまでに大切な方を亡くしているのですか? あぐっ、と。すみません、言えない事情がおありなら、言わなくても結構ですよ」
青年の横から肘撃ちをしてくる、深緑のローブの女性。
フードから覗く瞳はつり上がっている。
空気を読めと暗に伝えていた。
青年は言ってから直ぐに謝った。
それを見て、彼や皆の前で勝手に泣き出してしまったのだからと、大切な人を失った遥か昔の、古い記憶を辿りながら話す。
「いいえ、大丈夫よ。......そうね、言わないのもあれだもの。私が深く愛したあの人のことを、教えましょうか」
「愛した、ということは結婚もしていたのでしょうか?」
ローブの女性が、フードから覗かせた両眼を爛々と好奇心で輝かせながら聞き出す。
横では青年が先の肘撃ちのことはどうなんだと、ジト目になって視線で訴えていたが、ガン無視されて項垂れた。
「ええ、そうよ。私が生まれて少ししてから出会った、辺境の村に住んでいた平凡な少年。彼の名前はアレス。今は聖教国を中心とした聖教の神祖として名を刻んでいるかしらね」
「ッ!?」
「なにぃっ!?」
「えぇ、と?」
「本当なのですかっ?」
「マジかよ!?」
青年は驚きのあまり大きく目を見開いて固まった。
組合長は口を大きく開けて叫ぶ。
リリアは誰か分からず首を傾げて、後ろに立つ鋼竜の剣の冒険者で、女性の人に顔を向けて誰のことかを聞こうとする。
ローブの女性は疑問を口から溢す。
バルキオはつい叫びながら問い掛けた。
皆が驚愕の眼差しでアリスに視線を集める。
アリスはふふっと含み笑いをして、目の前のテーブルに置かれた冷めたティーカップの紅茶を取ると、一口飲んで話をするために喉を潤した。
カタリとティーカップをテーブルに置いて、
「ええ、貴方達の思い描く通り、彼のことよ」
そう告げる。
それに、青年が聞いた。
「で、では、貴方は......っ、まさか、ア、星の女神様、なのですか......?」
青年の問い掛けに、アリスは小さく頷いた。
「ええ、そうよ」
「っ!!!!」
青年は歓喜と感動を表す表情で号泣した。
それに周囲がざわつき出す。
「ちょっ、今度は騎士様が泣いてるぞ! おい!」
「むぅ。なんじゃ、お主が抱き締めやれ、セフィテーリア!」
「それは断固として拒否しますっ!!! 何故、歓喜のあまりに嬉し泣きする彼に、私が泣き止ませる為とはいえ抱き締めなければならないのです!? これは放っておけば治る持病ですよ!」
面倒臭げに焦るバルキオに、組合長はセフィテーリアと言う名前のローブの女性に、先程の出来事と同じように泣き止ませるよう言う。
しかし、セフィテーリアは持病の英雄譚大好きな彼が、嬉し泣きで号泣したのだと看破しており、そんな必要は皆無だと完全拒絶した。
アリスは可哀想な者を見る眼差しで青年を見詰めた。
青年は、はっとなって気付いた。
「ああぁ、申し訳ありません、アステラ様。嬉しさのあまり、号泣してしまいました! 本当に申し訳ありません......」
「いえ、いいわ。それより、私はアリステラとして今は生きてるの。アステラは止めてくれるかしら? それに、女神らしいことなんてしていないし、敬語も不要よ」
「そ、そんなぁ!? 不敬極まりありませんよ、アステラ様! そんなこと、僕は出来ませんよっ!! だって、あの英雄の愛した女神様なのですよ!?」
勢いよく語り出す青年に圧されて、アリスは少しだけ仰け反った。
リリアはそんな青年に軽く睨み、言った。
「その女神様のお願いを、貴方は聞けないんですね? 敬意が足りてませんよ、全く」
「なっ、そんなことは、無い、ですよ......? 信じてください、アステラ様! 僕は神聖教の信徒にして、聖王国の【光の勇者】にも選ばれる程の信徒です! ですから、信仰心は人一倍ありますよ!」
「へぇ。貴方、光の勇者に選ばれていたのね。なら、信仰心は強いでしょう」
「あぁ、アステラ様に誉れ戴くなんて、感激の極みですっ! 有り難く頂戴致します、星の女神様っっ!!!」
「えェと、それで? 私の言うことは聞いてくれるのかしら?」
「......苦渋の決断ですが、女神様が望むのならば、致し方ないですね。はい、アリスさんと、呼びましょう」
「ついでに敬語も止めてくれると助かるわ」
「それは無理ですね。敬愛する方に敬語で話すなと言うのは」
真顔で言い切る青年聖騎士。
アリスは仕方なく、溜め息を吐いて妥協することにした。
名前呼びはさせなくしたのだから、これ位は代償とでも思うことにする、と。あくまでも妥協だが。
そんな考えを知らず、青年はアリスに気になっていたことを質問し始める。
「それでですね、アリスさん! 〝星の女神と聖剣王の英雄譚〟にあった内容は、真実が描かれているのでしょうか!? 僕としては、事実は小説より奇なりとも言いますし、多少は脚色も物語の花ですから、いいのですが。それでもやはり、内容を記した者よりも、体験した者では事実が若干異なる場合もありますので、その辺りどうなのでしょうか!?」
ぐいぐいと質問攻めにする青年。
流石のアリスも引き気味で少し仰け反り、周囲の者達も引いていた。
それを止めるのが、セフィテーリアと言う名の女性の役目だった。
彼女は手に持っていた一メートル近い長杖を振るい、青年の後頭部を強打すると、ガッゴンッと二度何かを打ち付ける音が室内に響く。
一度目に響いた音は頭蓋を打ち付ける長杖の殴打した音である。そして、もう一つの二度目に響いた音は、後頭部を殴られた青年が勢い余ってテーブルに顔面を強打した音であった。
流石にやり過ぎたと感じたセフィテーリアは、テへッと舌を出してから可愛らしく笑って誤魔化した。
周囲の者達は、ローブを羽織る無口な女性が行った所業に驚き沈黙する。
セフィテーリアの横に座る無口の巨漢の男性もそれに苦笑していた。
リリアがテーブルに突っ伏している青年の後頭部を人差し指でつんつんとして遊んでいると、アリスがリリアにこら、駄目でしょう? と注意してから青年の肩を揺する。
すると、ガバァッと音が出るような勢いで青年は跳ね上がりながら起き出した。
「......はっ!? あ、あれ? 僕は、一体何をしていたのだろうか? あ、アリスさん。......ん? どうしたんです? 変な表情ですけど」
「......い、いえ、ね。それよりも、大丈夫かしら、後頭部と顔は。物凄く強打してたのだけれど」
「......え? いえ、何故か痛いんですけど、何があったのかな......? あれ? ねぇ、セフィテーリア。何があったか知ってるかな? 記憶が少しの間無いみたいだ。変だなぁ......?」
話を振られた原因元凶のセフィテーリアは、顔中から汗をだらだらと流して目を逸らす。
「さ、さぁ? 貴方が興奮し過ぎて暴れて意識が飛んでいたんじゃないかしら? ええ、きっとそうよ。だから、話を戻しましょう?」
「うぅーん? そうなのかな。まぁ、そうか」
「そうそう、そうよ。では、アリスさん。愛するアレスさんとの過去話の続きをお願いします!」
「ええ、そうね」
何だか無理矢理に話を逸らさせた感が強いが、アリスは気にしないことにしてから、過去の続きを語り始める。
「それで、私が出会った彼、アレスは。最初は本当に気弱で優しい、平凡な少年だったわ。でも、旅を共にしてから様々な人達と色んな場所で出会いと別れを繰り返して、冒険者として少しずつ成長をしていたの。悲しいことも、嬉しいことも、色んな出来事があったわ。......それに、数年も旅をした頃には、アレスも強く逞しくなってね? 格好良くなって、色んな女性に惚れられて......その度に、私に泣きついて来てたっけ。......ふふっ。でも、最後には私を選んでくれた。それから、悪竜や魔王になった魔物、他にも強大な魔獣を何度か討伐していたら、今は聖教国のある場所に元々はあった小さな国で、アレスは騎士団の団長に、私は魔導師団の師団長に誘われたわ」
懐かしげに天井に視線を向けて、遠い遠い、遥か昔を眺めるように見る。
微笑みには嬉しさと少しの悲しみを混ぜて作る。
「私達は十年以上も旅をしていたから、そろそろ腰を落ち着ける場所が欲しい所だったの。それで、その小国の騎士団長と魔導師団長に私達はなったのよ」
「はぁあ、すごいですね、アリスさんとアレスさんって! 騎士団長も魔導師団長も、どっちも凄く強い人しかなれない様な地位の職なんですよね? 凄いなぁ、憧れますね!」
リリアは語られるアリスの過去の栄華の物語に感心して、心の底から褒め称える。
頬を赤らめて照れ臭そうにするアリス。
リリアはにこにこと莞爾な笑みで、嬉しそうに自分のことのように笑う。
純粋で優しい少女の頭を撫で、アリスはその続きを語る。
「それから、小国で私達が中心となって活躍することで、周辺諸国も成り上がりだった私達を認めざるを得なくなってね? 戦争を仕掛ける奴等もいたけれど、簡単に撃退してやったわ。ふふふっ、数千もの人間を纏めて落とし穴に叩き落とすのは、本当に愉しかったわ」
「おぉ、流石の姐さんだぁな。昔っから変わってねェみてぇだ」
過激に敵対する軍勢を愉しげに処理していた彼女の言葉に、バルキオは今と変わってないなと、自分達の仕打ちを思い出して納得していた。
そんな彼にアリスは人差し指を向けて、指先に風塊の魔力を形成して高速射出する。
向かう先は彼の顔面の中心、鼻先である。
バコンッと小気味良い音が鳴り、すぐ後にガタガタンッと倒れ込むような物音が響く。しかし、振り向く者はおらず彼は倒れ込んだ床の上で、強打した顔の痛みに一人のたうち回って呻いていた。
「で、諸外国に知れ渡った私とアレスは、長い時をその国と周辺国の為に生きていたわ。そんな時に、アレスが小国の辺境に安置された聖なる剣を『封印の聖丘』から引き抜いてしまって、小国の次期国王に選ばれたのよ。それで少しの間だけ、国内が荒れたのだけれど、アレスは小国だけでなく、周辺国を統一することで皆が平等でいられる平和な国を築き上げるって言い出してね? 勝手に決めてから勝手に宣言までしたのよねェ......あはは、本当にあの時は忙しかったわねェ......」
「凄まじいですね、アレスさんは。聖剣は強大な力を与えてくれはしますが、各国を相手取れる程に万能な力では、ない筈なんですが......」
アレスの破天荒ぶりに流石の青年聖騎士も驚愕する。
本当にねっ、とアリスは青年に相槌を打ってから肩を竦める。
「......そんなに簡単なことでは無かったし、数十年の長きに渡る戦争の歴史があったわ。でも、彼は同じ志を持っていた同志達と共に世界へと戦いを挑み、打ち勝った。それが今の『聖アレス真星女神教』と呼ばれる、三大宗派〝真星教〟〝女神教〟〝聖アレス教〟の原典にして三大聖国の起源かしらね」
世界的な宗教『聖アレス真星女神教』の起源。
それは人間の少年が魔女の少女と出会ったことで始まった、聖なる軌跡。
アリスは北大陸全域に広がった自分達の偉業を、こともなさげに語り終えると、紅茶をそっと持ち上げて一口飲んだ。
話が終えても尚、その凄まじい物語の余韻は皆の体に残り、動けずに固まっていた。
しかし、
「アリスさん」
最初に言葉を発したのはリリアだった。
アリスは横から呼ぶ少女に顔だけ向けると、
「何かしら、リリア?」
「えっと、ただアリスさんはそのアレスさんって人の理想? を一緒に目指して、楽しかったのかなぁって、思ったんです」
「......そう、ね。楽しかったわよ。彼と一緒にいられるだけで、それだけで、私は心が満たされたのだもの」
「でも、じゃぁ、何で悲しそうな顔をしてるんですか?」
「......え?」
「今にも泣き出しそうな、悲しげな表情ですよ、アリスさん」
リリアはすっとアリスの横顔に手を添える。
それだけで、触れられただけで、頬がピクリと動く。
過去を語り、過去を想い、過去を懐かしむ。
アリスにとっての思い出は、楽しいだけでなく、悲しいことも一杯あった。
だから、言葉にすればそれらを思い返してしまう。
雪崩のように悲しかったことが思い起こされていく。
先のように、泣きじゃくってしまうことはなくとも、頬を伝うこれは仕方ないことだと、リリアは思う。
「アリスさんは、楽しいだけじゃなくって、その彼の理想に何か、認めたくないことがあるんじゃないかって、私は思います。......だって、じゃなきゃこんな悲しそうな顔はしないから」
「......そう、そうね。ええ、一つだけ、彼の理想で認められないことがあったの。でも、でもね、彼はその優しい理想を貫いたからこそ、彼らしいって。そう、私は思えることが出来た。......じゃないと、彼は彼じゃないもの。......ふふっ、本当に、何故かしらね? リリアといると、何だか心の情けない部分が隠せないわ。つい、溢れ出してしまうもの」
頬を伝う涙をリリアが拭ってくれる。
涙ははらはらと流れ伝い、彼女の着ている黒いローブの長いスカート部分の上にパタパタと落ちていく。
その溢れ落ちる涙が、悲しいから流れるんじゃないと、今ならアリス自身が理解できる。
多分、この瞳から落ちる雫は優しい少女の、受け止めてくれる心があるから流れ出た、乗り越えようとする感情なんだと。そう、思えた。
綺麗な雫を少しの間だけ、静かに溢れ流していた彼女は、頬に触れるリリアの手に自分の手を重ね合わせると、それに寄り添うように首を少しだけ傾けた。
それから、穏やか表情を浮かべて笑う。
「ありがとう、リリア。今日は貴女も私も、何だか泣いてばかりみたいね? ふふっ」
「はいっ。......でも、分かち合える喜びや悲しみを知れて、家族になれたって思えて、私は凄く嬉しいです、アリスさん!」
心の底から嬉しそうに笑うリリア。
アリスも笑みを返して、瞳に残る雫を細く白い指で軽く拭い、リリアの頭を優しげに撫でた。
「......えへへっ」
「ふふっ。......さて、と。思い出話も語ったことだし、リリアとも家族になれて、満足したわ。これで、どうかしら」
アリスは、最初の話し合いの本筋を思い出して組合長と青年に問い掛ける。
「これが、私の語る本心、かしらね。それでも、まだ私が危険だと考えるなら、間者でも監視でもすればいいわよ」
アリスは二人を真剣な眼差しで見詰めて、はっきりとそう言った。






